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毛国王(the prolog version)  作者: 大浜屋左近
第三章 ~華乃都の貴人~
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第70話 ヒゲヅラ

「鎌子君、与志古媛君、お待たせしました」

 難波津で買い込んだ食材を手に、形名が部屋に飛び込んだ。


「あら、随分と早かったわね」

 与志古が少し不満気に漏らした。


「やっと帰って来て下さったか。吾はもう十分。与志古媛君が矢継ぎ早に話し掛けて来るが故、緩りと寛ぐ事が叶わず、却って疲れました」


「そうか。吾等が出かける折よりも、随分と顔色が良う成った様にお見受けするがのう」

 右手に酒瓶、左手に干し鮑をぶら下げた皆麿が揶揄う様に言った。


「確かに、随分と良くなりましたね」


「そりゃあそうよ。吾がずっと元気付けて居たのですから」


「そうそう。買って来ましたよ。干し鮑。今夜はこれを食べて、もっと、もっと、元気に成って、明日は皆で難波津に参りましょう」


「ほれ、これだ」

 皆麿は、酒瓶と笹で包んだ干し鮑を鎌子の前に並べた。


 鎌子は、笹を広げ、中から干し鮑を取り出すと、真面真面と見詰め、

「これは何時食すのだ」

 と問うた。


「ですから、今夜」


「今日は、喰えぬ」


「如何してですか。未だ気分が優れぬのですか」

 形名は心配そうに鎌子の顔を伺った。


「気分の問題では無い。この干し鮑、戻すのに二日は掛かる」


「へ」

 形名は皆麿の方へと顔を向けた。


「それは真か、鎌子君。酒席では、干し鮑をさっと戻して、肴として能う喰うて居るでは無いか」


「それは熨斗鮑のしあわびで有ろう。其方等が買うて来たのは乾鮑かんぱお。随分と立派な乾鮑では有るが、直ぐには喰えぬ。乾鮑は水で戻すにニ日。調理にも丸一日を要すると聞く。然るに、今夜は喰えぬ」


「そんな」

 形名は嘆いた。


「おっ、おう、そうか。そうで有ったとしても、この干しあわ、そう、乾、乾鮑は良き品では有るのだな」

 皆麿の眼は泳ぐ。


「ああ、品は良い」


「と、言う事だ、形名君。吾の眼に狂いは無い。そう。土産。難波津の良き土産が手に入ったのだ」


「皆麿兄、直ぐには食べられないって事。本当に知らなかったの」


 皆麿は答えなかった。形名は難波津での自信有り気な皆麿の姿を思い出して、何だか悲しい気持ちに成った。


「補、良かったのう。今宵、補の腹が悲鳴を上げる事は無い。安心せよ」


「はい、坊ちゃま」


 倭では少しばかり名の通った車売の言葉は虚しかった。


 鎌子は、少し体調が戻って来て居る様に感じた。とぼけた皆麿が要因か、将又はたまた、与志古との会話の御蔭か。色々と、頭を過ったが、結局、この仲間は落ち着くんだなと、鎌子は心の中で微笑んだ。


 その夜、鮑が食膳に上る事は無かったが、皆麿が難波津で買い揃えた食材が皆の腹を満たした。酒が進むと、鎌子は干し鮑の事で皆麿を揶揄かった。向きに成る皆麿、咎める与志古、戸惑う形名、微笑む補。皆の心も満たされた。


 朝を迎えた。


「眠いな」

 眼を覚ました皆麿は欠伸をした。


「あれだけ飲めばのう」

 鎌子が答えた。


「皆は」


「既に出立の準備を整え、馬の世話をして居る。ここに残って居るのは其方一人ぞ」


 皆麿は身体を起こすと、

「痛たた」

 と両手で頭を抱えた。


「如何する。難波津へは行かずに、ここで休んで居るか」


「行く行く」


 それから半刻。漸く皆麿が支度を整えた。


「さあ、行きましょう。難波津の街が楽しみだわ」

 与志古は男装では無く、淡黄の上衣に、橙の下裳を身に着け、赤の領巾ひれを纏う、女性に流行りの衣装で有った。


 男三人は馬に跨り、与志古は馬に横乗りと成って引き綱を補に預け、難波津を目指した。


 難波津の街の入口に着くと皆麿が、

「馬は補に任せ、吾等は歩いて街を巡らぬか。この人出では馬が邪魔と成る」

 と提案した。街の中は昨日とは比較に成らない程の人出で溢れていた。


「坊ちゃま、それが宜しいかと存じます」

 補は四人の馬の手綱を受け取り、

「翁は、こちらでお待ち申し上げて居りますので、皆様は御緩りと街を巡って下され」

 と快く皆を送り出した。


 四人は連れ立って街を歩いた。与志古が眼に付く店々に興味を示して入り込むので、その都度、男達は店の外で、与志古の興味が落ち着くまで、詰まらぬ事を語り合った。


 幾つかの店を過ぎ去った所で、突如、形名が雑踏の中に視線を向けた。

 その視線の先には、小汚い僧衣に身を包んだ、白髪混じりの髭を蓄えた坊主が居た。


「どうした形名」

 皆麿は形名の視線の先に気が付いた。


「あの僧侶、多分、知合いです」

 形名は人混みの中へと駆け入った。


「おい」

 形名は、皆麿の呼びかけに止まる事無く、僧侶に向かった。


「なあ、鎌子君。継ぎ接ぎだらけの僧衣を纏った僧侶が、真に形名君の知合いで有ろうか。其方に見覚えは有るか」


「否。一度も。あの様な僧衣を纏う者が。しかも、あの髭面。倭の仏教の総本山で有る斑鳩の僧侶等とは、有り得ませぬ」


 皆麿も、鎌子も、形名の言葉を疑った。が、形名の見立ては正しかった様で、僧侶と形名は暫く親し気に語らうと、形名は僧侶を連れて、皆の方へと戻って来た。


「皆さん、御紹介致します。斐殿です。この様な身形みなりでは有りますが、高名な漢人の僧医です。斐殿には、吾が倭に至る道中の三野で、大変、御世話に成りました。此度は、斐殿の兄上様が遣唐使で御帰還為さるとの事。御出迎えの為に三野より難波津に参ったそうです」

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