42 逃げるなんて、かっこ悪いしね
――「……リーファ、率直に言えば私は喉から手が出るほど君の助力が欲しい。気が変わったら、いつでも会いに来てくれ」
リアナと共に神殿を訪れ、前世の仲間であるイアンと再会してから数日。
エレインは前以上にぼんやりすることが多くなった。
ふとした瞬間に、前世のことを考えてしまう。
時の流れの彼方に過ぎ去った、もう戻れない日々。
大切な故郷、大切な主、大切な仲間。
あの輝かしい日々を奪い去ったシグルドを許すことはできない。
だからといって……何も覚えていないユーゼルを亡き者にすることが正しいのだろうか。
もし前世の敵として彼を討ち果たしたとして……いったい、何になるのだろうか。
(私自身や、皆の無念が晴らせる。でも……失うものも多い)
大好きな兄を奪ったエレインとイアンのことを、リアナは決して許しはしないだろう。
彼女の心に深い傷を残し、一生……もしかしたら今のエレインのように、生まれ変わっても恨まれるかもしれない。
それに、ユーゼルを殺してしまえばもう二度と彼に会えなくなる。
あの飄々とした笑顔も、こちらを翻弄するような態度も、時折……真っすぐに向けられる熱い思いも。
何もかもが消えてしまうのだ。
「っ……!」
そう考えると、どうにもやるせない思いに駆られてしまう。
それ以上のことを考えたくなくて、エレインは無意識に思考をストップさせた。
(私も……平和ボケしてるのかしら)
イアンの糾弾するような視線が脳裏によぎる。
彼は、少し前のエレインと同じように復讐だけを考えているのだ。
彼に同調するべきなのか、それとも――。
「……エレイン様、失礼いたします」
自室でぼんやりしていると背後から侍女に声をかけられ、エレインははっと我に返る。
「あら、どうしたの?」
「公爵閣下がお見えです。エレイン様にお話があると」
(ユーゼルが……?)
――「誰だか知らないが、今の君は俺の婚約者なんだ。そんな男のことは忘れろ」
あの日以来、エレインはユーゼルと直接顔を合わせていない。
エレインはユーゼルに近づこうとはしなかったし、ユーゼルの方も……明らかにエレインを避けていた。
そんな彼が、いったい何をしに来たのだろう。
(……思ったのとは違うけど、婚約を破棄されるのかしら)
この間の一件で、やっとエレインに愛想が尽きたのかもしれない。
少し距離を置いてみて、エレインなど必要ないと判断したのかもしれない。
「あの……具合が悪いようでしたら、ご遠慮いただくよう公爵閣下に申し上げますが――」
遠慮がちにそう言われ、エレインははっとした。
侍女に心配されるほど、酷い顔をしていたのかもしれない。
エレインは慌てて笑顔を作り、口を開く。
「いえ、ユーゼル様にお会いしたいわ。お通ししてもらえるかしら」
「……承知いたしました」
侍女はこちらに心配そうな目を向けたが、エレインの意志が変わらないことを察したのだろう。
一礼して、ユーゼルを招き入れるために背を向けた。
(……逃げるなんて、かっこ悪いしね)
騎士として生きた前世の名残だろうか。
どうしても、敵前逃亡には抵抗感があるのだ。
そんなエレインの意地の下、部屋に通されたユーゼルが姿を現す。
彼が何事か侍女に声をかけると、彼女は一礼して部屋を出ていった。
……ユーゼルの方には、エレインと二人きりで話したいことがあるようだ。
「……どうぞ、お掛けになってください」
傍らの椅子を勧めると、ユーゼルは無言で腰を下ろす。
エレインも向かいの席に座り、そっとユーゼルを見つめる。
その途端思いっきり視線が合ってしまい、エレインは思わず息をのんだ。
……だが、動揺したのはエレインだけではなかったようだ。
いつも不遜な態度を崩さないユーゼルが、何故か気まずそうに視線を逸らしたのだ。
「……?」
彼がこのように言いよどむなんて珍しい。明日は季節外れの雪でも降るのだろうか。
思わずそんなことを考えていると、ユーゼルはわざとらしく咳払いをした後、ゆっくりと口を開いた。
「あー……リアナと王都巡りに出かけたようだな」
「……あなたの許可が必要でしたか? それは失礼いたしました」
「いや、そうじゃない」
てっきりリアナを連れまわした(実際はリアナの方から誘われたのだが)ことを咎められるのかと思いきや、そこは問題ではないようだ。
だとすると、イアンと接触したことだろうか。
イアンが前世の記憶持ちだということは、イアン自身とエレインしか知らないはずだ。
だが、そうでなくとも彼はユーゼルの愛する妹であるリアナの周りをうろつく怪しい神官。
ユーゼルがイアンの存在を認知していないとは思えないし、警戒する理由は十二分にある。
なぜリアナとイアンが合うのを止めなかったのか、彼と何を話したかなど、強く詰問されるのだろうとエレインは身構えたが――。
「……楽しかったか?」
「え?」
想定外の言葉に、エレインは呆気に取られてしまった。
「あの、楽しかったか……とは?」
「そのままの意味だが」
そう口にしたユーゼルは何故か不服そうな顔をしていた。
というよりも……。
(……ん? なんか、拗ねてる?)
なぜだか、エレインにはそう思えてならなかった。




