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毛国王(the prolog version)  作者: 大浜屋左近
第三章 ~華乃都の貴人~
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第90話 ヒャクカン

「な、何をする」

 国忍は怒鳴った。


 新羅装束の男は、驚愕の表情を浮かべて、その場にしゃがみ込み、股間から小水しょうすいを垂れ流して居た。


 風天丸は、黒雷丸と若雷丸に遅れて抜いた剣で掌を打つと、

「随分と早いな。其方等が斬って居らねば、儂が殺って居ったわ」

 と笑顔で頷いた。


「おい」

 国忍は、驚いた様子で、風天丸へと眼を遣った。


「あぁ、爽快。気持ち良いわ。黒の所為せいで、この船に乗る前から、腹が立って、腹が立って、仕様が無かった。こいつらをぶっ殺して気分が晴れたわ」

 若雷丸は、未だ血の滴る剣で、左の肩を軽く叩いた。


「なぁ、で、この肥った野郎は如何するよ」

 若雷丸は、新羅装束の男が二重顎で作り出す深い溝に、剣先を軽くり込ませた。


「あ、あぁぁぁ」

 新羅装束の男の眼からは涙が溢れ、鼻からは粘稠の汁が滴り落ちた。


「若、もう、気分は収まったか」

 黒雷丸が問うと、

「あぁ、これで十分だ」

 と、若雷丸は、新羅装束の男に向かって、突如、背を向けると、回転の勢いで繰り出された剣刃で、男の頭と胴体の繋がりを断ち斬った。


「何をする」

 国忍は、狼狽して大声で叫ぶと、小刻みに震えて居た。

「その男は蘇我本家の取引相手。殺してしまって、如何するのだ」

 

「そこは、俺等、盗賊に御任せ下され。今宵の事は、唯、新羅の男が、難波津の街で盗賊に襲われ、命を失っただけ。能く有る咎事とがごとに過ぎませぬ」

 黒雷丸は、目尻を下げて、眼を細めた。


「国忍様。咎は、危険な取引に手を出した儂等にも有ります。ここは蛇の道は蛇。咎事の処理は、盗賊に任せましょう」

 風天丸が促した。


 国忍は混乱していた。


 国忍にとっては、軽い気持ちで手を出した、本家にしか許されていない鉄の取引。容易く、大きな富が得られると考えていたのだが、誤算で有った。


 鍵は盗まれるし、人も死んだ。


 鍵が帰ってきた所迄は、未だ、運が有ると思っていた。しかし、眼の前には五人の男が倒れている。そして、特に問題と成るのは、蘇我本家の当主、蝦夷と、直接通じる新羅の男が、眼の前で、むくろと成って仕舞った事で有る。


 これが蝦夷の知る所と成れば、国忍の首は、確実に、胴を離れる。


 それ所か、高向の一族、郎党の全てに、咎が及ぶ可能性すら有る。


 如何すれば良いのか。何が正しき筋目なのか。


 国忍は、眼を瞑った儘、

「分かった」

 と、幾多の戦場で、選ぶ道を誤る事の無かった風天丸の判断に、従う事とした。


「では、五体の骸の処理と、口止めの対価で、五十貫。鍵の対価と合わせ、鉄鋌百貫で、宜しいかな」

 黒雷丸が、国忍の眼を強く見た。


 国忍が風天丸に眼を遣ると、風天丸は小さく頷いた。


「分かった。それで宜しく頼む」

 国忍は黒雷丸に頭を下げた。


「では、一刻程、この船に、誰も近付けぬ様、外で御待ち下され。その間に、全ての手筈を整えましょう」


 黒雷丸は、この手の仕事に慣れていた。五台の荷車と十人の人足を半刻程で集めると、一刻を待たずして、鉄鋌と骸を荷車に積み分け、丁寧に、船内に残った血痕を全て拭き取り、あたかも、何事も無かったかの様なていとして、船を後にした。


 その間、国忍と、風天丸は、その流れる様な手際の良さに、眼を奪われ、唯、呆然と眺めるのみで有った。


『神隠し』

 村里で、安穏とした日常を過ごしていた一家が、その生活感を残した儘、ある日、突如、消え失せる。そんな事件が、稀に起こる。

 人々はこの様な事件を、神の仕業と考えて居た。


――否、そうではないのだ。

――これは、多分、彼等の様な盗賊が行っているのだろう。

 国忍は確信した。


「なあ、風天丸。これで良かったのか」


「国忍様。良かったのですよ。鍵が返って、鉄鋌が手に入った。手間賃が一割。決して、悪い商いでは御座いません。しかも、あの新羅人。儂等に鉄鋌を渡さない。否、それ所か、蝦夷様に儂等の鉄の取引を注進する可能性すら有りました。それを、あの盗賊達が、全て、解決して呉れたのです。国忍様は、幸運の持ち主です」


「そうやも知れぬな。さて、ここに残された大量の鉄鋌。今夜中に、如何にして運ぶか」

 船内の戻った国忍は、蔵の内扉を開け、中を覗き込んだ。


「無いぞ。何も」

 国忍は、眼を擦った。


「遣られましたな。流石、盗賊の所業。それにしても、五台の荷車で持ち運べる鉄鋌は、精々、二百貫。残りは何処へ行ったのやら」

 風天丸は首を傾げた。

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