47 唯一の人
思った通り、戦史資料館は閑散としていた。
リアナと訪れた王立美術館とは雲泥の差である。
「集客よりも資料保全に重きを置いた施設だからな。このくらいでいいんだ」
「そうなのですね……」
訪れているのは暇を持て余した老人や真面目な学生と思わしき者ばかり。
舞踏会や観劇に行くような、着飾った二人は明らかに浮いていた。
来る場所を間違えているのでは……という視線が突き刺さり、肌がチクチクするような気すらした。
「……ものすごく見られてますよ、私たち」
「そうか? 俺は気にしない」
(まったくもう……)
少しは人の目を気にしたりはしないのだろうか。
(いや……ユーゼルにそんな繊細な神経があったら、婚約破棄されたばかりの小国の伯爵令嬢……それも酔っ払いをぶちのめした私に即座に求婚して、半ば無理やり連れてきたりしないわね……)
思えば最初から、彼の行動は他者の評価を気にしているようには見えなかった。
自分の生きたいように生きた上で、しっかりとガリアッド公爵位を賜った者として周囲に認められている。
……そんなユーゼルを、少しだけ眩しく思った。
(……過去に囚われてばかりの私とは、大違いだわ)
なんとなく気分が沈みそうになって、エレインは慌てて展示物へと意識を集中させた。
ブリガンディア王国の成り立ちについて、戦いの歴史を中心に詳細に記してある。
(へぇ、昔からこんな大国だったわけじゃないのね。戦いを繰り返し、周囲の国を吸収し、だんだkんと今の形になっていった、か……)
ちょうど今エレインが見ているのは、とある戦いの略図だ。
川を挟むようにして睨み合う二つの軍。
一手誤れば、全滅の危険もある状態。
どこか懐かしさを覚えながら展示を眺めていると、ユーゼルがそっと声をかけてくる。
「ずいぶんと真剣だな。……さて、もしも君が指揮官だとして、この状況をどう動く?」
試す……というには楽しそうに、ユーゼルはそう問いかけてくる。
どう考えても、蝶よ花よと育てられた貴族令嬢にする質問ではないだろうに。
「……私の知識を試してます? 残念ながら、この後どうなったかは存じませんわ、扱いからして、ブリガンディア王国が勝利を収めたというのは想像できますが」
「別に、君とクイズ大会がしたいわけじゃない。ただ……この状況、君の采配がどう振るわれるのか気になっただけだ」
「へぇ……」
挑戦的に笑うユーゼルに、エレインの内側の闘争心がむくむくと刺激される。
「わたくし、か弱い淑女なので戦いの作法は存じませんわ……」とわざとらしく演技をして、この場を切り抜けることもできるだろう。
だが、エレインはそうしなかった。
「そうですね……」
先ほどよりも真剣に、周辺の地形図に視線をやる。
「少し離れたところに森が、更に敵軍の背後には崖があります。うまく森を通って崖の上に陣取ることができれば、上から丸太や岩などをぶつけて奇襲をかけることも可能かと。敵軍が混乱している間に挟み撃ちにすれば戦況をより有利に進めることができるでしょう。もちろん、事前に索敵を行い場の状況や、敵軍の伏兵や罠などかないことを確認するべきですが……」
くるりとユーゼルの方を振り返り、エレインは挑戦的な笑みを浮かべる。
「リスクも多いですが、その分リターンには期待できるかと」
きっとエレインの前世――リーファならそうしただろう。
そして、シグルドならきっと賛成してくれた。
だが、今世のユーゼルはどうだろうか……?
貴族令嬢として生まれ育ったくせに野蛮なことばかり考えていると呆れてはいないだろうか。
そんな思いにかられながら、エレインはおずおずとユーゼルの様子を伺う。
(あれ……?)
予想外の反応に エレインは驚いた。
じっとこちらを見つめるユーゼルは、感心したように目を丸くしていたのだ。
「なるほど。君の意見は参考になるな」
ユーゼルは存外優しくそう告げる。
「この時代に君が生きていれば、国一番の指揮官になっていたかもしれない」
「……結局、この戦いの結末はどうなったのです?」
「大雨からの土砂崩れで、敵軍は総崩れになった。ほとんど戦わずしての勝利だ」
「それは予想できませんでしたわ……」
なんだか真剣に考えてしまった自分が恥ずかしくなり、エレインは口を尖らせる。
そんなエレインにユーゼルは嬉しそうに囁いた。
「君とこのような話ができるのは喜ばしいな」
「……貴族令嬢には不要な知識かと思いますが」
「周りがどうだろうが関係ない。俺は嬉しい、ただそれだけだ」
「っ……」
姉の奥底から熱いものが込み上がってきて、エレイン は慌ててユーゼルに顔を見られないように俯いた。
……ずっと、無理をしてきたのだ。
リーファという戦うことしか知らない人間の魂を、エレイン・フェレルという淑女の型に収めようと自分を殺してきた。
誰にも理解されないと思っていた。理解を求めたことすらなかった。
どこに行っても自分は場違いなのだと、この世界に自分の居場所などないとすら思っていた。
でも……。
(もしかしたら、ここにあったのかもしれない)
彼は前世の宿敵で、許せない相手で、今世の婚約者で、無性に気に入らない相手で……。
(彼ならば……いいえ、きっと彼だけが私をわかってくれる。受け入れてくれる)
そんな、唯一の人なのかもしれない。
意を決して顔を上げ、エレインはまっすぐにユーゼルを見つめる。
こちらに向けられた彼の視線には、はっきりと愛情を感じられた。
その優しい表情は、シグルドとは似てもにつかない。
だがそれでも……エレインの心を震わせてやまないのだ。




