24話 牛落とし
俺は中型犬ほどの視線の高さで、トコトコと草原を歩く。
前方には、前世の感覚で軽自動車くらいのスイギュウが群れている。
――でかいんだが。
軽自動車は、重量1100キログラム未満。
スイギュウは、重量900キログラム未満。
スイギュウの時速は60キロメートル近いので、ほぼ軽自動車だ。
中型犬サイズの俺が突っ込んだところで、撥ねられて終わりである。
そんな大人のスイギュウを避けて、子供のスイギュウを探す。
スイギュウは出生直後で、体重30キログラム。俺の1.5倍である。
それでも、軽自動車を相手にするよりはマシだ。
俺は、一番小さい個体を探した。
スイギュウは群れているので、身体が小さい個体は、直ぐに見つかる。
目に付いた仔牛に向かって、俺は少しずつ、にじり寄っていった。
――俺のことは、完全に無視しているな。
軽自動車で走っていたところ、道路脇に中型犬が見えたようなものだ。
運転手は、気には留めるかもしれないが、行動を変えたりはしないだろう。
俺が噛み付いたところで、軽自動車は掠り傷である。
相手が完全に舐めていることを確信した俺は、魔法を行使した。
『シュタインヴェルフェン』(投石)
投げた石の大きさは、野球ボールほど。
石の速度は、高校球児が野球のボールを投げるほど。
3メートル四方の穴を掘る土魔法が使えるので、それくらい造作もない。
俺は前世で高校球児ではなかったが、小学生の頃にキャッチボールはしたので、投げるイメージも出来る。
俺が投げた石は、仔牛の背中にゴスンとぶつかった。
「ウモッ!」(痛いッ!)
いきなり石がぶつかれば、普通は驚いて鳴くだろう。
周囲のスイギュウ達は、鳴き声に驚いて、一斉に仔牛のほうを見た。
『シュタインヴェルフェン』
再び唱えた魔法で、投石が繰り返された。
飛んでいった石が、今度は仔牛の尻にぶつかる。
『モォゥッ!』(ウヒャァ!)
スイギュウは、まるで尻を叩かれたように、情けなく鳴いた。
もしもスイギュウが二足歩行であれば、手で身体を庇えただろうか。
だがそんなことは出来ないので、投石で身体を打たれるがままとなっている。
俺は嫌がるスイギュウに向かって、連続で魔法を唱えた。
『シュタインヴェルフェン、シュタインヴェルフェン、オーレ!』
ちなみにオーレは、おまけで言ってみた。
俺が前脚を振る度に、石が飛び出して、仔牛に向かっていく。
そして頭や尻に、ゴンッ、ガスッと、ぶつかっていった。
『ウモォ、モオオッ、モオオッ』(ギャア、止めてっ、ママーッ)
仔牛は逃げ惑うが、俺は標的を変えずに、1頭の仔牛だけを執拗に狙った。
それは投石の魔法で怯えさせるのではなく、仔牛を守る行動を促すためだ。
最初に困惑したスイギュウ達は、俺の行動で石が飛んでいることを理解した。
そして仔牛を襲う俺に怒りを示し、仲間を守るために走ってきた。
今こそ、俺が鍛えてきた心肺持久力を見せる時である。
――ライオンダッシュ!
スイギュウと俺では、スイギュウのほうが足は速い。
相手との距離が離れているうちに走り始めた俺は、全力で低木に向かった。
後ろを振り返っている余裕は無い。
悠長に振り返っていると、後ろにスイギュウが迫っていた場合、俺は道路に飛び出して軽自動車に撥ねられた中型犬のようになってしまう。
もしもスイギュウ達が追って来なければ、再び石を投げに行けば良いだけだ。
「ウモオォ、ウモォ、モオオオォッ!」(待てや、コラ、クソガキィ!)
