第69話 ショウサイ
「皆麿君、良かったですね」
形名は胸に手を置いた。
「皆麿君には、真に勇気が有ります。吾には、あの二人が怖くて、あの様なはっきりとした物言いなどは出来ませぬ」
形名は眼を輝かせて皆麿を見た。
「吾とて、あの二人は怖い。しかし、国子様が関わった事で、飛鳥での一件が蝦夷様の耳へと入り、国忍君が詰問されたと成れば、彼等はもう吾等に手を出す事など出来やしまい。家と家との問題に成る。それが分かって居たが故、聞けた迄さ」
皆麿は鼻から息を吐き、胸を張った。
「凄い。皆麿君は何時もその様に事を冷静に観て居られるのですか」
「いや、仕事柄、家と家との関係で物事が決するを、何度も目の当たりにして来た。それ故、知って居るのさ。暴力での解決など、所詮、下っ端の小競り合いに過ぎぬと。家と家の主が出て来て、話し合って仕舞えば、大概はそこで手打ちと成る。もし、家と家とが絡んだ後も、暴力を続けると成れば、それは戦だ。末家の高向に、それを決める権利など無いのさ」
「いや、本当に凄い」
と二人が楽し気に語らい乍ら、海産物屋の中に有る品々を手に取って眺めて居ると、
「お待っとうさん」
と、店主が干し鮑を笊に積んで奥から姿を現した。
「如何程お持ち帰りで」
「五つ」
形名が嬉しそうに大きく返すと、
「いえいえ、吾の様に慣れぬ者が、この様に高価な品を食べて仕舞いますと、お腹が悲鳴を上げ、下って仕舞います。御勘弁下され」
と、店の外から補が声を上げた。
「補翁も一緒に食べましょうよ。吾の方こそ、お腹を壊すやも知れませぬ。その時に、吾独りが苦しんで居るのでは、恥ずかしいでは有りませんか。是非とも御付き合い下され。逃がしませぬよ」
形名は補に笑顔を向けた。
「では五つだ、店主。銀粒で幾つに成る」
皆麿が聞いた。
「十」
「高い」
「何を仰いますのや。こんだけ上質な干し鮑は、うち以外では手に入らへんで」
「では、他を見に行くか、形名君」
「ちょっと、ちょっと、待ってくれへんか」
「いや、高すぎる。他も当たってから決める事とする」
「では、九つで、どないや」
「行くか、形名君」
「待ちなや、八つ。これ以下なら、他を当たって下はれ」
「分かった。行こう、形名君」
「分かったがな。七つ」
「では、銀粒七つで良いのだな」
「へい」
店主は、笊から五つの干し鮑を選ぶと、笹の葉で包もうとした。
「駄目だ。笊の物を全て見せてみよ」
「はあっ」
店主は手を止めて皆麿を見た。
「品は吾が選ぶ」
皆麿は、笊に積まれた干し鮑を一つ一つ吟味して、大きく、色艶の良いものを五つ選び出した。
「ちょっと、それは」
店主は困った顔を皆麿に向けた。
「約束だ。それとも、他を当た」
「分かったがな。もう、堪忍や」
「商談成立ですな」
皆麿は満足気で有った。
皆麿は、店主が丁寧に一つずつ笹の葉に包み、藺草で束ねた五つの干し鮑を手にすると、銀粒を七つ、袋から取り出し、机の上に並べた。
「あかんて。袋の銀粒。全部、こっちの笊に撒けて呉れへんか」
「何だ、言い掛かりか」
「鮑はあんたが自分で選びはったんや、銀粒はわいが選ぶ番やろ。何や、文句でもおまっか」
皆麿は呆れ顔で有ったが、仕方無く、袋の銀粒を全て笊にぶち撒けた。店主は、一つ一つ、大きさを見比べ、大きそうな銀粒を七つ手にすると、
「おおきに」
と、銀粒七つを包んだ手を揉み乍ら、皆麿に笑顔を返した。
店を出た形名と皆麿と補は、難波津の街で夕の食材と酒を買い揃え、宿への帰路に就いた。
「皆麿君は取り引きが上手ですね」
「まあ、普段よりこの様な事ばかりを遣って居るのでな。吾は、倭では少しは名の通った車売なのだぞ」
「本当に感心しました。でも、海産物屋の店主は、干し鮑を銀粒七つで売って大丈夫だったのでしょうか」
「なあ、形名君。あの店主の言って居る事は全部嘘ぞ。あの干し鮑、店の奥には山程有る。それに小さな干し鮑は、銀粒一つでは割に合わぬ。あの店主が選んだ干し鮑は全て小さき物。さも手前の大きな干し鮑を取ったかの様に振る舞い、実の所、後の小さな干し鮑を掴んで居ったのだ。あの店主の選んだ干し鮑を買って居れば、銀粒七つでは大損で有った」
「あんな気の良さそうな店主がそんな事を」
「随分とお人好しですなあ、形名君は」
皆麿は笑顔を見せたが、直ぐに真顔となり、
「所で話は変わるが、本日、国忍君達に会った事は、与志古弟と鎌子君には内緒にせぬか。鎌子君は蘇我嫌いで有るし、与志古弟は何を言い出すのか見当が付かぬ。国忍君も、もう手は出さぬと言って居ったが故、態々告げる必要のも無かろう」
「確かに、その通りですね。鎌子君は調子も悪そうですし、その上、気分を害して、物が喉を通らない何て事に成ったら、折角、皆麿君が安く手に入れた食材が台無しに成りますものね」
「安くは余分だ」
形名と皆麿は、海沿いの街道を、声を上げて笑い乍ら、馬を進めた。補はその横を小走りで並んだ。西に傾いた日が、赤く、補の顔を照らした。補の顔には、まるで軽く酔うたかの様な、満面の笑みが浮かんで居た。




