第75話 イテキ
「必至さに付き合わされて居る、兄等は可哀想じゃ。対馬に着いたのは二月前。倭の臣達は、この華美な出迎えの準備に、随分と手間取った様で、兄等はずっと対馬で待たされて居ったのじゃ」
唐の二代皇帝李世民は、新州の刺史(州長官)、高表仁を倭へと遣わした。舒明四年(632年)葉月、唐送使の高表仁と、倭大使の犬上御田鍬は、学僧の旻等、途中で乗り込んだ新羅送使等と共に対馬に到着した。
「何度か兄より使いが来て、色々と文句を聞かされた。じゃが、この二月の対馬滞在には益も有った様じゃ。兄は、高表仁殿と犬上御田鍬殿と政治ついて深く語り合い、倭の有るべき姿についての解を得たのじゃと。形名殿、ここからが肝要じゃ。確と聞いて給れ」
斐は形名の眼を凝視した。
「はい」
形名は大きく頷いた。
「兄が申すに、倭は、古来より続く、各国の統治は各国の王が執り行い、国を統べた王達が結んで連合を形成すると言う、現在の倭の有り様を改め、唐に倣い、大王、唯一人が、倭と結ぶ全て国々を統治すると言う、新たな体制に移り変わって行くのだそうじゃ」
「その様な事が出来るのですか」
形名は、顎を上げ、口を半開きとした。
「分からぬ。三野は未だ一つに纏まっては居らぬ。毛野は如何じゃ」
「毛野の西は一つと成って居りますが、東は。所で、本巣殿は、身毛殿は、息災ですか」
「おう、御二人とも三野の為に良う尽くして居られる。本巣殿は、民の暮らしを潤す為に、確りと政務を取り仕切って成さる。倭との連合も、本巣殿が有ってこそじゃ。軍事面では、身毛殿が、国を一つに束ねる為に、各地に出向いて、日々、血と汗を流して居られる。それが成るのも、もう少しじゃ。三野後国は各務野を放棄し、吉蘇川の東、加尓の地に迄追い遣られた」
「加尓ですか。懐かしい。私だけが加尓の集落に留め置かれ。あの時は本当に悲しい思いをしました。あ、そうだ。碧姫様は」
形名は眼を輝かせた。
「碧姫様ですか。碧姫様は斐陀国へと御輿入れ成さったんじゃ。じゃが、あの性格は、歳を重ねても、如何も治らぬらしく、斐陀国の者共も大層手を焼いて居るそうじゃ」
斐は声を上げて笑うと、少し遠くを見詰めた。
「そうさなぁ。倭から離れた国々はどこも一つには纏まって居らぬ。にも拘わらず、大王が一人で全ての国を統べるなど出来るものか。各国の王の協力が有ってこそ、国は治まり、連合が保たれて居るのじゃ。兄が申して居る事は現状に即しては居らぬ」
「はい」
形名は再び大きく頷いた。
「そして、もう一つ。毛野にとってはこちらの方が大事やも知れぬ。蝦夷討伐の強化じゃ。倭は、唐と文化を共有する、海を越えた中華の国の一つとして、共に歩むのだ。と、兄は言う。倭は、東夷ではなく、安東大将軍の大王が治める中華の東端の島国。故に、東夷は中華の内に有る倭の東に在る。それが蝦夷。蝦夷を討伐する事こそが、安東大将軍の役務で有ると唐に示す事で、倭は唐と価値観を共にする中華の国で、唐が討つべき夷狄では無い、と言う事を示したいのじゃと」
「はあ」
と漏らした形名は納得出来ぬ様で有った。
「毛野は蝦夷と仲良う遣って居ります。討伐などせずとも共に仲良う暮らせば良いでは有りませぬか」
「その通りじゃ。文化の異なる者同士が互いに仲良うする事が理想じゃ。じゃが、唐は文化の異なる、否、劣ると考える夷狄に容赦はせぬ。唐は中華を統一した後、実際に、周囲の夷狄に攻撃を仕掛けて居る。中華を治めた、文化の高い隋人の遺骸で塚を築くなど、文化の劣る野蛮な夷狄の所業。高句麗は、唐にとって夷狄なのじゃ。唐に夷狄と見なされては仕舞じゃ。攻撃の対象と成る。思うに、唐への挨拶が遅れた倭も、夷狄とされる可能性は高い。そう成らぬ為に、倭は、唐を真似、周辺の国々を従え、一つに束ね、中華の価値観に従って文化を高め、夷狄を討たねば成らぬと、兄は言う。確かに兄の言う事に、一理は有るのじゃ。今の倭の現状は異なって居っても、倭が唐に攻められぬ様に体勢を整えねば成らぬのじゃ」
「でも、討つ必要は有りませぬよね。一つに成れれば良いのでは」
「理想はそうじゃな。じゃがな、倭が道奥に築いた入植地が、蝦夷に襲われて居るのも事実じゃ。倭にも、蝦夷にも、恨みが有る。文化を異とする二つが仲良うするのは難しい。文化を共にする倭の連合の内ですら、武力で物事を解決して居るのじゃから」
「で、でも」
「では、毛野の東は如何じゃ。仲良う出来ては居らぬのじゃろ」
形名は俯き、言葉を発し無かった。




