暗黒龍は恋を知る(中)/涙
日記を持つ手が震え始めました。
なのに、それを机へ戻す事ができません。
マキナさんの綴る、私も知らない「私」。
その衝撃が体を硬直させました。
自覚なんて何一つありません。
今ですらこの文字列に違和感を覚えます。
それでもマキナさんはアリク様の恋人。
別れたとはいえ、その理解度は深いはず。
この日記に、きっと答えへの道がある。
一連の騒動の真相も。
リッカちゃんの残した言葉の意味も。
そう信じ、私は次のページをめくりました。
『今日もラナさんは、笑顔を振りまく。彼女の無邪気さは、どこか不安定で、心配だ』
私の深層を読み透かした直後の日記です。
ここから日記の内容は変わりました。
全て私に対する心配の内容へ。
相当私に気をかけてくれたようです。
だけれど私は全く気付きませんでした。
勘は鋭いとアリク様にも褒めてもらっていたのですが、ここまでの変化に気づかないなんて。
研究者的な私への関心が続く日記。
私はそれをゆっくりめくっていきました。
そして、私は再び手を止めます。
日記の内容は、少し不穏です。
『ラナさんの事で、アリクさんと、喧嘩した。初めての喧嘩だった。アリクさんは、怒り慣れていない』
私のせいでお2人が喧嘩した。
その内容に、私は少し胸が痛みます。
文章からマキナさんの感情は読めません。
綴られているのはアリク様の状況だけ。
もどかしさが心に残ります。
それを解決する為、次のページへ私は目を移しました。しかし、そこにはただ一言。
『仲直りした』
淡白な文字でこう記されていました。
もどかしい感情は残されます。
2人の間でどんなやり取りがあったのか。
その陰には一つの光もありません。
わかるのは、原因が私である事。
逆にそれが不安を掻き立てます。
自覚のない私の恋心。
それに不安を覚えたマキナさん。
結果それはアリク様との喧嘩に発展した。
2つの心象と1つの事象。
私には、何も読み解けません。
真っ白になる思考と泡立つ焦燥感。
今日1日で、私のリズムは崩れました。
目の前の問題を見つめるしかできない。
後ろも前も見えません。
私はもう無心にヒントを求めました。
かぶりつくように、次のページへ。
『アリクさんと、相談した。彼もまた、現状の歪さを、理解していた』
そこにヒントはありません。
感じ取れるのはお2人の苦悩。
それも、うっすらとだけです。
視線をすぐに次のページへ。
『ふと私は、自分とラナさんを重ねた。どんな人物にも、共通点は見出せる。私と、ラナさんにも。そのおかげで、一応の答えを見つけられた』
……再び、答えには遠い一文。
アリク様が私達を置いていった理由は結局一切掴めず、しかも私には自意識のない恋という呪いが植え付けられました。
焦燥感はいつの間にか苛立ちへ変わり。
出口のない迷路を彷徨う感覚に満ちます。
それでも私の神経は過敏でした。
背後に近づく足音を感じ取ります。
足音の正体は恐らくマキナさんです。
私は一瞬たじろぎました。
知り合いとはいえ無断での侵入です。
加えて読んでいるのは日記です。
そう、私は悪い事をしているのです。
しかしまだ内容が気になります。
1ページ先に答えはあるかもしれません。
たった1ページでも読む価値はあります。
私はそう決心し、ページをめくりました。
私が読める最後の1ページ。
背後に迫る足音に心臓をざわつかせながら、私はその文を読みました。
『悩み抜いて、アリクさんに別れを持ちかけた。好きな感情は、変わらない。でも、今のままでは——』
そこまで読んで、私は日記を閉じました。
読みたい気持ちは山々です。
でも、もう悪さもここまでです。
日記を持ったまま、私は振り返ります。
そこにはやはり、マキナさんの姿。
彼女は小さく微笑みながら私を見つめます。
私はバツが悪くなり俯きました。
ざわついた心は罪悪感で静まりました。
そんな私に、マキナさんは囁きます。
「人の日記を読むなんて、意外と悪い子ですね」
「……ごめんなさい」
私は一層頭を深く下げました。
悪い事と知って、欲望に負けたのです。
弁解なんてできません。
謝ることしかできません。
そんな私から、マキナさんは自らの日記をやさしく取り上げていきました。
対して私は頭をゆっくりと上げます。
彼女は、自分の日記を読んでいました。
まるで何かを回顧するように。
