第84話 ショウキ
「おい、若。大丈夫か」
黒雷丸が、鎌子への警戒を絶やす事無く、尋ねた。
「あぁ、何とかな」
若雷丸が返すと、
「生きて居るだけで、精一杯で有ろう。寝て居れ」
黒雷丸は、若雷丸の頭に手を置くと、
「暗雲」
と小さく唱えた。
すると、若雷丸の意識は遠のき、寝息が響いた。
「少しばかり、此奴を休ませて遣っては呉れぬか」
鎌子を見据える黒雷丸は、若雷丸を周辺視野で捉えると、両脇を抱えて引き摺って、小屋の壁へと凭れ掛けた。
「さて、さて、如何するか。大変な物を産み出させて仕舞った様だ。俺の能力じゃあ、到底叶わぬ。困ったものだ」
黒雷丸は顎鬚に手を遣った。
「なぁ、如何見ても、困って居る者の顔には思えぬのだが」
鎌子は、剣を大きく振り上げて、上段の構えを取った。剣の先端からは稲光が発せられ、剣の周囲を幾度も分岐する光の筋が取り巻いた。
「待て、待て、然うも焦るな。漸っと使える様に成った其方の残りも少なかろう」
黒雷丸には鎌子に残された原動霊力が如何程なのか、想像が付いて居た。
「良く御分かりで。それ故、ここで仕舞にせねば成らぬ。与志古媛君は返して貰うぞ」
鎌子の感情を反映するかの様に、剣の稲光は激しさを増した。
「ああ、あの娘さんの事ですかい。それでは御連れ致しましょう」
黒雷丸は微笑むと、
「おい、娘。出て来るが良かろう」
と小屋の中へと声を張った。
すると、中から、足元の覚束ぬ、虚ろな表情の与志古が姿を現した。
「与志古媛君」
鎌子の呼び掛けに、与志古の返事は無かった。
「大事無いか」
与志古は呆然と鎌子の更に奥を見て居た。
「如何したのだ、与志古媛君」
鎌子は、黒雷丸へと怒りに満ちた眼光を差し向けた。
「貴様。与志古媛君に何をした」
「見えるか」
「ああ、貴様の汚い毛むくじゃらの太鼓腹に浮かぶ闇が、与志古媛君の瞳の中に入り込んで居るのがな」
「流石、血脈の伝承者。当然、見えるわな」
黒雷丸は満足気に微笑んで居る。
「今ここで、貴様を斬って、与志古媛君の正気を取り戻す」
「さて、困った」
「だから、それが困った者のする顔か」
「困って居る。困って居る」
「五月蠅い。戯言はもう沢山だ」
鎌子は、剣を振り翳した儘、踏み込んだ。
すると、透かさず、黒雷丸が、
「待たれよ。この娘が如何なっても良いのか」
と大声を上げた。
鎌子は、咄嗟に踏み止まり、
「如何言う事だ」
と黒雷丸を睨み付けた。
黒雷丸は不敵に笑むと、
「娘よ、御自害成され」
と告げた。
すると、与志古は、
「はい」
と小さく頷き、懐から短剣を取り出すと、自らの首に突き付けた。
「おい、止めろ。何をして居る」
鎌子は与志古に向かって叫んだ。
しかし、その声は、与志古には届いて居ない様子で、与志古の白い首に突き立った冷たい剣先から、赤い筋が滴った。
「ふざけるな。雷光」
と鎌子が言い掛けた所で、
「待て、出しては成らぬ」
と建御雷之男神が制した。
「何故」
「あの男を殺しても、与志古媛君を止められるとは限らぬ」
「如何言う事だ」
「確かに、術者を殺せば止む術も有る。しかし、怨念の如く術者の死後も止む事無く発し続ける術も有るのだ。黒雷神の暗雲は黄泉の黒き大気。死者の国の闇の呪縛は、怨念よりも強いやも知れぬ」
「そうか」
鎌子は、頭の中で、建御雷之男神との会話を終えると、
「頼む。その術を解いて呉れぬか。この通りだ」
と、剣を下し、黒雷丸に頭を下げた。
「ほう。聞き分けの良い若者だ」
黒雷丸は鎌子に向かって笑むと、
「娘よ、止め成され」
と与志古に指図した。
「お願いだ。与志古媛君を返して呉れ」
「さうさな。それには二つ。二つの条件が有る」
「何だ」
「一つ目は、鍵。鍵を返して呉れぬか。その娘が飛鳥の唐品屋から持ち帰った簪に付いて居る鍵を」
「分かった。直ぐに返す」
「それと、もう一つ」
「何だ」
「其方も、雷に入れ。其方の始祖神も雷神。仲間が居った方が良かろう」
「そ、それは」
「では、娘」
短剣を喉元に突き付けた儘の与志古の肩が少し動いた。
「ま、待って呉れ」
「ほう」
「入る。雷に入るが故、与志古媛君を返して給れ」
「分かった」
と黒雷丸は頷くと、
「娘よ、帰って良いぞ」
と与志古の肩を叩いた。
与志古は、心許無い足取りで、鎌子の元へと頼り無く歩んだ。そして、与志古が前に至ると、鎌子は堪らず強く抱き締めた。
「術を、術を解いて呉れぬか」
「それは、約束して居らぬ」
「えっ」
「約束通り、娘は御返しした。しかし、まだ、こちらには鍵を返して頂いて居らぬ」
「分かった。だが、この状態では、与志古媛君から、簪を返して貰う事は出来ぬ。だから、術を」
「その娘、簪は持って居らぬぞ」
黒雷丸は、当然、与志古の持ち物の全てを確認して居た。
「えっ」
「まぁ良い。正気に戻そう」
と言うと、黒雷丸は大きく息を吸い込むと、喝を発した。
「あれ、鎌子君」
鎌子の腕の中で、与志古は我を取り戻した。
「眼を覚まされたか」
「私、如何したの。と言うか、鎌子君は何をしてるの。こんな所で私を抱きしめて」
与志古は嬉しそうに鎌子を見詰めた。
鎌子は恥かしく成って、咄嗟に腕を解こうとしたが、与志古は首を小さく横に振った。
鎌子は小さく頷くと、再び腕に力を込めて、与志古を抱き寄せ、
「簪。鍵の付いた簪を渡して呉れぬか。さもないと、あの後ろの男に殺されて仕舞う」
と与志古の耳元で囁いた。




