第89話 ヨツノクビ
「まあ、まあ。その様な物騒な物から手を御退け下され」
黒雷丸が笑顔を作った。
「らしくねぇなぁ。黒」
若雷丸は小さく吐き捨て、不満気に口を尖らせた。
「其方等は、何者だ」
国忍が、剣の柄を握った儘、問うた。
「俺等は、三野の商人ですわ」
黒雷丸は、頭を掻いて、目尻を下げた。
「如何観ても、商人には見えぬな」
国忍は、柄を握る手に力を込め、怪訝な顔をした。
「そりゃあ、そうだ。俺等ぁ、盗賊だからな」
若雷丸が、白い歯を見せて、眼を輝かせた。
「若」
黒雷丸は、若雷丸が抜き掛かけた剣の柄頭を、左掌で押さえた。
「盗賊か。それならば合点が行く」
国忍は、柄から手を離して、腕組みし、
「所で、何故に、鍵の事を知って居る」
と不思議がった。
「酒場にて、彼の様な大声で話して居れば、俺等以外にも筒抜けですぞ」
黒雷丸の言葉に思い当たる節のある国忍が、風天丸の方へと眼を遣ると、風天丸は何やら言いた気に眼を覆った。
「聞かれて居ったか」
「へえ。それで、この鍵を探して参った次第です」
黒雷丸は懐から手を出すと、鍵の付いた簪を、国忍へと翳した。
「何処で手に入れた」
「それは盗賊稼業の極秘事項と言う事で、御勘弁を」
「まあ、良いわ。では、その鍵を返して呉れぬか。盗まれた物だ」
国忍は、黒雷丸に向けて手を差し出した。
「無報酬、と言う訳には行かぬで有りましょう」
黒雷丸は、簪を振って音を奏でた。
「盗賊家業は、卑しいな」
「馬鹿にすんな」
「駄目だ。若」
黒雷丸は、若雷丸を一瞥すると、
「それが家業ですので」
と、国忍に向けて口角を上げた。
「如何程を、所望だ」
「鉄鋌百貫で」
「は。百貫とは、随分と吹っ掛けるな」
「いえ、いえ。この船に、千貫程は積んで居るでは御座いませぬか。その一割。手間賃と考えて頂ければ、決して、高くは御座いませぬ」
黒雷丸は、上げた口角に加えて、目尻も下げた。
「先程から、へらへら、へらへらと、気持ち悪い。盗賊風情が」
「へぇ。申し訳御座いませぬ」
「百は無理だ」
「蘇我の一族でも、末家は卑しいもんだのう」
若雷丸が、揶揄う様に吐いた。
「駄目だ、若。抑えて呉れ」
黒雷丸は若雷丸を諭す様に見詰めた。
「国忍殿。失礼しました。では、五十で手を打って下さらぬか」
「高い」
「では、この話は無かった事で」
と言うと、黒雷丸は、簪を、海へと放った。
月明りを写す水面には、幾重もの波紋が広がった。
「おい、何をするのだ」
国忍が叫ぶが早いか、風天丸が海へと飛び込んだ。
「はあ、はっ、はっ。流石に、この暗い海の中では探せますまい」
「何て事を」
国忍は頭を掻き毟った。
「おい。黒。如何すんだよ」
若雷丸は呆れた様子で、両手を頭の後ろへと遣った。
「皆様。御心配為さるな。放ったのは、唯の礫ですわ」
黒雷丸は声を上げて笑った。
「揶揄うな」
国忍が声を荒げた。
「次は、本当に、放りますぞ。五十で、宜しいですな」
「分かった」
「では、商談成立と言う事で。俺等は三野の商人で有るが故」
黒雷丸は満面の笑みを浮かべた。
「では、鍵を渡せ」
「それは、未だ。俺等も、船の中へと連れて行って下され。この眼で、取引の次第を見届けねば、貴方様を信じる事等出来ませぬ。油断の成らぬ盗賊家業で有るが故」
「分かった。仕方が無い」
国忍は、海に潜って鍵を探し続ける風天丸に声を掛け、陸に上がる様にと促した。
「御前、馬鹿なのか」
若雷丸が、ずぶ濡れの風天丸を揶揄ったが、風天丸は相手にしなかった。
四人は新羅船に乗り込んだ。
階段を下り、甲板下の薄暗い船室に入ると、肥えた新羅装束の男が四人を出迎えた。
「遅かったね。何してた。それに、その二人、何ね。賤しい物達。何故、連れて来た」
「おい。何だ。この肥えた異国人は」
と、若雷丸が新羅装束の男に向けて顔を突き出すと、四本の剣がその顔へと向けられた。
「危ねぇじゃねぇか」
と、若雷丸は四人の護衛を睨み付けた。
「国忍殿。貴方、蝦夷様の許可得てるか」
新羅装束の男が、国忍の瞳を見詰め、尋ねた。
「ああ、当然だ」
「不思議ね。何時も、蝦夷様の許可状、届く。今、それ、無い」
「此度は、蘇我本家の遣唐使への対応が忙しく、蝦夷様の許可状が遅れて居るだけだ。許可は得て居る。そして、既に、銀鋌を、其方へ御渡しして居るではないか」
「怪しい。この商い、とても怪しい。まあ、先ずは、鍵。鍵は持って来たか」
「鍵は俺が持って居る」
黒雷丸が懐から鍵を取り出した。
「それ持って、こっち来るね」
新羅装束の男は、手招きして、黒雷丸を船蔵の扉の前えと誘った。
新羅装束の男が、朱に彩られた扉を開くと、その内には、更に、海老錠で閉ざされた扉が有った。
「鍵、開けるね」
新羅装束の男に言われ、黒雷丸は海老錠に簪に付けられた鍵を差し込んだ。
「開いたね。鍵、本物ね。でも、これ、渡せない。吾、これ、直接、蝦夷様に御渡しする」
「否、吾等で飛鳥へ運ぶが故、安心して下され」
国忍の額には汗が滲んだ。
「この人達、もう、帰る。案内するね」
新羅装束の男は、護衛に眼で合図を送った。
四本の剣が、国忍、風天丸、黒雷丸、若雷丸の喉元に突き付けられた。
その刹那。
四つの剣を持った手と、四つの首が、宙を舞った。
若雷丸が手を、黒雷丸が首を、瞬時に、四つ、斬り落としたのだ。




