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毛国王(the prolog version)  作者: 大浜屋左近
第三章 ~華乃都の貴人~
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第91話 ゲキコウ

 難波津で遣唐使を盛大に迎え入れ、未だその興奮を引き摺った儘の次の朝、形名達は、引き払った筈の、漁村の宿に居た。補と共に形名と皆麿が待つ、街外れの野へ現れた鎌子は、全身傷だらけで、とてもその儘、斑鳩へ帰宅出来る状態では無かった。


「お客さん、大変な事件が起こりよったで。せやさかい、今日は難波津の街に入る事は出来しません」

 興奮気味に、宿の主人が、部屋の戸越しに告げた。


「えっ、そんなの嫌だ。吾、斑鳩へ持って帰る御土産を買いに行きたいのに」

 与志古は、頬を膨らました。


「御姫様。それは無理で御座います。難波津の艶街いろまちの中で、新羅の男が五人、殺されたみたで、役人が街を封鎖して咎人を捜しているっちゅう話でっせ。未だ、咎人は捕まって居らんみたいで、街に近付くんは大変危険です」


「そうなの。じゃあ、街には近付かない方が良さそうね」

 宿主の言葉に、与志古は少し震えていた。


 皆麿も、あの艶街は人が殺される様な場所だったのかと、蒲生との目合まぐわいを思い出して、身震いした。


 鎌子は、何も言わなかったが、新羅人を殺したのは、若雷丸と黒雷丸で有ろうと理解して居た。昨晩の夢の中に、船内で行われた惨劇が、悪夢として映し出されたので有った。


「怖いですね。明るい内に山を越えて、斑鳩に帰りましょう」

 形名は、昼間にだって、山の中で襲われる事を経験して居たが、何と無く安心したくて、明るい内ならば大丈夫だろうと、自分自身に言い聞かせた。


「えっ。まさか、鎌子君、その怪我は、襲われた訳では無いですよね」

 と形名は、悪い思いが過り、鎌子に視線を向けた。


「昨日も申したでは御座いませぬか。再び、恥かしい思いをさせ様と、問うですか」

 鎌子は不快感を表した。


「御免なさい」


「鎌子君は、吾の事を必死で探していたのよね」


「もう良い」


「与志古弟も鎌子君を揶揄うな。形名君の言う通り、早くここを発ち、明るい内に斑鳩に至ろう」


 そんな遣り取りをして居る所に、

「皆さま、馬の準備が整いました」

 と、補が、全てを聞いて居たかの様な笑顔を作って、部屋の戸を緩りと開いた。



 一行は、何事も無く、その日の中に斑鳩に帰宅した。


・・・・・・・・・・・・・・・


 難波津に停泊していた新羅船は、五人の骸が発見された朝には、津から姿を消して居た。


 頸と右手の無い骸。新羅装束を身につけて居る事から、新羅人だとされた。何時、難波津へ遣って来た新羅人なのか。捜索願は出て居ない。役人が、新羅人の組織網を当たり、失踪者を調べたのだが、それらしき人物は見当たらなかった。


 結局、五つの骸は、身元不明と処理され、新羅人街の寺に埋められた。


 事件から数日後、新羅船は、三野の木津こっつに辿り着いた。


「黒。御前、頭良いなぁ」

 甲板で潮風を浴びる若雷丸は、感心しきって居た。


 黒雷丸は、冷んやりとした潮風が心地良さそうで、満足気に顎鬚を撫で、何も答えなかった。


 船には、千貫程の鉄鋌が詰まれて居た。蔵に在った鉄鋌は、人足が運び出し、船内の他の場所に移しただけで有った。黒雷丸は、鉄鋌を船外に運び出しては居なかったのだ。


 荷車には、積んで来た稲藁の上に、骸だけを乗せ、麻布で運んでいる物が見えぬ様に覆いを掛けた。


 これを観た国忍と風天丸は、荷車には、間違いなく、鉄鋌と骸が積まれて居るものと信じ込んで居た。


「これ程の鉄鋌が手に入ったと知りゃあ、大雷丸は驚くだろうな」


「それは、如何かな。俺は御頭が驚く姿を見た事がねえ」


「黒。これだけの鉄鋌が有ゃあ、俺達、一生飯を食うのに困らねぇな」


「飯だけじゃねえ。この鉄鋌で、倭王権連合をぶっ潰すのに十分な武器が作れる。楽しみだな、若」


・・・・・・・・・・・・・・・


 年が明け、舒明五年(633年)の春、正月二十六日(新暦三月十四日)、唐送使の高表仁は唐へと帰った。


 日本書紀に見られる舒明期の記述には、「五年春正月己卯朔甲辰 大唐客高表仁等歸国」と有るのみで、日本の公式記録には記されていないが、この時、大きな事件が起こって居た。


 唐の記録では、旧唐書の巻一百九十九上、東夷伝倭国条には、「貞觀五年 遣使獻方物 大宗矜其道遠 勅所司無令歳貢 又遺新州刺史高表仁持節往撫之 表仁無綏遠之才 與王子爭禮 不宣朝命而還 至二十二年 又附新羅奉表 以通往起居」と、又、新唐書の巻二百二十、東夷伝、日本条には、「太宗貞觀五年 遣使者入朝 帝矜其遠 詔有司毋拘歲貢 遣新州刺史高仁表往諭 與王爭禮不平 不肯宣天子命而還 久之 更附新羅使者上書」と、記して有る。


 一体、何が、起こったのか。


 高表仁は、唐二代皇帝李世民からの国書を読み上げる際、倭大王の舒明に対して、冊封国としての儀礼(禮)を求めたので有った。


 しかし、倭としては、倭は唐と文化を共有する、中華の内の国で有り、冊封国と成るべき夷狄ではないのだ。実際、隋の時代に於いても倭は冊封国では無かった。


 倭は、これを理由に、「與王子爭禮(旧唐書)」、「與王爭禮不平(新唐書)」、儀礼を拒絶した。


 これに対して、高表仁は激昂し、「不宣朝命而還(旧唐書)」、「不肯宣天子命而還(新唐書)」、帝李世民からの国書を読み上げる事無く帰国してしまった。


 倭の思惑は外れた。そして、唐との国交も暫く途絶え、次に遣唐使を派遣するのは二十一年後で有った。

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