61 守るものがあるから
「なっ……」
イアンからエレインを庇うように、目の前に現れたたくましい背中――。
その姿を、見間違えるわけがない。
「ユーゼル……」
呆然と呟くエレインを振り返ることもせず、ユーゼルは静かに告げた。
「立て、リーファ。君の底力はそんなものじゃないだろう」
「…………へ?」
今、彼は何と言った?
「今、あなたなんて……!」
「細かい話は後だ。今はとにかく、この男の抹殺を最優先に」
腹が立つほど冷静で、落ち着き払った口調。
エレインは、そんな人物に覚えがあった。
……忘れない。忘れられるわけがない。
「シグルド……?」
目の前にいるのは、間違いなくユーゼル・ガリアッドだ。
だがその話し方は、態度は、気迫は……彼の前世である「シグルド」そのものなのだ。
「立てと言ったのが聞こえなかったのか?」
その声に、エレインははっとする。
……シグルドはいつもそうだった。
エレインのことを信頼してくれているからこそ、厳しく接してくれる。
それでいて、本当につらい時は助けてくれるのだから。
この状況でも、まだやれると信じてくれているのだろう。
(だったら、弱音なんて吐いてる暇はないのよね……!)
ぐっと全身に力を籠め、エレインは立ち上がった。
ユーゼル――いや、シグルドはエレインが立ち上がった気配を察したのか、一本の剣を投げてよこした。
一般の兵士が身に着けているような、何の変哲もない剣だ。
どうしてユーゼルが「シグルド」のように振舞っているのかはわからない。
記憶が戻ったのかもしれない。だが、それを確かめている暇はない。
ぐっと剣を握り、エレインはシグルドの隣へ立つ。
そして、唖然とするイアンを睨みつけた。
「形勢逆転ね」
イアンはわけがわからないといった顔をしていたが、すぐに余裕の表情を取り戻す。
「ふん、死にぞこないが二人集まったところで何ができる? むしろ、僕にとっては二人まとめて確実の葬るチャンスだというのに」
それが虚勢なのか、心からそう思っているのかはわからない。
だが、そんなことはどうでもいい。
(今なら、負ける気はしない)
前世でもこうして、何度もシグルドと肩を並べて戦場に立った。
彼の気配を傍に感じるだけで、全身に力が湧いてくる。
(きっと、これが……私の「愛」なんだ)
それぞれ剣を構え、エレインとシグルドは同時に駆けだした。
シグルドの力強く正確な一撃と、エレインの素早く変則的な連撃。
それぞれ怪我を負い万全の状態とはいかなくても、二人の攻撃は美しい二重奏のようにぴたりとはまり、イアンを追い詰めていく。
「ふん、小賢しい!」
最初は余裕の笑みを浮かべていたイアンにも、徐々に焦りが見え始めている。
落下したシャンデリアのキャンドルから燃え移った火は、どんどんと燃え広がり大広間を真っ赤に染めていく。
襲い来る熱が、刻一刻とタイムリミットを突きつけるようだった。
(でも、そんなの関係ないわ)
元より、生きて帰ろうなんて思ってはいない。
エレインにとっての最優先事項は、前世の「本当の」怨敵であり、今後ガリアッド公爵家にとって危険分子となるイアンを葬り去ることなのだから。
それが叶うなら、この命なんて惜しくはない。
(こいつは私欲にまみれた化け物。今世でもリアナを惑わして……絶対にここで仕留める!)
彼を外に逃がしたら、間違いなくリアナに牙をむくだろう。
私欲に駆られて、祖国を裏切った男なのだ。
魔力持ちの公爵令嬢であるリアナのことも、都合のいい駒として操るつもりなのだろう。
その先に何を企んでいるのか……いや、なんでもいい。
奴はここで死ぬ。何を企んでいようとそれで終わりなのだから。
(絶対に、止める……!)
油断すれば力の抜けそうになる手足を気力だけで奮い立たせ、エレインは更に鋭く剣を振るう。
常軌を逸したその動きに、イアンは恐怖に顔を歪める。
「なぜ……その状態で動ける!? 薬が効いたはずでは――」
「守るものがあるからな」
イアンの問いかけに応えたのは、リーファではなくシグルドの方だった。
「貴様のような薄汚いドブネズミとリーファの高潔な魂を一緒にするな」
「くっ……!」
死力を尽くして、限界を超えて戦う二人に、イアンは敗北を悟ったのだろう。
「ならば貴様らだけここで死ね!」
彼は剣を投げ捨てると、二人に背を向け駆け出したのだ。




