40 前世の同僚
誰がこの状況を招いたのかは明白だ。
もしもこの状況を招いたのがイアンでないのなら、目の前で公爵令嬢が倒れかけたのだ。
もっと慌てるはずだろう。
だが、彼はまるでこうなることを知っていたかのように平然としている。
……彼が、リアナに何かしたに違いない。
「……リアナに何をしたの」
リアナを片手で抱いたまま、護身用のナイフを取り出し構える。
目の前の男が少しでもおかしな行動を取れば、すぐに息の根を止められるように。
だがイアンはそれでも、少しも動揺を見せなかった。
「おやおや、私を疑うのですか?」
「つまらない芝居はやめて。それ以上戯言を抜かすのならここで殺すわ」
「あなたは私を殺せませんよ。少なくとも、私がガリアッド公爵令嬢に何をしたのかを白状させるまでは」
あからさまな殺意を向けられているというのに、神官イアンは笑っていた。
まるで、この状況が面白くてたまらないとでもいうように。
「例えば薬を盛ったのならば、正しい解毒剤を用いないと思わぬ副作用で彼女が大変なことになってしまう可能性もある。私が死んで情報が得られなくなるのは困る。そうでしょう?」
「……ならばここで、自白するまで拷問してやりましょうか」
「遠慮しておきますよ。あなたに本気で拷問されたらすぐに情報を吐いてしまいそうですから」
イアンはやれやれと肩をすくめると、真っすぐにエレインを見つめ懐かしそうに目を細める。
「……安心しました。すっかり牙を抜かれたと思っていましたが、あなたのその抜身の刃のような鋭さは健在のようで」
「何を、言っているの」
「……今世でもお会いできて光栄です、リーファ」
その名前が耳に届いた途端、エレインはひゅっと息をのんでしまった。
「な、んで……その名前を……」
エレインとして生まれてから、誰にも自身の前世のことを話したことはない。
ユーゼルにさえ、彼の前世である「シグルド」の名前しか口にしたことはないのだ。
どう考えても、目の前の男がエレインの前世である「リーファ」の名を知っているわけがないのに……!
「……あなたは、何者なの」
そう問いかけると、イアンはへらりと笑う。
「おやおや、名乗った通りですよ。私は『イアン』です。もしやお忘れになったのですか? 共に女王陛下のため、命を賭した仲間だというのに」
「え……?」
エレインはもう一度前世の記憶を反芻した。
……確かに、前世の同僚に「イアン」という名前の男がいた。
特別親交があったわけではないので、彼についての詳細な記憶はないが……もしも、彼があの「イアン」だとしたら――。
「あなたは……前世の記憶があるの……?」
おそるおそるそう問いかけると、イアンは鷹揚に頷く。
「えぇ、もちろん。だからこそこうして、前世と同じ名を使い続けているわけですが……私も自分と同じように前世の記憶を持っている相手に出会うのは、あなたが初めてですよ、リーファ」
どこか懐かしさすら感じさせる笑みを浮かべる前世の同僚を前に、エレインは思わず脱力しそうになってしまった。
「……で。何でリアナを眠らせたのよ。もしリアナに何かあったら許さないから」
とりあえずは武器をしまって座り直し、エレインはリアナを支えたままイアンに問いかける。
目の前の男の正体はわかったが、それでも彼の行動には疑義が残るのだ。
「ごくごく一般的な睡眠薬なのでご安心を。もちろん、後遺症の心配もありません。私もこんなにすぐに効くとは驚きですよ。きっと、お疲れだったのですね」
「……今日一日、私のために頑張って王都を案内してくれたのよ」
「それはそれは。美しき姉妹愛ですね」
「……茶化さないで」
ぎろりと睨みつけると、イアンはやれやれとでもいうように肩をすくめた。
「それで、わざわざ薬まで盛ってリアナを眠らせた理由は?」
「……こうして、あなたと二人きりで話す機会を作りかっただけですよ、リーファ」
……エレインの目の前で、イアンは穏やかな笑みを浮かべている。
だが彼がただ単に昔の思い出話をしたいわけではないということは、エレインもよくわかっている。
「……どうして、私が『リーファ』だとわかったの」
「先日の婚約披露パーティーに出席された方からあなたの活躍の話を伺いまして、もしやと思ったのです。……ユーゼル・ガリアッドが気に入った相手というだけで、ただ者ではないというのはわかっていましたから」
ユーゼルの名前を聞いた途端、エレインの心に動揺が走る。
それを見透かしたかのように、イアンはすっと目を細めた。
「ユーゼル・ガリアッドの動向には以前から注意を払っていました」
「……彼に、前世の記憶はないわ」
「えぇ、そのようで。ですが……まさか、何も覚えていないからすべてを許すつもりになっているのですか?」
イアンの視線が、エレインを糾弾するように鋭さを増す。
……あぁ、やはり彼もエレインと同じ想いなのだろう。
「リーファ。何故今まであの男を――裏切り者のシグルドを殺さなかったのですか」
その言葉に、エレインはぐっと拳を握り締めた。
心の内の柔い場所を、引きずり出されている。そんな気分だ。




