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毛国王(the prolog version)  作者: 大浜屋左近
第三章 ~華乃都の貴人~
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第56話 カラフウ

 部屋に入って来た男の名はおぎ。助の双子の兄で有った。

「坊ちゃま。与志古媛様が街の唐品屋で男共に絡まれて居りまして」


「如何して与志古弟が都に来て居るのだ。と言うか、補は如何して与志古弟を置き去りにして来たのだ」

 呂律の儘成らない皆麿が大声で問うた。


「御相手が悪く、吾では何とも成りませぬ」


「相手は」


高向たかむくの御子息様で」


「高向臣。蘇我の一族か。厄介だな」

 皆麿は鎌子へと眼を向けた。が、鎌子は土師を自らに引き寄せ、首元に顔を埋めて、知らぬ振りを決め込んで居た。


「御子息、と言う事は、国忍君くにおしのきみか。鎌子君が関わって、蘇我の一族と面倒を起こされては、堪ったものではない。吾が暫し参って話しを付けて来よう。補、案内して呉れ」


「宜しくお願いします。坊ちゃま」


 赤ら顔の皆麿は、千鳥足で部屋を出た。


「ねぇ、鎌子君は行かないの」


「皆麿君が言って居った様に、蘇我嫌いの吾が行っても問題が広がるやも知れぬ。一方、商売上手の皆麿君は、こう言う揉め事を纏めるのには慣れて居る。信じて待とう」


「うん。でも、やっぱり、吾は行って来るよ」

 形名も部屋を出た。


「あら。残されちゃったわね」

 左夫流が形名の後姿を眼で追い乍ら言った。


「左夫流殿もこちらへ」

 鎌子は盃を眼の高さまで上げると、涼やかに微笑んだ。


・・・・・・・・・・・・・・・


「待って下さいよ、皆麿君」

 家人の補は、馬には乗れぬ身分で有ったが故、皆麿の前を走って道を案内して居た。その為、形名を乗せた鈍足馬でも皆麿に追い付く事が出来た。


「如何した、形名君。追って来たのか」


「はい」


「折角、遊行女婦を呼んだのだ。楽しんで居れば良かったものを」


「何となく苦手で」


「変わった奴だなぁ。あの様に見事な舞いや歌など、滅多に観られるものでは無いぞ」


「はい。それは本当に見事と思いました。ただ、女性が隣に居ると、どうも御酒が進まなくて」


「やっぱり変わった奴だな。あれ程美しい女達はそうは居らぬぞ。まぁ、良い。与志古弟を迎えに行こう」


「坊ちゃま。そこを曲がって、直ぐそこです」

 息も切れ切れと成って走る補が告げた。


「あそこか」

 角を曲がると戸外に人の群がる唐風の建物が目に入った。


「ちょっと退いて下さらぬか」

 店前に着くと、皆麿が群がる町衆に声を掛けた。


「居た、居た。居ました」

 町衆から頭一つ飛び出した形名が、店の中の与志古を見付けた。


「酷い事をするなぁ。与志古弟が何をした。縄を解いては呉れぬか」

 与志子は後ろ手に縛られ、更に、猿轡まで噛まされて居た。


「随分と暴れ回る口五月蠅い女で有ったが故、大人しくして頂いた迄だ」

 涙と鼻汁と土で汚れた与志古の左頬は赤く腫れ上っていた。随分と痛めつけられたのか、言葉通り、すっかり大人しく成って居た。


「其方が国忍君か」

 皆麿が与志古を縛り上げた縄を持つ男に聞くと、


「国忍は吾だ」

 と、奥から薄紫の絹衣を纏った男が出て来た。


「御頼み申す。与志古弟を返しては下さらぬか」

 皆麿は国忍に向かって頭を下げた。


「道奥を追い出された車売が、倭の臣、しかも、蘇我の一族の者に対して、対等に物を申して居るのか」

 国忍は笑った。毛野は道奥ではなく、東国の一国で有ったが、当時、東国とは三野より東を指し、倭の民からすると、東国の東端と道奥の区別など如何でも良かった。しかし、中央豪族には十分な教養があり、当然、それを知った上での国忍の蔑みで有った。


「では、如何すれば」


「磕頭の礼を持って許しを乞うのが、然るべきであろう」

 縄を持つ男が挟んだ。


「それは何でも遣り過ぎでは」

 形名が思わず前に出た。


「何だ御主。随分な大漢だなぁ。車持の護衛か」

 国忍が言うと、形名の前に三人の男が立ちはだかった。


「ちょっと、ちょっと、待って下され。この者は友だ。車持の家とは関係有りませぬ」

 皆麿が、形名と三人の間に割って入った。

「形名君。先に帰って、鎌子君に頼んで、皆を帰して頂けませんか」


「えっ、でも」


「お願いです。この様子じゃあ、与志古弟を館に連れて行かねば成らぬ。それ故、如何か宜しくお頼みします」

 皆麿は申し訳なさそうに、形名に頭を下げた。


「分かりました」

 と言うと、形名は町衆を掻き分け店を離れた。


「誠に申し訳御座いません」

 形名は背中越しに皆麿の謝罪を聴いた。


 すると、何やら物を打ち付ける様な鈍い音が立て続けに響き、

「痛てぇよぉ」

 と言う、皆麿の叫び声に続けて、

「やうぇええぇ」

 と与志古の泣き声が形名の耳に届いた。


「おい、御主。酔って居るのか。随分と顔が赤いなぁ」


 再び鈍い音が形名に届いた。


「汚いねぇ。こいつ吐きやがった。しかも酒臭せぇ。景気付けに酒でも飲んで来やがったのか」


 形名の後ろで男達の笑い声が木霊した。

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