第96話 ツンノメリ
「おいおい。殺っちまったのかよ」
喉元に噛み付いた狼が、頭と思しき狼の合図を受けその牙を外すと、血塗れの狼は地に頭を落とし、その儘動かなく成った。
やはり番いで有ったのか、血塗れの狼が事切れると、母親と思しき狼は、一歩前へと駆け出した。が、それを頭と思しき狼が、低く唸って制すると、その場に留まった。
頭と思しき狼が小さく吼えると、血塗れの狼を葬った二頭は、その声に応じて駆け寄った。
「何しやがんだ」
二頭の狼は、駆けた勢い任せて、一頭の子狼を吹き飛ばした。
これを目の当たりにした母親と思しき狼が、反射的に吼えたが、それも頭と思しき狼が唸って制した。
吹き飛ばされた子狼に、二頭の牙が襲う。
子狼は大きく口を開けて抗ったのだが、成狼と子狼。しかも、二対一。子狼は、毬の様に宙を舞い、悲しき吼え声を上げた。
「ふざけるな」
ピリカは両手に抱えた芹を横に放ると、腰に下げた剣を抜き、子狼を襲う二頭に向かって怒声を浴びせ、地を蹴って飛び出した。
自らに迫るピリカに気が付いた二頭は、子狼を襲うのを止め、ピリカに眼を向けると、即座にピリカの方へと駆け出した。
ピリカとの距離が縮まると、二頭は飛んだ。一頭はピリカの喉元へと、もう一頭はピリカの足元へと、その大きく赤く裂けた口の中から伸びる白い牙を奮った。
ピリカが体を捌くと、二頭の牙は空を噛んだ。
その刹那、ピリカは、眼の前を通り過ぎる喉元を狙った狼の横腹に、剣先を突き入れた。
宙を舞う狼は、吼え叫ぶと、腹から血を噴き出し、地に落ちた。
ピリカは足元を狙った狼に視線を向けると、剣を振って剣身に纏わり付く血液を浴びせ掛けた。
腹を裂かれた狼は後ろ脚を動かす事が出来ず、前足で必死にその場から逃れようと足掻いたが、腹からは血液のみならず、腸も溢れている。ピリカが血を浴びせた狼と対峙している間に動かなくなった。
ピリカは五年前とは違った。
形名が斑鳩で学問を積み上げている間に、ピリカは毛野の森で狩りの腕を磨いた。狼とは幾度か獲物を巡って争った。だから、自信と余裕が有った。
「御前は仲間を殺っとるんじゃ、死んだって仕方ねぇ。恨むなよ」
辺縁視野で狼の死を確認し、ピリカは呟いた。
「なぁ、もう良いじゃろ。子供を虐めんな。そいつを連れて、仲良く森へ帰れ」
突き飛ばされてた子狼は、蹲って、小刻みに震えて居た。
ピリカが血を浴びた狼に話し掛けて居ると、頭と思しき狼は、牙を見せ、低く唸り乍ら、前へと歩み出した。頭と思しき狼は、蹲る子狼の横を敢えて通ると、鼻先を子狼に押し当て、邪魔だと言わんばかりに搗ち上げた。
子狼は宙に浮き、地に身体を打ち付けた。
「酷でぇ事をすんな。そいつが何をしたっ言うんじゃ」
頭と思しき狼は、血を浴びせた狼の横に来ると、低く唸り、三回短く吼えた。
この吼え声を合図に、血を浴びせた狼はピリカの後ろ側へと回り込み、高く、大きく、短く、吼え続けた。
「五月蠅せぇ」
ピリカが発すると同時に、頭と思しき狼がピリカへと飛び掛かった。
ピリカは、牙を剥いて飛び掛かる狼の顔に向けて剣を薙いだ。
頭と思しき狼は、それを寸でで躱した。
糞っと、ピリカは思うや否や、前へとつんのめった。
後ろに回り込んで居た狼が、ピリカの左足に喰らい付き、後ろへと引っ張ったのだ。
頭と思しき狼の策で有った。
ピリカは、足に喰らい付く狼によって、後ろへ、後ろへと引き摺られ、そこへ向けて頭と思しき狼の牙が襲った。
ピリカは、うつ伏せの儘、我武者羅に剣を振るった。
そんな剣が狼に当たる訳が無い。
ピリカは仰向けと成ると、身体を起こして、足を引っ張る狼の顎に向けて剣を薙いだ。
狼はそれを避ける為に、咄嗟に口を開け、後ろに飛んだ。
ピリカは、この機を逃さず、横に転がり、二頭の狼が面前の視野に入る様に間合いを取った。
「危ねぇじゃろ。善くも遣って呉れたな」
ピリカは、血を浴びせた狼が後ろに回ろうとする度に、それに合わせて後退り、終には、沢に落ちる崖を背にした。
「これで後ろにゃ回り込めんじゃろ」
しかし、それも難儀で有った。崖の前で、二頭を相手にせねば成らぬ。度重なる二頭の攻撃に、致命傷には至って居らぬが、ピリカは傷を負い、体力も尽き始めた。
ピリカが血を浴びせた狼の攻撃を避け、一瞬出来た隙を、頭と思しき狼は逃さなかった。
ピリカに飛び掛かって地に倒し、馬乗りと成った。
ピリカは、自らの喉元へと向かう牙を剣で防いで堪えた。
そこに、血を浴びせた狼が、ピリカに重ねて馬乗りに成ろうと、高く飛んだ。
その刹那、茂みの奥から空を裂く一閃が走り、血を浴びせた狼の首を貫いた。
「何をもたもたして居るんじゃ。早う、芹を持って来んか」
茂みから若古が現れた。




