第68話 フレトンカ
風天丸は、奥羽山脈と阿武隈高地の間に開けた広野、阿尺に生を受けた。阿尺の地は雨に乏しく、大地を潤す川は細く、能く乾き、荒涼とした原野が広がって居た。蝦夷は、この地で、獣を狩って生きて来た。
田を成せる潤う大地は、東を流れる阿武隈川周辺の平地のみ。倭は、耕す地を求め、この狭い平地にも侵攻した。
蝦夷の者達は、地を耕す倭の人々を見て、驚愕した。
倭人は、蝦夷の用いぬ鉄の農具を使って、見る間に、荒れた湿地を、整然とした農地へと作り変えた。
風天丸の父は、鉄の農具に感動を覚え、我が子に、フレトンカという名を付けた。フレは赤、トンカは鉄鍬。燃え盛る焔の中から生まれ出る、真っ赤に焼けた鉄の農具に、父は蝦夷の未来を託した。大地を切り拓く逞しい漢に育って欲しいと。
当初、阿尺に侵攻した倭人と蝦夷の間には住み分けが有った。しかし、開拓を進める倭人は、蝦夷の禁を犯した。神の住まう聖地を田に変えて仕舞ったのだ。
風天丸の父は、仲間と共に聖地へ向かい、倭人に聖地を元に戻す様にと、強く求めた。
倭人に蝦夷の言葉は通じなかった。
体中に文身が施された蝦夷の男達に詰め寄られた倭人は、恐怖を覚え、耕す鍬を武器として、風天丸の父達に襲い掛かった。
風天丸の父は、蝦夷の未来を託す筈で有った鉄の鍬で頭を割られ、鍬は赤く血塗られた。
倭人と蝦夷の間に戦が始まった。
武装した倭人は鉄の剣を携え、蝦夷の部落を襲った。鉄を豊富に有する倭人と、僅かな鉄の武器で抗う蝦夷との間では、勝負に成ら無かった。部落の男は一人残らず首を刎ねられ、女、子供は、皆、俘囚に貶められた。
幼き風天丸は飛鳥へと送られた。風天丸は父に似て、大きく、強く、成長した。そして、様々な豪族達の私兵として、能く戦った。蝦夷、フレトンカの名は、豪族の間で聞かれる存在と成った。
十七条の憲法等と言う、ちょっとした約束事が出来た許りのこの時代。争い事は、基本的に武力で解決した。その為に、豪族達には、争いに勝てる、屈強な護衛が必要で有った。
数年前、国忍は飛鳥の俘囚郷を訪れた。フレトンカを私兵に迎え入れる為で有った。国忍は、郷の俘囚長にフレトンカを自らの兵に迎え入れたいと頼んだが、その対価は若き国忍に準備出来る物では無かった。
国忍は、フレトンカに一目だけ会わせて呉と、俘囚長に頼み込み、願いは叶った。
国忍は、フレトンカの前に立つと、角力を申し込んだ。が、勝負は一瞬で有った。国忍は、それから毎日、俘囚郷を訪ね、フレトンカと角力を重ねた。半年程経た所で、国忍は一瞬で敗れる事が無く成った。それから半年、国忍は暫く立って居る事が出来る様に成った。更に半年、国忍の攻撃がフレトンカに当たる様に成った。更に半年、フレトンカが初めて地面に膝を着いた。それから一年、国忍とフレトンカは角力を楽しめるに至った。
「なぁ、フートン」
国忍はフレトンカをフートンと呼んで居た。
「吾は下級豪族の子。なれど、この国の為に尽くし、上に行きたいと考えて居る。その為には、其方の如き強き兵が必要なのだ。其方の名フートンは風天に似、その攻撃は、強く、疾風の如く。将に、仏を守る風天神だ。フートンの名前を改め、風天丸として吾に付き従い、一緒に吾が一族を盛り立てては呉れぬか」
国忍は頭を下げると、背負って来た袋から銀鋌を取り出し、俘囚長の前に堆く積み上げた。
「ほう、御若いのに、これ程の銀鋌を。如何致しました」
俘囚長は眼を輝かせた。
「吾も半島との間で交易を始めましてな。その為には、海の賊とも闘わねばならぬ。だから、フートン、否、風天丸の力が是非とも必要なのだ。この銀鋌で、風天丸を吾が兵に加えたい。頼む」
「銀鋌は十分で御座います。後は、フレトンカ、其方が決めろ」
俘囚長は風天丸に眼を遣った。
「偶には、儂と、角力を楽しんで頂けますか。それと、儂が御仕えするんです、もっと、もっと強く成って頂かねば。それらを御約束して頂けますでしょうか、国忍様」
「分かった。吾は強くなる、その為に、もっと、もっと、其方との角力を重ねようぞ」
その日から、国忍と風天丸は、瀬戸内の島々を支配する賊達の白刃を潜り抜け、関門海峡に降り頻る矢雨の中を縫って進み、倭と半島の賊が跋扈する海北道中を渡り、半島では手に入れた唐物を狙う野盗を退けた。稀には、雷に奪われた様に、貴重な品を失う事も有ったが、何とか危ない橋を乗り越え、交易で富を蓄えた。
国忍が、風天丸と難波津に来たのは、当然、遣唐使の見物等では無い。遣唐使と共に半島より遣って来る自らの商船の出迎えで有った。
「国忍様、この様な能天気な餓鬼共に関わってる暇は御座いませぬ」
「そうさな。人も待たせて居る、去ぬるか」
「ちょっと、ちょっと、待って呉れ国忍君。与志古弟にはもう構わぬと誓って呉れぬか」
「その積りだ。車売に関わって、再び、蝦夷様に告げ口されても面倒。もう二度と構わぬわ」
国忍と風天丸は人混みの中へと消えて行った。




