第61話 ベニサンゴ
唐品屋の店主は、必死に駆けて高向の追っ手を振り切り、都を抜け出し、飛鳥の東に位置する御破裂山へと逃げ込んだ。
「親分、助けて下せぇ。高向の奴等が店を探し出して、盗んだ品を取り返しに来ましたぜ」
「おい、捨。おめぇは品物を置いて逃げて来ちまったのかよ。如何すんだ。店の仕切りも出来ねぇで、おめぇ。名前の通り、捨てられてぇのか」
「まぁ、まぁ、若。そんな意地悪を言い為さるな。その者の腕では、結局、高向の奴等に捕まって仕舞じゃて。逃げて来て呉れた御蔭で、儂等の正体が高向に知られずに済んだんだで、良かったわ」
「黒は甘めぇよ。如何すんだよ。今回の仕事の上りで、鉄鋌三十貫を持ち帰んねぇと、大雷丸に怒られっぞ」
「そうさなぁ。手ぶらで帰る訳には行かねぇな」
此度の盗みは雷の所業で、一党の黒雷丸と若雷丸がその任に当たって居た。大雷丸は、身毛の館での戦闘の後、各務野に戻って奇襲戦を繰り返し、各地で内乱を引き起こす事で、各務野を奪おうと試みた。が、結局、大雷丸が各務野を手にする事は出来なかった。その後、小国が乱立する三野で、国の統一を目指す本巣国の翠と牟義都国(身毛)の蒼による連合軍が三野後国(各務野)へと侵攻した折、大雷丸は混乱に乗じて村国一族の旧領を奪取し、雷の本拠地とした。
「で、如何すんだ」
「まぁ、待て。飛鳥には大量の唐物が運び込まれて来る。謂わば、ここは宝の山。俺等は盗人。品物が有りゃあ、何時だって盗みゃあ良い。なぁ、捨。今度は上手く売り捌いて呉れよ」
捨は申し訳無さそうに頭を下げた。
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形名達は、事件の翌日、飛鳥の車持の館を発ち斑鳩へと戻った。皆麿としては、少し落ち着いた所で、車持本家の主、国子には、東漢との話が上手く纏まったとだけ伝える積りで有った。が、然うは問屋が卸さなかった。国子は、与志古が帰宅して直ぐ、与志古の異変に気が付いた。国子の問いに与志古が一切何も答え無かった為、皆麿は本家に呼び出された。本家の主の呼び出しを、皆麿に断る術は無い。皆麿がその顔を見せた刹那、全ては終わった。鎌子が可笑しく思う位に変形した顔が、一日で元に戻る筈も無い。その顔が全てを物語って居た。国子は確信し、皆麿に事の次第を問うた。皆麿は全てを打ち明けた。
皆麿の話を聞いた国子も、鎌子同様、何かを訝しんだ。国子は、早速、人脈を通じて蘇我の本家に探りを入れた。結果、蘇我の本家には、高向の家に盗みが入ったとは伝わって居なかった。国子には下級豪族特有の慎重さが有った。国子は、更に人を使って、高向の家にも調べを入れた。すると、今回の件は、国忍が単独で起こした問題で、高向の主、宇摩も計り知らぬ事で有る事が判明した。
半月程が経ち、与志古の謹慎が解けると、与志古は唐品屋で手に入れた簪が大層気に入ったのか、毎日の様に髪に挿して表へ出た。
皆麿は、国子に呼び出された折、与志古に嵌められ、決して裏切る事の許され無い本家の主、国子に対し、一つだけ隠し事をした。
皆麿が全てを話し終えた後、与志古は国子の下に呼ばれ、盗んだ簪を手渡す様にと促された。与志古はそれを察してか、国子の前に現れる時には簪を持って来た。与志古は、頭に紅珊瑚の玉の付いた簪を、国子に手渡した。国子は与志古に、手渡された簪は以前から持って居た物では無いか、と問うた。が、与志古は首を横に振った。皆麿は国子に見据えられ、真を問われた。
皆麿は首を縦に振った。
すると、与志古は突如立ち上がり、
「御父様は、御自分の可愛い娘に買い与えた物ですら忘れてしまうのですか。疑ったりして。皆麿兄も、これが私が飛鳥のお店から持って来た簪だと頷いて居るじゃないですか。御父様が買って下さった物とは全然違うのに。男の人って本当に嫌。似た様な物を買って、とか文句を言うし。飾りや模様が全然違うんだから。文化が分かって無い。そう言えば、御父様も、皆麿兄みたいに、文化だ何だって言って、遊行女婦を呼んで居るんじゃないの。この前、飛鳥に行った後、良い香りがしたわね。そう。思い出したわ。飛鳥の館で嗅いだ香りに似ていたわ」
と捲し立てた。
国子はもう良いとばかりに与志古を宥めて、紅珊瑚の簪を懐に仕舞うと、話を終わりにしたので有った。
与志古が歩む度に、簪の飾り鍵が他の棒と触れ合い、心地の良い軽やかな金属音を響かせた。




