50 未来の予約
「……君に、忘れられない男がいることは知っている」
あなたのことですけどね……という言葉を飲み込み、エレインは静かに続きの言葉を待った。
「正直に言うと、その男のことを考えるだけで苛ついて仕方がないが……俺は器の大きい男だ」
「自分で言います? それ」
「だから……君の最後の男になりたい」
立ち上がったユーゼルがそっと腕を伸ばし、エレインの体を抱き寄せる。
エレインは抵抗せず、そっと彼の胸に額を押し付けた。
「君にどんな過去があっても構わない。俺が愛しているのは、今の君だ」
「っ……!」
エレインは思わず、ユーゼルの服を強く掴んでしまった。
まるで、エレインの心を……戸惑いや躊躇を見透かすように。
彼は、受け入れようとしているのだ。前世と、今世のこれまでの人生を経た……エレインという人間のすべてを。
(拒否する理由まで塞いでくるなんて、ずるい人……)
シグルドのことを忘れられない心ごと、彼はエレインを包んでくれるというのだ。
……生半可な気持ちで、返事をすることは許されない。
だからこそ、エレインは――。
「少しだけ、待ってはいただけませんか」
小さな声でそう口にすると、ユーゼルはエレインを抱きしめる力を強めた。
「君が待てというのなら、どれだけでも待つさ。一年でも十年でも百年でも」
「……来世でも?」
「可能ならば」
生真面目にそう答えるユーゼルがおかしくて、エレインはくすりと笑う。
何故だか、彼のことがとても愛しく感じられた。
……思えばエレインは、シグルドの面影に囚われて「ユーゼル」自身をよく見ていなかったのかもしれない。
こうしてユーゼル自身と向き合うと、今までになく様々な思いが溢れてくる。
前世でシグルドのしたことは許せない。
だが……そのことで何も覚えていないユーゼルを恨み続けるのは、間違っているのかもしれない。
いつになくすっきりと、そう考えることができた。
そっと体を離し、真っすぐにユーゼルを見つめてエレインは告げる。
「……もう少しで、心の迷いが晴れそうな気がするんです。そうしたら、先ほどの言葉にもきっとお返事ができます」
「……良い返事を期待しても?」
「どうぞ、ご自由に」
そう言って艶やかな笑みを浮かべるエレインに、ユーゼルは驚いたように目を丸くした。
だが、すぐに彼はいいことを思いついたとでもいうように、いつもの余裕の笑みを浮かべてみせた。
「それは嬉しいな。だが俺は、けっこう疑り深い男なんだ」
「……?」
「だから……君の未来を予約したい。これは、その証だ」
そんなわけのわからないことを言って、ユーゼルがそっと顔を近づけてくる。
エレインは驚いた。驚きのあまりユーゼルをひっぱたきそうになったが……反応しかけた腕をそっと抑える。
今はそういう場面ではないとわかっていたし、なによりも……エレイン自身が彼を受け入れたかったのだ。
美しい夜景を背に、二人の唇が重なる。
触れあった箇所からユーゼルの愛情が伝わってくるようで、胸がじんわりとした幸せで満たされる。
鳥の声も、風の音も消えて……二人だけの世界に迷い込んだようだった。
やがて口づけが終わっても、エレインはぼんやりとユーゼルを見つめることしかできなかった。
そんなエレインを見て、ユーゼルは困ったように笑う。
「そんな顔をしないでくれ。……止められなくなる」
「っ……!」
もしかしたら、今の自分はとんでもなく物欲しそうな、はしたない顔をしていたのかもしれない。
真っ赤になってぱっと顔をそむけたエレインに、ユーゼルはくすりと笑って手を差し伸べた。
「君の返事が聞ける日を、楽しみにしている」
「……はい」
登ってきた時とは違いユーゼルに手を取られ、一歩一歩階段を降りていく。
ここへ来る時はどれだけ登っても終わりが来ないような気がしていたのに、彼と二人で階段を降りるのはあっという間だった。
足取りは弾むようで、少し油断すれば無意識に鼻歌でも歌ってしまいそうだった。
きっとユーゼルに負けないくらい、エレインも浮かれていたのだろう。




