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毛国王(the prolog version)  作者: 大浜屋左近
第三章 ~華乃都の貴人~
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第98話 コロクル

「あら、可愛いわんちゃん」

 ピリカが毛野の里外れに在る猿の館に辿り着くと、ペケルは笑顔で迎えた。


「否、犬じゃねぇ。ホロケウじゃ」


「あら、狼が人の懐の中で大人しくして居る何て不思議ね」


 ピリカは、懐に手を遣って、片手で子狼を抱え乍ら、軽やかに馬から降りると、

「ほら」

 と、子狼を両手で掴んで、ペケルの方へと顔を向けて差し出した。


 すると、子狼は牙を剥いて、唸り始めた。


「あら、怖い。本当、狼ね」


 ピリカは、子狼を持ち直し、自分の方へと顔を向けると、

「駄目じゃねぇか」

 と、子狼を睨んだ。


 子狼は、下を垂らして、嬉しそうにピリカの顔を見返した。


「可愛いなぁ」

 ピリカは、子狼のお腹に顔を埋めた。

「臭せぇっ。野生の臭いがしやがる」


「ねぇ、姫。その子、何て名なの」


「あっ。まだ名付けて居らんかった」


「じゃあ、付けてあげなくちゃ。飼うんでしょ」


「うん。そうだなぁ。ヌプリ(山)。ヌプリにしよう」


「こんな小さな子に山だなんて、如何して」


「大野の爺が言うには、そいつの親父は旋って言って、兄弟で大野の山の主だったらしいんじゃ。昨日、吾が爺に言われて沢に芹を取りに居たら、争って暴れ回るホロケウの群れが遣って来て、こいつの眼の前で、巌とかいう兄の狼に殺された。だから、こいつには大きく成ったら親の仇を討って、山の主に成って欲しいんじゃ。だから、ヌプリ」


「あら、酷い事が有ったのね。その子のお母さんは」


「居た。でも、そいつの親父を殺した巌って野郎に連れて行かれた」


「如何してその子は一緒に行かなかったの」


「もう一匹、子狼が居たんじゃが、そいつは母親と一緒に。何故だか、そいつだけ置いて行かれて、しかも、殺されそうに成って、吾が助けて遣ったんじゃ」


「そんな事が有ったの。でも、分かったわ。貴方はその子の命の恩人だったのね」

 ペケルは頷くと、少し困った顔をして、

「旦那様には如何に説明しようかしらね」

 と、斜め上に眼を遣った。


「そこじゃ。猿に何と言おうか。どうせ、山に放して来いと言うに決まって居る。で、今、猿は」


「旦那様は毛野の館に。昨日は大野からの帰りが遅くて館に行けなかったから、朝早くに出掛けたわ。もう直、帰って来るんじゃないかしら」


「それ、吾の所為じゃ」


「聞いたわ。寝ちゃってたんですってね」


「爺の猪鍋を喰ったら異様やけに眠く成ってな。気が付いたら朝じゃった。何か、変な夢を観た様なんじゃが。思い出せん」


 ピリカがペケルに、大野の山での狼との戦いについて、身振り、手振りを交えて、役者が振る舞うが如く説明して居る間中、ヌプリは大人しくピリカを観て居た。


 そんな中、猿が帰って来た。


「ピリカ様、御帰りですか」


「おう」


「そちらの子犬は」


「犬では無い。ホロケウじゃ」


「子狼ですか」

 猿は、ピリカからヌプリの方へと眼を向けると、何も言わずに、暫くその姿を観て、頷くと、尋ねた。

「御飼いに成る御積りで」


「あ、あぁ」


「宜しいのではないでしょうか」

 ピリカとペケルの心配は無用で有った。

「名は付けて居るのですか」


「ヌプリと名付けた」


「ほう、ヌプリ。山ですか。何故」


「山の主に成って欲しくて」


「山の主。ヌプリ(山)・コロ(領する)・クル(者)ですか」


「そうじゃ」


「それは、狼では無く、熊では」


「確かに。あの山のキムンカムイを爺が殺ったから、こいつの親父達があの山の主に成れたのかな」


「何の事ですか」


「いや。爺から聞いた話じゃが、この話はもうよい」


「はあ。ですが、その狼には既」

 猿は何かを言い掛けたが、

「その狼。異様いやに臭いますな。ピリカ様も、ペケルも、慣れて仕舞って居る様ですが、この部屋にはその臭いが満ちて居ります。飼うなら外でお願いします」

 と話を変えた。


「こいつ、未だ小っちゃいから、外に出して置いたら襲われるやも知れぬ。部屋に入れちゃ駄目か」


「うぅむ」


「大きく成ったら必ず外に出す。大きく成る迄。確り洗って、臭いを落とすから、部屋で飼っては駄目か」


「真に臭いが落ちるでしょうか。野生に於いて、臭いは縄張りを示す重要な能力。その能力が洗って取れるもので有ろうか」


「やってみる」

 ピリカはヌプリを抱き抱えて外に出た。


 猿の館の庭には、野菜の泥を流し、洗濯をする、生活用の水路が流れて居た。


 ピリカは、水路脇に置いてあった桶を手に取ると、水を汲みヌプリに浴びせた。


 突然の事に、ヌプリは激しく吼えた。


「御免、御免。ちょっとだけ堪えてくれ」

 ピリカはヌプリの身体を水で能く流して、臭いを嗅いだ。


「駄目だ」

 ピリカは、もう一度、桶に水を汲むと、今度は、ゆっくりとヌプリに水を垂らすと、手でその体毛を揉み込んで、洗った。


 水に濡れて痩せ細った様に成ったヌプリを、ピリカは両手で持ち上げ鼻に寄せた。

「少しは取れたのかな。でも駄目だ」


 ピリカが、再び水を汲みに行くと、ヌプリは逃げ出した。


「待て」

 ピリカは随分と追い掛けっこをし、ヌプリを捕まえた。


「分かった。水浴びだ。一緒に水に入ろう」

 眩しい日差しが降り注ぐ弥生の陽気の中、ヌプリを追って駆け、汗ばんだピリカは、ヌプリを抱いて水路に飛び込んだ。


「冷て」

 山の水とは違い、それ程では無かったが、弥生の水はそれなりに冷たい。ピリカはそれを我慢して、ヌプリを、何度も、何度も、確りと洗った。


 水路の中で、ピリカはヌプリの臭いを確かめると、

「良し。これで大丈夫」

 と水路岸にヌプリを置いた。


 ヌプリは、数度、身震いをして、飛沫を飛ばした。


「よし、行くぞ」

 ピリカが館へと駆けると、ヌプリもそれについて走った。

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