後方から怒りの雄叫びが聞こえてきて、俺の心配は杞憂だと確信できた。
後方では、スペインの牛追い祭りのような展開になっているはずだ。
――マジで、やべぇ。
俺が転べば、ジエンドだ。
前世の俺は、牛に追われて逃げる人々に対して、動画で高みの見物をしていた。その時の感想は、「アホやこいつら」であった。
それが今世では、自分で祭りを開催しているのだから、因果な話だ。
どこかで一度、お祓いでもしておくべきだろうか。
だが異世界転生させた当事者が神の場合、お祓いは、誰にお願いすべきなのか。
そんなことを考えながら走り続けた俺は、スイギュウの肩高ほどもある低木の根元に逃げ込んだ。
そこから低木に沿って、安全地帯であるアカシアの木を目指す。
背後からは、怒れるスイギュウの群れが迫っている。
そして背後から、ついに悲鳴が上がった。
「ウモォオオオッ」(どぉわあああっ)
「モオオオォォッ」(ぬおわああぁっ)
背後から、「ドスン、ズガン」と、何かが落ちる音が聞こえてきた。
何が起きているのか想像は付くが、まだ後ろは振り返れない。
俺は走り続けて、ライオンジャンプでアカシアの木に跳び付いた。
そして爪を引っ掛けながら、ガリガリと木を登っていった。
ようやく安堵できたのは、スイギュウの肩高よりも高い枝に登った後だった。
『あぁ、疲れたぁ』
太い枝に身体を預けた俺は、溶けたライオンのように、グッタリと伸びた。
そして寄ってきたリオを見上げて、息も絶え絶えに聞いた。
『何頭、落ちていた?』
『2つの穴に、4頭かな』
『……おおぉ』
振り返ると、事前に掘っておいた穴に、何頭かが落ちていた。
先頭に付き従って、横には広がらずに真っ直ぐ向かって来たらしい。
落とし穴の横幅は広いので、1つの穴に複数が落ちた。
そして先頭で悲鳴が上がった後は、先に進まなかったのだろう。
後続は、穴の前に立ち止まって、心配そうに仲間を見守っていた。
スイギュウ達がアカシアの木に辿り着くためには、仲間で埋まった穴を乗り越え、さらにもう一つある穴も乗り越える必要がある。
大きく回り込んだとしても、背後にも落とし穴がある。
低木が生えた場所には落とし穴が無いが、低木を押し潰して進むのは難しい。
『もう少し広がって、周りの穴にも落ちてくれていたら、嬉しかったけどなぁ』
『充分じゃない?』
『まあ、少なくはないけどな』
安全が確保できたと確信した俺は、贅沢な望みを口にした。
スイギュウ達は、子ライオンの俺が穴を掘ったなどとは思わないだろう。
俺が逃げた先に、たまたま穴があって、仲間が落ちてしまったと考えるはずだ。既に俺のことなど忘れて、落ちた仲間を心配している。
「モオオオッ?」(おい無事か?)
「ウモォ、オオッ」(くそっ、落ちた)
身体が丈夫なスイギュウは、わりと健在であるらしい。
だがスイギュウ達は、穴に落ちた仲間を引き上げる術を持たない。
スイギュウの群れは、穴の前に集まって、落ちた仲間を見守っていた。
――落とせそうじゃね?
低木沿いに近寄って、穴掘り魔法を使えば、さらに落ちないだろうか。
そんな風に考えた俺は、アカシアの木を降りて、低木沿いに近付いた。
そして、スイギュウ達が群れている場所に狙いを定めて、魔法を唱えた。
『グラーベン』
スイギュウの足元で、穴が広がった。
「モオオォッ!」(どわあぁっ!)
「ムオオ、オオオォッ!」(おい、こっちくんな!)
足元の土が無くなったスイギュウ2頭が、バランスを崩した。
そして先に落ちていた仲間のところに、落ちていく。
その光景は、水辺でナイルワニに襲われて、引き摺り込まれるようだった。
「ムオオッ、ムオオオオッ!」(逃げろ、逃げろおっ!)
謎の現象に恐怖を抱いたスイギュウ達が、一斉に逃げていった。


























