第87話 テハズ
「如何言う事だ」
鎌子は、足元に倒れる与志古に眼を向けた。
「その遣り方では駄目だ。娘の闇は消えぬ。だが、俺の原動霊力も尽きたが故、今、その娘を操る事は出来ぬが、俺の傀儡で有る事に変わりはない。俺の力が戻れば、又、操る事は出来る」
「頼む。与志古媛君の術を解いて呉れ。後生だ」
「それも出来ぬ。今の俺にはその力が無い故にな。だが、その積りも無い。それと、この鍵は頂いた。そして、其方が雷に加わる時を楽しみに待って居る」
黒雷丸が鎌子に背を向け、未だ大きな寝息を立てて居る若雷丸へと向かうと、鎌子は、
「この野郎」
と、背後から黒雷丸に向けて剣を振り下ろした。
黒雷丸は身を翻すと、右の拳を鎌子の左顎へと見舞った。
鎌子はその場に両膝を着き、額を地へと打ち付けた。
「建御雷之男神を出さねば、其方の剣技は俺には及ばぬ。まあ、又、迎えに来る」
黒雷丸は、眠った儘の若雷丸を背負うと、その場を後にした。
空は抜ける様に青く、高かった。
流れる風は、乾き、少し冷たかった。
「ねぇ、鎌子君」
先に眼を覚ましたのは与志古で有った。
「貴様」
与志古に揺り起こされて、正気を取り戻した鎌子は、直ぐと立ち上がって、周囲を見まわすと、
「あの男は」
と与志古に問うた。
「あの男。誰。それに、ここは何処」
「如何した」
「吾、何で、こんな所に居るの」
「遣唐使を見物して居ったのは」
「覚えて居るわよ」
「そうか」
「鎌子君が、あの淫らな女と、馴れ馴れしく、遣唐使を眺めて居ったのも」
「そうか」
鎌子は、一瞬、眼を逸らしたが、
「では、何処から」
と、与志古の瞳を優しく見詰めた。
「人混みを離れた所で」
与志古は、頬を赤らめると、
「気が付いたらここに居た」
と、鎌子に抱き着いた。
鎌子のこの能力には原動霊力が関係無い様である。
「随分と、衣が破けて居る様何だけど。それと血も」
「ああ、こちらに駆けて来る途中で酷く転んでな」
「あら、慌てん坊ね。そんなに吾の事が心配だったの」
「そんな所だな。歩けるか」
「無理みたい」
鎌子は、与志古を背負って、皆の元へと向かった。
――この媛君は、吾が一生守らねばな。
・・・・・・・・・・・・・・・
「黒。済まねぇなぁ」
黒雷丸の背中で、若雷丸が目覚めた。
「もう大丈夫か」
「骨と皮は繋がったみてぇだな。だが、未だ力が入んねぇ。黒、診て呉んねぇか」
「俺も使い切ったが故、もう診えぬ。だが、多分、血が戻って居らぬのやも知れぬな」
「で、この後、如何すんだ」
「鍵は手に入れた。手筈通り、国忍の所へ向かう」
黒雷丸は若雷丸を背負った儘、難波津の街の海産物屋へと駆けた。
海産物屋には、棄と捨が待って居た。
「それで、国忍達は」
黒雷丸が問うと、
「遣唐使と共に難波津に入った新羅船に向かう様です。取引は酉の正刻からだとか」
と、捨が答えた。
「良し、良し。身体は癒えた。体力も大方回復したぞ」
若雷丸は左の肩を何度も回し、具合を確かめ、
「畜生。衣は破れた儘か」
と、自らの左腕に若雷神が居なくなって居る事に気が付いた。
「なあ、黒。国忍は覚醒しちゃあ居ねぇよな」
「ああ、彼奴は血脈の伝承者ではあるが、覚醒しては居ない。確認済みだ」
「そうと来りゃあ、余裕だな。早々と憂さ晴らしと行きますか」
若雷丸は笑った。
「おいおい、侮るな。何らの契機で覚醒するやも知れぬ。最も、原動霊力に触れたり、命の危機に会わねば、滅多に覚醒する事は無いがの」
「じゃあ、国忍は殺らねぇのか」
「ああ、その積りだ。こちらとしちゃあ、鉄が手に入りゃあ、それで十分。もし覚醒でもされたら叶わねぇ」
「黒、それ以外の奴等は殺って良いのか」
「若に任せるよ」
黒雷丸は呆れ顔で、顎髭に手を遣った。




