深淵を覗くとき 3
「魂は生まれる場所を自分で選んで決めて来るんだ。こういう話、聞いたことある?」
陵平は首を振る。
「意味のない存在なんかいない。どんな荒んだ人生にも学びは得られる。親が腐ってても、子供まで腐る必要はない。本当は皆、初めから最期まで自由なんだ。
だけど、私達は生まれて来る瞬間に全ての計画を忘れてしまう。そうしなければ、赤ん坊ではいられないからね。
やがて成長すると、本来の計画に戻っていくんだ。
私は今、その計画に戻る途中にいるんだと思ってる。この寂しさもお前との出会いも、全部無駄じゃないと思ってる。
私はほかの誰かでもなく、私に還る。
私の人生を生きるために……」
「……俺にも、そんな計画があるのかな?」
くそ真面目な顔して、陵平は言った。
「そりゃ、あるはずさ。誰にでもあるんだ。自分を見つけるまで、私達は諦めてはいけないんだ」
そうだ。
だからこそ、美貴を本来の自分に還してあげなくちゃ。
外れた軌道を回復させる。
美貴の人生を取り戻す。
私は自分の為に美貴を助けたい。
もう一人の自分自身だ、と感じるからだ。
「父親が誰であれ、私は変わらない。
普遍なものがなくても、私自身が普遍の存在になればいい。
両親がいなければ生まれて来ることも出来なかったけど、
両親がいてもいなくても、私は自分らしく生きたい。
だから美貴にも戻って欲しい。
私に友情を感じてくれた大事な人だから、悪魔なんかに渡せない」
「……なんかカッコいいけどさ、カッコつけ過ぎじゃね?」
陵平が両腕を胸の前で組みながら、奇妙な笑顔でそう言った。
それから私は陵平に悪魔について説明していた。
黙って聞いてくれる陵平の表情は優しくて、相槌も笑顔も驚いた顔も楽しくて。
こいつが一緒に居てくれるというだけで、不安が消えていることに気付くと、今度はくすぐったい気分になった。
私の話を遮らずに聞いてくれる存在は、美貴以来だったから―――。
「なんで私なんかに興味沸いたの?」
唐突だとは思ったけれど、どうしても聞いてみたい質問だった。言っている途中で、急に怖気づきそうになったのは、どういうわけだろう?
隣にいる陵平の顔を見上げると、奴は遠くを見つめて目を細めた。
「昔、近所に野良猫がいてさ。茶色で筋模様が入ってる種類だから、皆でチャトラって呼んで可愛がってたんだ。なんか、そいつに似てる奴がいるなって思って」
「どんな猫だよ?そいつ」
「そうだな。人に懐いているようで懐いてないっていうか。一定の距離感を絶対に崩そうとしないんだ。食べ物あげても媚びも売らないで、さっさと食べたら消えちまう。でも、会いに行けば必ず挨拶だけはしてくれる、そんな猫だったよ」
そんな猫と私がどう似ているというのだろう。
「思い切って話しかけても、チラッとこっち見てすぐそっぽ向くところとか」
陵平の視線がこっちに向いた。その瞳が今まで見た中で一番、優しげだったから、思わず心臓が跳ねた。
「気心許してるかどうか、相変わらずよくわかんないリアクションとか。
大人びてるから精神年齢すんげぇ高そうに見せておいて、実は年相応の女の子だったとか。
チャトラもそんな猫だった。死んじゃったけどね」
両目とも虹のアーチ型にしながらも、寂しげに笑う陵平の声がまっすぐ胸にしみ込んでいく。
「で、お前と会話する度にチャトラを思い出す。
本当は飼って俺だけの猫にしたかった。同じこと考えた誰かが、首輪付けて連れて行ったって聞いて。でも、数日後もとの住処の近くの道路で、車に轢かれて死んでるチャトラを見つけたんだ。自分の居場所に戻ろうとしたんだろうな……。
そっとしておいてやれば、あいつは死なずに済んだんじゃないかってずっと考えてた」
昏くらい目になった陵平は寂しげだった。
つい、手が伸びて奴の手に重ねている自分がいた。
驚く目を向けてきて、私も少しだけ顔を反らしつつもしばらく無言で見つめ合った。
「……猫の代わりだったのかよ」と気恥ずかしい沈黙を破ってみると、陵平は肩をゆすって笑いだした。
なにがそんなに可笑しいのかわからず、待ってしまう。
「あ~あ、やばいわ。お前、なんか急に人間らしくなったよな。男っぽいとか思ってたら、案外ちゃんと女子っていうか……」
「………」
無言で睨んでやったら、視線に驚いて今度は笑うのを突然やめた。
「怒った? ごめん、俺調子に乗るとウザいってよく言われる」
「……そんなこと、とっくに知ってるし」
「うぉう、照れてる?」
陵平は寄生を上げてから、絡んでくる。まるで酔っぱらいみたいで、ウザい反面少しぐらいは楽しい気分も混じってはいた気がした。
「良かった。ホッとする……。やっと、ここまで来れた」
「なんだよ、大袈裟な奴だな」
「だって、普段のお前って本当にとっつきにくい顔してるからさ。学校でも、通学路で会う時も、この世の不幸全部見て来ましたっていうような気難しい顔してて。
せっかく同じ空間で息してる仲間なのに。
自分の世界に閉じこもって、周りと馴染もうともしないお前が、本当は何を考えているのか知りたくなったんだ」
「知って、どう思ったんだよ?」
口から心臓が出るほど、という比喩が最も相応しいほどに心臓が激しく高鳴る。
祈るような気持ちで、一度両目をぎゅうと瞑っていた。
「怒るかもしんないけど、なんか面白いなぁって」
そんな予想外な返事をくれた彼は、無邪気な絵顔を浮かべていた。
面白いだなんていわれたことはない。大抵は胡散臭そうな目や好奇の視線。お前はこっち側にいちゃいけないという拒絶の壁を張られ、私は受け入れられていないものだと結論付けていた。初めから一人なら寂しくとも何ともない。
こんな風に笑顔を見せあうような相手なんか久しいせいか、いちいち舞い上がりそうな気分を抑えていると。
「今朝、下着姿見たときは殴られるんじゃなかってヒヤッとしたけど、反応が普通の女の子だったしな」
「寝ぼけてたんだよ」
「寝ぼけてたとしても、あんな格好でいつも寝てんの?」
「私がどんな格好で寝ようと、お前に関係ないだろうが」
「我が家には女がいないからさ……。女もパンツ一枚で家の中うろうろしてるのかなって」
―――しつこいんだよ。
私の睨みに気付いた陵平は黙り込んだ。
「くだらない話はもう終わり。さっさと病院に行くぞ。時間がいくらあっても足りなくなっちまう」
吹き付ける風を切るようにスタスタと歩き出すと、陵平は長い脚を大股に開いて追いついてきた。




