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毛国王(the prolog version)  作者: 大浜屋左近
第三章 ~華乃都の貴人~
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第64話 レイカン

 門外に出た補が周囲を見渡すと、泣き叫ぶ与志古を乗せた馬は、斑鳩の里外れに広がる水を抜かれ乾いた田の上を、土埃を立てて馳せて居た。


 補は胸いっぱいに空気を吸い込むと、両の人差し指と中指を立てると口の中へと突っ込み、強く、大きく、息を吐き出した。補の口で作り出された指笛は力強い音圧を発し、日が明けて間もない朝の静寂を切り裂いた。


 音が周囲に木霊すると、土煙は止んだ。


 次に、補は短く、鋭く、指笛を奏でた。すると、歩みに合わせて力無く揺れる与志古を乗せた馬は、蹄の周りに小さな砂煙を上げ乍ら、軽やかに補の所へと戻って来た。


「与志古媛様。御怪我は有りませぬか」

 補は馬の頭を撫ぜながら、優しく話し掛けた。


「うん」

 涙と鼻汁で濡れた所に土煙を浴び、斑状に顔を茶色く汚した与志古は小さく頷いた。


 鎌子と皆麿は呆れ眼で、形名は心配気に、与志古を伺った。


「与志古媛様。御見事です。あの襲歩に振り落とされず、馬に乗り続けるなど、並みの女子では出来ませぬ」

 補は与志古に笑顔を向けた。


「与志古弟。その様子では、難波津には辿り着かぬで有ろう」

「与志古媛君。無理を為さるな。その腕前では付いては来れぬ」

 皆麿と鎌子が続け様に言った。


「嫌」

 与志古の眼からは涙が溢れ、幾つもの茶色い筋が両の頬を伝った。


「お坊ちゃま、形名殿、鎌子殿。この翁が、与志古媛様の手綱を確りと握らせて頂きますので、媛様を一緒に難波津へと連れて行っては頂けませぬか」

 補は深々と頭を下げた。


「補。あの様な腕前では」

 と皆麿が喋り始めた所で、形名が、

「皆様、吾の馬は緩りとしか進めませぬ。与志古媛君と共に、緩りと難波津へと向かえば宜しいでは有りませんか。次に皆で揃って、遣唐使を観る機会が訪れるとは思えませぬ。皆で行きましょう。宜しいですよね。皆麿君、鎌子君」

 と二人の眼を確と観た。


 二人は無言で有ったが、結論は決まった様子で有った。


「有難う御座います」

 補は男三人に向かって頭を下げると、

「媛様からも、ここは皆様に御頼み下され」

 と与志古を促した。


「本当に、皆と共に難波津へ行きたいの。お願い。一緒に連れてって。お願いします」

 と与志古は涙を拭って頭を下げた。


「分かりました」

 鎌子が声に出した。


「もう、あんな危ない乗り方をするでないぞ」

 皆麿も受け入れた。


「さて、それでは早速参りましょう」

 形名は満足気に皆を促した。


「では、翁は皆様の常歩に合わせて駆けまする」

 と与志古の馬の手綱を取った。


 竜田越は、竜田の山中では川沿いの山道を通って多少の上り下がりが有ったが、山を抜けると、大和川の流れに沿って難波に向かって一向に下る。山中では、狭く曲がりくねった道を、皆で緩りと間を開けずに進んだが、山を抜けると道が開け、各々は各自の速度で馬を進め始めた。


「待って下さいよ」

 遅れたのは、与志古では無く、形名で有った。


「形名君の方が、吾より下手なんじゃないの」

 与志古は決して乗馬が下手な訳では無かった。姿勢良く、馬の動きに合わせて体勢を整え、背筋を伸ばして軽快に馬を乗り熟して居た。思い掛け無い襲歩の折に、馬に振り落とされ無かったのは偶然では無く、与志古の腕前で有った。補は、唯、いざと言う時の為に轡に繋いだ引き綱を持って並んで居るだけで、実際の所、与志古が手綱を握って馬を制して居た。


「形名君、吾等は先に参りますぞ」

 皆麿が形名に告げると、皆麿と鎌子は競馬を始めた。


「待ってよ、皆麿兄」

 与志古が鞍から腰を浮かせると、

「成りませぬ」

 と、補は引き綱を軽く引いて、与志古の馬を留めた。


「吾を置いて行く積りですか」

 形名が与志古に問いかけたが、与志古は無言で、確りと引き綱を握った補が、

「緩りと参りましょう」

 と、代わりに答えた。


 形名と与志古、補は緩りと馬を進め、太陽が真南に至る少し手前で、難波の入口に至った。


「おーい。形名君。随分、緩りと参りましたな。待ち草臥れましたぞ」

 街道沿いの店先の切り株に腰を掛けた皆麿が、手を振りながら声を上げた。


「少し、馬を休ませましょう」

 補は形名と与志古の馬を預かると、店の裏手へと連れて行った。


 鎌子の待つ店の中へと、皆麿が形名と与志古を案内すると、斜め前の席には、何やら怪しげな三人の男が座して、人目を忍んで、小声で話し込んで居た。


「何か、怖いわね」

 与志古が小さく呟くと、これを聞いた鎌子は、口の前に人差し指を立て、首を小さく左右に振った。鎌子はこの三人の男達の徒ならぬ雰囲気を、既に、嗅ぎ取って居た。鎌子は三人の顔を思い浮かべて家伝の祝詞を暗唱した。脳裏に浮かぶ像を通して鎌子は確信した。三人は人を何人も殺めて居る。しかも、笑って。鎌子の背には冷たいものが走った。


 すると、突如、与志古が、

「あの人、知ってる。唐品屋の店主よ」

 と声を上げた。与志古には、鎌子の制止が通じ無かった様で有る。


 鎌子が、悟られぬ様に向こうを伺った所、三人は無反応で有った。鎌子は軽く安堵した。そして小声で、

「これ以上、あちらの事は何も言うで無いぞ。関係の無い。そう、遣唐使の話をしよう」

 と伝えた後、少し声を張って、遣唐使について語り始めた。皆麿も、形名も、それに合わせて、自らの知る唐の知識を大いに披露した。与志古は少し詰まらなそうで有った。


 すると、そこへ、

「馬は、元気に、餌と水を頬張って居ります。暫くしたら参りましょう」

 と、補が笑顔で入って来た。


 一瞬、雰囲気が明るくなった。


 が、束の間。


 唐品屋の店主と二人は席を立ち、

「御嬢様、お久しぶりです」

 と、店主が与志古に声を掛けた。


 怪しげな三人は、捨、若雷丸、黒雷丸で有った。

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