10. ようこそ王都へ、さっそく借金です
数日の道のりを経て、俺たちはついに王都へと辿り着いた。
遠くからでも目に入るほどの高い城壁。灰色の石を積み上げたその威容は、村の柵とは比べものにならない。門前には行商人の馬車や冒険者風の一団が列を作り、兵士たちが荷を改めている。
俺は思わず足を止め、喉を鳴らしてごくりと唾を飲んだ。
(ここが……王都か。俺たちが冒険者として歩き出す場所……)
胸の奥に、期待と不安が入り混じる。
「ふふん、相変わらず人が多いわね」
ヴァルは門の前に立っても緊張した様子などなく、堂々と腕を組んでいる。まるで“ここが自分の庭”だと言わんばかりだ。
「どうしたのルクス、口あいてる」
マイラが肘で俺の脇をつついてくる。慣れた様子で周囲を見渡す彼女の横顔は、どこか誇らしげだった。
「ここからが本番だよ。しっかりね」
「あ、ああ……分かってる」
少しだけ救われたように頷き、俺は門へと歩を進める。
やがて兵士に呼ばれ、順番が回ってきた。
俺たちは身分証を提示し、荷を簡単に改められたあと、重厚な門をくぐる。
目の前に広がるのは、石畳の広い通り。両脇には高い建物が並び、行き交う人波は絶えない。商人の声、荷馬車の車輪の音、冒険者たちの笑い声が入り交じり、王都の活気が全身に押し寄せてきた。
(すごい……本当に別世界みたいだ)
俺はただ圧倒されるばかりだった。
(ああ、そうだ。俺はこの街で、マイラと肩を並べて冒険者として生きていくんだ)
――王都。
ここから先が、俺たちの新しい舞台だ。
石造りの広いホール。人で賑わう受付の列に並び、ようやく俺たちの順番が回ってきた。
身分証を差し出すと、受付はさらさらと書類をめくる。だが、次の瞬間、眉間に皺を寄せた。
「……マイラさんですね?」
「はい」
「こちらの記録に、未払いの借金が残っていると記載があります」
周囲のざわめきが一瞬で重くなる。
マイラの顔から血の気が引いた。
「ち、違います! それは――!」
その時、後方から低い声が響いた。
「やっぱり来たか」
粗野な笑みを浮かべた数人の冒険者が立ち上がり、こちらを指差す。
「この女、昔俺たちと組んでたんだ。依頼でこさえた借金を全部押し付けて逃げたんだぜ。ギルドじゃ有名な話だ」
「嘘よ!」
マイラは震える声で叫ぶ。
「私が払うって決まってなかった! 全部、あんたたちが勝手に……!」
「記録には“マイラの責任”って残ってんだよ」
男が書類を突き、周囲の視線が冷たく集まる。マイラの肩が小さく震えた。
そのとき――。
「……随分と、下らない茶番ね」
ヴァルが一歩前に出る。その瞬間、空気が張り詰めた。
ざわめきは一拍で消え、場にいた冒険者たちは息を呑む。
「あ、あれ……ヴァレリアじゃないか?」
「なぜ王都に……?」
誰も彼女に軽々しく話しかけようとはしない。ただ畏怖と敬意が混じった視線が、ヴァルへと注がれていた。
ヴァルは机に肘をつき、冷ややかに元仲間たちを見下ろす。
「借金? 踏み倒し? ……記録なんて、いくらでも都合よく書き残せるものよ。本当にこの娘の責任だって証明できる?」
男たちは顔をひきつらせ、喉を鳴らす。
場が凍りついたそのとき――ヴァルがさらりと口を開いた。
「ま、私も借金あるけど」
「……え?」
俺は耳を疑った。
「昔、王都の酒場でちょっと派手にやらかしてね。桁がひとつ増えて請求されたんだけど、面倒だからまだ払ってないのよ」
悪びれる様子もなく、ヴァルは笑いながら酒瓶を掲げる。
俺の顔から血の気が引いていく。
「し、師匠……それ、笑いごとじゃないですよね!? 俺まで連帯で巻き込まれたりしませんよね!?」
ヴァルはにやりと笑い、わざとらしく俺にウィンクしてみせた。
「弟子は師匠の責任を背負うもんでしょ?」
「やめてくださいそんな恐ろしい弟子制度!!」
場の空気が一瞬だけ和んだが――すぐに冷たい現実が戻ってきた。
受付嬢は咳払いをして声を張る。
「……ですが、ギルドとしては記録を無視することはできません。マイラさんはすでに冒険者として登録済みですが、未払いの借金がある以上、このままでは登録の破棄処分となります」
「なっ……!?」
マイラの顔が一気に青ざめる。
「借金の名義はマイラさんに残っています。総額――銀貨八十枚です」
その数字に、俺は思わず耳を疑った。
「ぎ、銀貨八十……!? 一家が二年は暮らせる額じゃないですか!」
ホールにざわめきが広がる。
「銀貨八十枚だと……!」
「そんな額、普通の新人が返せるもんじゃない」
マイラは唇を噛み、俺の袖を掴んで震える声を絞り出した。
「やっと……やっとここまで来たのに……」
俺は拳を握りしめ、奥歯を噛みしめた。
受付嬢は毅然とした態度を崩さない。
「決定はすぐではありません。ただし、早急に返済の目処を立てていただかねばなりません」
重苦しい空気が流れる中、ヴァルが口元を緩めた。
「へぇ、八十枚? ふふっ、私より多いじゃない」
「え……」
冗談めかした声音に、マイラが顔を上げる。だが、その瞳は真剣だった。
「心配することないわ。――解決策ならある」




