60 真実
「っぅ……!」
強く弾かれ、エレインは剣を取り落としてしまう。
慌てて拾おうとする前に、眼前に切っ先を突きつけられた。
「残念、僕の勝ちだ」
見れば、イアンが余裕に満ちた笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。
「……薬を盛るなんて、騎士道精神の風上にも置けないわよ」
「残念ながら今は騎士じゃなく神官なんでね」
息を荒げるエレインを嘲笑うように、イアンはそう告げる。
「それでも、君の健闘は立派だった、想像以上だよ。……もう一度尋ねよう、エレイン。僕と手を組む気はないかい?」
さっさとエレインの命を奪えばいいのに、イアンはまるでいたぶるように言葉を駆けてくる。
「大丈夫、悪いようにはしないよ。僕は君の実力も、その美しさも気に入っているんだ」
「……悪趣味ね。残念だけどお断りよ」
イアンは騎士道精神を捨てたようだが、エレインはそうではない。
「愛する人を裏切るくらいなら、ここで潔く死んだ方が一億倍マシよ」
そう吐き捨てると、イアンは驚いたように目を見開いたのち……おかしくてたまらないとでもいうように笑いだした。
「これは傑作だ! 大好きなシグルドに裏切られて死んだ君が、そんなことを言うなんてね!」
イアンの言葉に、胸の奥の柔い部分が痛みを訴える。
だがそれでも、エレインは果敢にイアンを睨みつけた。
「何度死んでも、裏切られても、きっと私は変わらないわ」
「美しいね、リーファ。……ご褒美だ。最後にいいことを教えてあげよう」
イアンの手にする剣の切っ先が、エレインの喉に触れた。
ぴりりとした痛みが走り、皮膚が裂け、一筋の血が滴る。
彼があと少しでも力を込めればエレインの喉は裂け、すぐに死に至るだろう。
じわじわと獲物をいたぶるように、イアンは上機嫌に口を開く。
「君は、シグルドのことが好きだったんだろう」
「……だから何。裏切られて死んだ惨めな女だって、笑いたければ笑えばいいわ」
「いや、裏切られてもなお同じ男を好きになるなんて……不思議なものだと思ってね。君は勘が鋭いから、本能的に気づいていたんじゃないかい?」
「なにが――」
「シグルドは、裏切ってなんていないことにさ」
「…………は?」
驚愕に目を見開くエレインに、イアンは愉悦の笑みを浮かべた。
「冥途の土産に真実を教えてあげよう。シグルドは君を裏切ってはいない。敵国から送り込まれたスパイだったのは確かだけどね」
「何を、言って――」
「喜ぶといい。君の献身のおかげで、あいつは心変わりしたんだろう。僕たちの国を……いや、君を守るために、本当の祖国を裏切ることにしたんだ」
「そんな、はずが……」
イアンの言葉が、毒のようにじわじわと染みわたっていく。
彼が嘘をついているのか、真実を言っているのかわからない。
だが、信じたくなってしまう。
もしかしたら、本当にシグルドはリーファを裏切ったわけではないのではないかと――。
「……だったら、誰が情報を漏洩していたというの。そんなのスパイのシグルドしか――」
「僕だよ」
「…………は?」
信じられない思いで、エレインは目の前の男の顔を凝視する。
こいつは、何を言っている?
「…………嘘」
「やっぱり気づいていなかったのか。君は肝心なところで鈍いんだな」
「な、んで……あなたは私たちの仲間じゃない! どうして、女王陛下を裏切るような真似を――」
「どうせあの小国に未来はなかった。さっさと脱出した方がマシだと判断しただけさ。いつまでもしぶとく粘り続ける君たちの情報はいい手土産になったよ。おかげで、脱出先にも好待遇で迎えられた」
そうのたまうイアンの表情には、罪悪感など欠片も見られなかった。
……彼は自分自身の保身のために、仲間を、忠誠を誓った主を、祖国を売ったのだ。
「っ……!」
エレインは何も言えなかった。
いつもだったら、目の前のイアンへの猛烈な怒りに駆られ、「この売国奴が!」と吠えていただろう。
だが今はそれよりも、胸が張り裂けるような後悔に苛まれていた。
(シグルドは私を裏切っていなかった……。じゃあ、私はずっとユーゼルに――)
何も知らない彼に、裏切ってなどいない彼に、どれだけひどいことをしていただろう。
(ごめんなさい、シグルド、ユーゼル……)
最後の最後に真実を知るなんて。
もしも、前世でも今世でもシグルドのことを信じていれば……こんな結末を迎えることもなかったのだろうか。
絶望が胸を覆いつくし、ぽろりと涙が零れる。
そんなエレインを見て、イアンは愉快でたまらないとでもいうように笑った。
「それだよ! 君のその絶望する顔が見たかったんだ! 国一番の騎士なんて持ち上げられて、いい気になって……ずっと泣かせてやりたかった」
乱暴にエレインの髪を掴んだイアンが、無理やり顔を上げさせる。
「安心するといい。その綺麗な顔は傷つけないように殺してあげるよ。君の首を見せた時、ユーゼル・ガリアッドはどんな反応を――」
イアンがそこまで言った時だった。ヒュッと空気を切るような音がしたかと思うと……エレインの髪を掴むイアンの手首に、小ぶりのナイフが突き刺さったのだ。
「なっ!?」
驚愕したイアンがエレインから飛び退く。
それと同時に、あたりに充満する煙の中から人影が飛び出してきた。




