初陣 2
助手席に乗せて貰って、黙り込んだままの陵平が後部座席に座る。瀬良刑事の車は小型のスポーツタイプで、今時珍しいマニュアル車だった。
「この車は父の形見なのよ」と、少し寂しそうに言う。
「大事な人ができると、人生って変わるのよね」
沈黙をかき消すためか、今度は瀬良さんが喋り出す番と言わんばかりに口を開く。ラジオから洋楽のバラードが流れ、夜の帳が降りた室蘭市内の住宅地へと進んでいく。
通った小学校の前を通ると、教室の窓に白い靄がいくつか立ち並んで見え、通学路の途中にあった数軒の廃墟からも視線を感じた。自分の生死がわからず一人立ち止まったまま動けない霊を何人も視てきた。強い執着がある霊は、漏れなくより強い執念の塊に取り込まれていく過程も知っている。
誰一人、あの世に送り出したことはないけれど。私に出会えたことを喜んで自ら天国のドアを開けて昇天した霊もひとりいた。それはビョンデットに出会う数年前の出来事だった。思えば、あの時から私は自分の役割についてじっくりと考えてきたのだ。与えられた力を正しく使う道を求めて、素人ながらに小さな挑戦を繰り返してきた。
私の助けを必要としている霊がいるなら、力になろう。
それが、私の存在理由だと真剣に思っていたんだ。
「あなた達、付き合ってどれぐらい?」
唐突にまた、瀬良さんの質問が飛ぶ。
私は咄嗟に「付き合ってなんかないです」と、答えていた。
「即答かよ」
傷付いたような声がして、私はハッとした。でも会話が続かない。沈黙が重い。
「お似合いの二人に見えるけどな?」
「………」
「俺はこいつのこと、すっごく好きなんですけどね」
陵平がぶっきらぼうに瀬良さんに答える。
「今日はデートのつもりで着いて来たら、吃驚の連続で。
学校ではむっつりして誰とも絡むつもりもないって顔してるし、蓋を開けたらこんなお人好しだとか、色んな意味で予想を裏切られっぱなしですよ」
瀬良さんの視線を感じながら、私は唇を噛み締めていた。
デートなんて意識さえしなかった。
便利だから着いてくることを許可した。
自分の都合しか考えてない。
私は誰かに好かれるほど良い人間じゃない。
「普段、冷たいけど一度心許した途端、生涯の親友になる。そういうタイプなんじゃないかしら? じゃなかったら、こんなに熱心に友達を助けようなんて出来ないわ」
「そもそも、人助けなんて余裕がある奴にしかできないことでしょ? まどかに人助けする余裕があるとは、俺には思えないんだけど」
「どういう意味?」
「こいつ、しっかり者っぽいけど結構年相応なんですよ。本当は一人でなんでもやってますって顔してるけど案外そうでもないのは、やっぱり怖いから、だろ?」
今日一日だけで私達はお互いのことを知ってしまった。
私自身さえ自覚してないところまで、こいつは見抜いている。
それはそれで嬉しくもあるけど、やっぱり少し怖い。
人並みに怖いという感情を持っている自分に、また別の安心を覚えた。
いつの間に現場に着いてしまい、気詰まりの空気を解放するようにドアを開けた。静かなる住宅地の中に佇む佐伯宅は屋根が残ってはいるが、明らかに黒く焦げた後の無残な廃墟となっていた。キープアウトの黄色いテープも切れて風に吹かれている。
すでに心無い若者が侵入した跡がドアや壁に見受けられた。
下手くそなスプレーアートだが、アートというのならもうすこしマシなセンスを持ち合わせてくれないと苛立つだけのものだと思う。
「ちょっと目を離すとこうよ……」と、瀬良さんのため息が聞こえた。
敷石のところからすでに強力な結界を感じる。
私は手で瀬良さんの進行を制した。
「行かないで。この前来た時とはくらべものにならないぐらい、ここはマズイ場所になってる」
「どうしてわかるの?」
無言で瀬良さんを睨みつけると、彼女は黙って後ろに下がった。
「じゃ、三十分で片付けてきます」
私が行こうとしたとき。
バンッとドアが閉まる音が聞こえ、迫り来る気配を感じて振り向こうとしたら、もう飛びつかれていた。
温かい生身の身体に巻き付かれ、驚いて身動きが取れなかった。
痛いぐらいに男の鎖骨が頬骨に当たる。陵平が加減もわからずに私の後頭部を掴んで、ぎゅっと自分の身体に押し付けているのだ。こんな下手くそな抱きしめ方ってあるかよ、と心の中で笑ってしまった。
「格好つけやがって!! ばかやろう!! 無茶すんなよ!! ヤバイと思ったら逃げろ!! 全力でお前を連れて逃げてやるから!!」
バカみたいなセリフで、やっぱり笑ってしまった。
必死な陵平の肩甲骨に触りながら、目を閉じて光を見つめる。
誰かのために祈る気持ちが、光を強くするんだ。
「……これが終わったらちゃんと話し合おうよ。今日は、ありがとう」
「礼なんて今言う奴がいるかよ!!」
確かに。
「頑張れ!! 俺はお前の勝利を信じる!!」
不器用ながらも力強い応援に、私は嬉しくなった。陵平の肩越しにこっちを見てる瀬良さんも「頑張って!」と激励してくれたし。
でも、陵平はなかなか手の力を緩めようとしない。
肌の柔らかさや陵平の汗臭さがだんだんと馴染んで離れがたくなる。
そんな場合じゃないというのに。
「わかったから、離せよ」
その一声で、いとも簡単に腕を解いた陵平は切羽詰まった顔をして私を見つめてきた。
「話なら、あとで。もう行く」




