52 私はもう、何も失わない
「ふむ……反応は上々といったところかしら。地味な色合いにすることで、逆にインパクトを与えられるのね。いい勉強になったわ」
今一度自身の衣装を見下ろし、エレインは満足げに頷く。
なにしろ本日は栄えある宮廷舞踏会。エレインがブリガンディア王国の宮殿に初めて足を踏み入れる日なのである。
これから「ガリアッド公爵夫人」となるのなら、本日は決して外すことのできないデビュー戦だ。
出会い頭に右ストレートを叩きこむ……ではないが、初対面でそれなりのインパクトを与えておきたかった。
仕立て屋や侍女と何度も相談して、誂えた本日の衣装だが……思った以上にうまくいったようだ。
「確かに、宮廷舞踏会では女性たちは鮮やかな色のドレスを身に纏うことが多いからな。暗い色を纏うことで逆に目を引くことができるのだろう」
エレインの身に纏うドレスの形や装飾は、この国の伝統や流行をふんだんに取り入れている。
だがあえて基調となる色に関してだけ、「宮廷舞踏会に参加する女性は春に咲き誇る花のように色鮮やかな色を纏うことが多い」という不文律に逆張りをしてみたのだ。
これで周囲がどう思うかはわからないが……少なくとも大きなインパクトを与えられるのは間違いないだろう。
「リアナも君ほどではないが、珍しい深い青のドレスを着るそうだな」
「えぇ、わざわざ私に合わせてくださったの。なんて優しいのかしら……さすがはリアナ、私の女神……」
「……君は本当にリアナのことになると様子がおかしくなるな。相手がリアナじゃなかったら嫉妬でどうにかなっているところだ」
「あら、婚約者と妹の仲が良いのを喜ぶべきでは?」
「まぁ、そうなのかもしれないな。なんにせよ今夜、君とリアナが宮廷の流行を塗り替えることは間違いない。次の舞踏会からは、今君が身に纏っているようなシックなドレスが大流行するだろう」
「ガリアッド公爵閣下がそう仰るのなら間違いはなさそうですね」
二人は顔を見合わせ、くすりと笑う。
エレインはまだユーゼルの求愛にはっきりとした返事をしていない。
だが、二人の間に流れる空気は……甘い恋人同士のそれに他ならなかった。
「えっと、この後は国のお偉い様を集めた会食でしたっけ」
「あぁ、どうしても宮廷舞踏会の前に君に会いたいと無理強いされてな。済まない」
「構いませんわ。これもわたくしのお仕事ですもの」
宮廷舞踏会が始まるまでにはまだ時間がある。
本来ガリアッド公爵家はいつ到着しても最優先で通してもらえるので、リアナと共にゆっくり来ようと思っていたのだが……エレインに興味を抱いた者たちから会食に呼ばれてしまったのだ。
最初は面倒ね……と思ったものだが、すぐにエレインは考えを変えた。
一気に大人数を掌握しようとするよりも、こういった少人数の場で好印象を与えておく方がいい。
「こんな地味なドレスを着てくるなんて、なんて常識のない女だ! さすがは田舎者!」とお怒りの方々に、完璧な淑女として応対し、微笑んでやるだけでいい。
元から完璧な装いで現れれば、どうしても彼らはエレインの一挙一動に粗さがしをせずにはいられないだろう。
だが「宮廷舞踏会の常識を少々逸脱したドレス」というあからさまな突っ込みポイントを携えたエレインが現れれば、否応なしにもそこへ目が向き、他への採点は甘めになる。
更にはそこで完璧な対応をすれば……もともとマイナス寄りだった印象が、ぐんぐんとプラスに転向することは間違いなし。
「完璧ね。完璧すぎて眩暈がするほどよ」
「倒れるなら俺の前で倒れてくれ。いざという時に君を抱き留めるのは俺でありたいからな」
「ふふ、ならずっと側にいてくださいね?」
……なんて浮かれ気味に言葉を交わしながら、二人は宮殿の奥へと足を進める。
宮廷の重鎮との会食など、何も怖くはなかった。
(私はもう、何も失わない。今度こそ、大切なものを守ってみせる)
そのためなら、どんな苦境も乗り越える覚悟はできている。
何よりも、大事な人が隣にいてくれるのだから。
どんな相手にだって、負ける気はしなかった。




