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毛国王(the prolog version)  作者: 大浜屋左近
第三章 ~華乃都の貴人~
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第82話 カクセイ

「伊邪那美命宇士多加礼許呂呂岐弖於左手者若雷居」

 若雷丸が唱えると、左手に握られた剣の鋼の青みが増した。


 若雷丸に対峙する鎌子の額からは、汗が流れ落ち、全身が大きく震え出した。


「どうした若いの」

 若雷丸が馬鹿にした様に発した。


「若いって、同じ位の。否、其方の方が餓鬼で有ろう」

 鎌子は、剣の柄を握る両手をかくとして、全身の筋に力を込め、肉体の震えを抑え込んだ。

「吾が名は鎌子。中臣の鎌子だ。むくろと成って果てる前に、この名を、確りと、頭に刻んで置け。御禿おちびさん」

 鎌子は、強い言葉で自らの精神の弱さに蓋をして、闘志を保った。


「五月蠅せぇ」

 若雷丸は前方へ飛び出し、鋭い剣先を鎌子の喉元へと突き入れた。


 鎌子は、体を左へ傾け、若雷丸の剣先を外したが、剣刃が鎌子の右頸の薄皮を斬り裂いた。


 一筋の赤血が宙を漂う。


 鎌子は体を駒の様に回転させると、若雷丸の頭に向けて剣を薙いだ。


 若雷丸は身を屈めて鎌子の繰り出した剣を躱し、次は下から剣先を鎌子の喉元へと突き上げた。


 鎌子は後ろへ飛んで、若雷丸との距離を取った。

 鎌子の胸の鼓動は激しく、飛び出して来そうな心の臓を、肋骨の檻が辛うじて閉じ込めて居た。

 流れ出る汗の量は激しく、鎌子の全身からは蒸気が立ち上がった。

 頸を流れる汗は、裂けた皮膚から滲み出る血液と混じり合い、鎌子の衣服を赤く汚した。

 鎌子は、振るえる膝を、騎馬立ちした足の踏ん張りで抑え、剣を正中に構えて、大きく肩で息をした。


「面白い。非常に面白い。其奴の中で、雷神が暴れよる。若の雷神に興奮して居ると見ゆ」

 暗闇の中で、白い歯を覗かせ、黒雷丸は楽し気で有った。

「若、間違っても殺すなよ」


「はぁっ。何言ってんだ、黒は。変なもんが出て来ちまう前に殺っち舞うぞ」

 若雷丸は鋭い剣撃を流れる様に繰り出した。


 若雷丸の振る剣の動きに遅れて、刃の光が青い軌跡を描いた。

 そして、その青い光の後には、赤い血飛沫が背景を彩った。


「息が上がって居る癖に、餓鬼が上手く躱しやがる」

 若雷丸は確実に仕留めに行って居るのだが、鎌子が斬らせて居るのは薄皮一枚で有った。


「だから、其方の方が餓鬼だと申して居るではないか、御禿びさん」


「五月蠅せぇ」

 若雷丸の左手から、青い閃光が矢の様に鎌子の喉元を目掛けて飛び出した。


「駄目だ」

 部屋の中から、黒雷丸が叫んだが、事既に遅し。


 駄目だ。

 黒雷丸の言葉を、鎌子は、自らに向けられたもので有ると感じていた。鎌子の脳は、若雷丸の突きの速さに、自らの身体が、全く反応出来て居ない事を感じ取って居た。


 現実の時の流れと、脳の認識速度の不一致。


 人間は生命の危機に瀕した時、脳内では、平時より多くの神経細胞を駆使し、お互いを行き来する情報伝達速度を高め、認知機能を最大限とし、死を回避しようと試みる。その結果、単位時間当たりの情報処理数が格段に多く成り、人間は、眼の前で生じる事象が、緩慢に再生されて居る様に感じると言う。


 鎌子は、周囲の景色が止まって居る様に感じて居た。そして、その中を、若雷丸の左手から放たれた青き光が、徐々に、徐々にと、鎌子の喉元に迫り来るのを冷静に見て居た。光の中に見える剣の先も、鎌子との戦闘で欠けたと思われる新しい刃毀はこぼれも、能く見えて居た。


 嗚呼、このままこの剣先が、自らの喉に突き刺さり、項を突き破って自らを絶命させるで有ろうと、鎌子は解した。


 脳はこれ程迄に早く認知して居るのに、身体を一切動かせずに居たが故。


 鎌子は、眼を閉じ、死を受け入れた。


 閉眼の闇の中、直ぐに突き刺さるものと思って居た剣先が、喉を貫く感覚は無かったが、鎌子は、自らは既に絶命したものと考えて居た。


 嗚呼、これが極楽浄土か。否、吾の所業では黄泉が相応しい。


 すると、その刹那、

「諦めるのか、この糞餓鬼が」

 との言葉が、頭の中で木霊こだました。


「だから、其方の方が」

 と、鎌子が瞳を開けた刹那、大きな金属音が鳴り響いた。


「あれを避けるか」

 黒雷丸は暗い部屋の中から明るみに出て、眼を細めて見極めた。

 そして、大声で笑うと、

「出よった、出て来よった、雷神が」

 とはしゃいだ。


 鎌子は、剣を喉前に構えて、平で若雷丸の放った剣の先を受け止めたのだ。


 突きを放った若雷丸は、小屋の戸口まで吹き飛ばされ、黒雷丸の前で尻餅をき、左肘を擦り剥いて血を流して居た。

「なぁ、黒。仲間が吹っ飛ばされて楽しいか」


「済まぬ、済まぬ。だが、初めてだ。血脈の伝承者から始祖神が生まれ出づる様を観るは」

 黒雷丸は嬉しそうだ。

「見えぬか、若」


「何が」


「奴の剣先の上」


「何だ。日の光を浴びて、光ってんだけじゃねぇんか」


「違う、若。伝説の如く、あの剣先の上で胡坐をかいて居るのだ。建御雷之男神が。奴は覚醒したと見ゆ」


「良いなぁ。御前ぇの能力は。俺には見えねぇからな。俺等の借り物の能力じゃあ、出来る事たぁ限られる」

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