そこまで遠い過去ではありません。
しかしマキナさんのその顔は、まるで遠い日々を懐かしむような表情でした。
日記を読みつつ、彼女は呟きます。
私の悪事を気にしていないかのように。
「私も驚きました。まさか私が、アリクさんにあそこまで自分を委ねていたなんて」
それは、私に共感を求めるようでした。
アリク様に自らを委ねる。
確かに私もその通りでした。
アリク様と一緒にいると心が安らぎます。
一緒にいるだけで幸せを感じます。
だからこそ、マキナさんが不審でした。
まるでマキナさんは、その幸せを快く思っていないような表情で語りかけてきたのです。
共感を求めているのに否定してくる。
その矛盾に、私は身構えました。
しかし当のマキナさんは真逆でした。
私に一切敵対心を持っていません。
逆に私を抱擁するかのようです。
彼女は両手を軽く広げ、続けます。
「私の抜け駆けに、リッカさんは泣きました。でも彼女は1人で立ち上がり、道に戻りました。アリクさんの事も諦めていません」
それは、昨晩の事を思い出させました。
眠れずにリッカちゃんと過ごした1夜。
私はその中で、彼女の輝きを見ました。
彼女は失恋から立ち直っていました。
それどころか失恋すら無にするつもりです。
恋も夢も諦めず立ち上がるリッカちゃん。
私はそこに、妖艶な大人の魅力を見ました。
彼女はアリク様に自分を委ねていません。
それでも彼女はアリク様が好きです。
彼女は彼女のまま、恋をしています。
「……あれ?」
「気づきましたか?」
マキナさんの言う通り、私は気づきました。
リッカちゃんはアリク様に委ねていません。
様々な場面で頼っている所はあります。
でも、彼女は自分の意思で動いています。
人間になりたいと思っていたのもそう。
アイドル活動を始めたのもそう。
最後には、自分の意思で動いています。
マキナさん達の恋模様はわかりません。
普段は大人っぽい関係に見えました。
しかしご本人は委ねていたと言っています。
それは、私と同じでした。
でも……マキナさんは、別れました。
私はどうでしょう。
今日1日を軽く振り返りました。
アリク様が消えてたった半日。
それだけで私は大いに取り乱しました。
まるで目の前の道を絶たれた気分でした。
……私は、アリク様に恋をしている。
マキナさんによく似た恋の形で。
でも、それは歪なものだった。
だからマキナさんはそこから脱した。
自ら涙を流して。
未練を抱きながら、アリク様と別れた。
…………そういうことだったのですね。
恋を認めて、初めて気づきました。
そんな私にマキナさんは問いかけます。
「夢で泣いていた子は、誰ですか?」
その答え、今なら導き出せます。
答えは——
「——私」
マキナさんとアリク様の関係を知った私達。
その時、リッカちゃんは失恋に泣きました。
そして私もアリク様に恋をしていました。
しかし、私はそれを押し殺したのです。
いつまでも身を委ねていたいから。
彼の与えてくれる幸せを浴び続けたいから。
"想い人"ではなく、飽くまで子供として。
私の想いを無視してお2人を祝福しました。
大人になったリッカちゃんとは対照的に、私は子供として立ち止まったのです。
気づかぬうちに、私は演じていたのです。
……なんて歪な恋なのでしょう。
リッカちゃんの綺麗な恋とは真反対です。
でも、やっと私はそれに気づきました。
アリク様が私達の前から消えて、やっと。
私は、私の恋を知ったのです。
途端に私の感情の堰は途切れました。
胸から喉元に駆け巡る感情の爆発。
それを、私は抑えられませんでした。
マキナさんはそれを知ってか、続けます。
「きっとラナさんは予知したのです」
「……っ、っ」
「アリクさんが消えてしまう事を」
「…………ぐずっ」
「だからあなたは、夢で泣いていたのです」
そして、その夢は現実に溢れました。
入り混じった感情が嗚咽に変わります。
涙が頬を伝っていきます。
もう私は子供ではいられません。
自分の恋心を知ってしまったのですから。
でもその衝撃は私に耐え難くて。
今にも足元から崩れ落ちそうで。
そんな私を、マキナさんは抱きしめました。
「私のせいです。胸で良ければ貸します」
「う、ぁ————っ!!」
私は声の限りに泣きました。
マキナさんの——恋敵の腕に抱かれて。





