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39 王都の神官

「お会いできる日を楽しみにしておりました、ガリアッド公爵夫人」


 どうやら神官の青年はエレインが既に公爵夫人の座に収まったと思っているらしい。

 ここは訂正するべきかまだ公爵夫人ではないと流すべきか……と迷っていると、リアナが助け舟を出してくれる。


「イアン様、お姉様はまだお兄様と正式に結婚されたわけではないので、公爵夫人というのはその――」

「おっとこれは失礼いたしました。どうも俗世には疎くて……よろしければ、お名前を伺っても?」


 神官の青年は爽やかな笑みを浮かべている。

 だがその笑顔にどこかうさんくささを感じ取ったエレインは、少しの棘を含ませ言い返した。


「……失礼ですが、初対面の相手に名を尋ねるならば、先にご自身が名乗られては?」


 エレインの言葉を受けて、神官の青年は気分を害した様子もなくさらりと告げた。


「おやおや、私としたことが……大変失礼いたしました。この神殿に仕えるイアンと申します」

「イアン……」


 何の変哲もない、昔からありふれた名前だ。

 なんなら、エレインの前世であるリーファの知り合いにも同じ名の者がいたくらいに。

 なんにせよ、彼が名乗ってくれたのだからこちらも名乗るべきだろうと、エレインは外交用の笑みを顔に張り付けた。


「お初にお目にかかります、イアン様。フィンドール王国より参りました、エレイン・フェレルと申します。現在はガリアッド公爵家のユーゼル様と婚約し、公爵邸に滞在しておりますの。リアナとも、とても親しくさせていただいておりますわ」

「お会いできて光栄です、エレイン様。ガリアッド公爵令嬢からお噂はかねがね伺っております」


 暗に「こっちはリアナの保護者ですから」と牽制しても、神官イアンは少しもたじろぐことなくリアナとの仲の良さを強調してきた。

 ……おもしろくない。非常におもしろくない。

 このイアンという男はどうも得体が知れない。

 こうして少し話しただけで、なんともいえない薄気味悪さを感じてしまう。

 だが、何よりもエレインがおもしろくないのは――。


「イアン様とは、その……以前からお手紙のやりとりをしておりまして……」


 頬を赤らめながらちらちらとイアンの方を窺うリアナは、まぎれもなく恋する乙女の顔をしていた。

 誰に説明されなくともわかる。リアナが、この胡散臭い神官に恋をしているということぐらい。


(リアナ……何故こんな胡散臭い男に!?)


 エレインは微笑みの表情を取り繕ったまま、内心でショックを受けていた。

 リアナとて年頃の乙女だ。誰かに心惹かれることもあるだろう。

 だがその相手が胡散臭い神官とは……リアナのことを悪く言いたくはないのだが、どう見ても趣味が悪い。


(私だってリアナの恋路を邪魔したいわけじゃないわ。でも……さすがにこの男はどうなの?)


 今のリアナの態度を見れば、誰だって彼女の想いを悟らずにはいられないだろう。

 ……もちろん、イアンだってリアナの想いをわかっていないわけがない。

 神官という立場なら、それこそリアナの想いを律しようと距離を置いたり、諭したりするべきではないのだろうか。

 それなのにこのイアンという男は、まるで何も気づいていないかのように平然と振舞っているのだ。

 しれっとリアナと文通を続け、今日エレインをここに呼びよせたことも……まるで何かを企んでいるような気がして、エレインの胸がざわついた。


(何を思って、私を呼び寄せたの? まさか、還俗してリアナと正式に結婚する気だから協力しろってこと……?)


 だとしたら、もっと真摯な態度で臨んでほしいものだ。

 まるで他者を煙に巻くようなイアンの態度は、どうもエレインの癪に障る。

 目の前の男にいつかリアナを奪われるのではないかと思うと、我慢がならない。

 まだ会ってわずかな時間しかたっていないというのに、既にエレインにとって目の前の神官の心証は最悪に近かった。


「それで、お兄様は本当にエレインお姉様のことがお好きでいらっしゃって……」

「エレイン様はとてもお美しい方ですからね。公爵閣下が気に入られるのもわかります。私も今日初めてお会いしましたが、まるで女神が現れたのかと驚いたものです」

(よくもまぁ、そうべらべらと口が回るものね……)


 イアンのしらじらしい誉め言葉を聞き流しながら、エレインはティーカップを口に運ぶ振りをしながら大きくため息をついた。


「えぇ、お姉様はとてもお綺麗で、でも、それだけじゃなくて……強くて、お優しくて……」

「リアナ?」


 嬉しそうにエレインのことを紹介していたリアナだが、だんだんと言葉がたどたどしくなっていく。


「どうしたの? 調子が悪い?」

「すみません、なんだか眠くて……」

「リアナ!」


 心配するエレインの目の前で、遂にはリアナの体がぐらりと大きく傾く。 

 すぐに抱き留めたので大事には至らなかったが、もしもエレインの対応が遅ければ、彼女の体は床に叩きつけられていたかもしれない。


(くっ、私がついていながら……)


 エレインはぎゅっと悔しさに唇を噛みしめ、鋭い視線で睨みつけた。

 ……リアナの異常にも一切我関せず、平然と笑みを浮かべている男を。

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