第54話 ウカレメ
商談が上手く纏まって気分が高揚したのか、東漢の館を出ると皆麿が突如、
「形名君。都まではこの道を一直線。競馬でも致しませぬか」
と持ち出した。
「ゆっくり話して行きましょ」
と形名が言い出した所で、
皆麿は、
「はっ」
と掛け声を上げ、馬の尻を鞭で打った。
すると皆麿の姿は、土煙を残して、見る間に小さく成った。
「追いかけますか、形名君」
鎌子は立ち乗りと成って、鞭を撓らせた。
「待ってよ」
三人は、飛鳥の都へと続く道を、北東に向かって馳せた。朝から続く秋晴れで、少し暑い位で有ったから、馬を飛ばすと心地良かった。朝には雲一つ無かった青空に、次第に白い雲が湧き上がって来た。
飛鳥では、大王の住まう岡本宮を中心に都が築かれて居た。宮は大王の住まいに相応しく、厳かな静寂に包まれ、近付き難い気配が漂って居たが、宮の外は都らしい活気に満ち溢れていた。
「遅いよ、形名君」
都の入口で、皆麿と鎌子が待って居た。
「鎌子君の馬は凄いなぁ。あっと言う間に追い抜かれ、その後は、全く追い付け無かったよ」
鎌子の乗る駁鹿毛の馬は唐の北西に位置する大草原から取り寄せた名馬であった。
「それにしても形名君は遅い。と言うか、形名君を乗せる馬が可哀想だよ」
巨漢な形名を乗せた馬は見るからに息が上がっていた。
「ごめんね」
皆麿に指摘され馬の様子に気が付いた形名は、申し訳無さそうに馬の首を撫ぜた。
「さて、どうしますか」
鎌子が皆に問うた。
「そうだな。本日は早速始めましょう」
皆麿は目を輝かし、待ちきれぬ様子であった。
「分かりました。では、女達を呼んで来ます」
鎌子は馬を歩ませ都の中へと入って行った。
「形名君、行きましょう」
と言うと皆麿は馬の腹を軽く蹴った。
皆麿が飛鳥で使う定宿は都の外れに在った。車持本家の持ち物で、飛鳥で仕事がある時には、一族の者は自由に使用する事を許されていた。
「おい。誰か」
定宿の門前に着くと、皆麿が中へと声を掛けた。
「はい。はい。ちょいとお待ち下され」
何やら門を開けるのに手間取っている様子であった。
「随分と御早い御着きで。都を回って来無かったのですか」
門を開いた翁が皆麿に笑顔を向けた。この翁は車持本家の家人で、この定宿の管理を任されていた。
「ああ。今日は早々に宴とする。東漢とは良い仕事が出来た。伯父上様の耳にそれとなく入れて置いて下され」
皆麿は満面の笑みを浮かべた。
「はい。それは宜しゅう御座いましたね」
家人も笑顔を返した。
「なあ、助。今日は奥の広間を使う。誰か来たら、直ぐには入れず、助が取次ぎをして呉れぬか」
「あれま、内緒事ですか。万事承知仕りました」
家人の助は頭を下げた。
「さあ、形名君。行きましょう」
皆麿は馬を降りると形名を促した。
「では、これを宜しくお願いします。」
形名は馬を降りると、手綱を助に手渡し頭を下げた。
形名と皆麿が暫く奥の広間に入で寛いでいると、
「坊ちゃま、鎌子殿が参られました」
と、助が部屋の外から声を掛けた。
「分かった。部屋に案内して暮れ」
「はい。それにしても随分と楽しそうで御座いますな」
「五月蠅い。伯父上様の耳には呉々も入れぬ様に」
「承知して居ります」
「さぁ、さぁ、来ますぞ。形名君。形名君も絶対に気に居る筈。否、もし気に入らぬのであれば、形名君はおかしい。そう、文化というものが分からぬと言う事と成る」
皆麿が期待に満ちて熱心に形名に話をして居ると、助の案内で鎌子が部屋へと入って来た。
「お待たせしました」
部屋の中に何とも言えぬ心地の良い香りが入り込んで来た。鎌子の伽羅とも異なる本能を刺激する香りで有った。
「さぁ、さぁ、中へ」
皆麿が本能に抗えず、鼻孔を大小させ乍ら招き入れた。
艶やかな女が四人。鎌子の後ろについて部屋に入ると、横一列に並んで、両手両膝、そして、頭を地に付ける磕頭の礼で、形名と皆麿に挨拶をした。
所作の度に香りが舞った。
「あら、今日の殿方は、皆、御若い」
至極妖艶な女が、皆麿の瞳の奥へと話し掛けた。
「はひぃ」
皆麿の返事は完全に裏返った。
「あら、そちらの殿方は恥かしがり屋さんですかしら」
形名は俯いた儘、顔を上げる事が出来なかった。
「御紹介して宜しいのかしら」
妖艶な女は鎌子の方に目を向けた。その姿が又若者の本能を刺激し、皆麿は唾を飲み、形名は頭が胸に埋まるかの如く下を向いた。
「どうぞ」
鎌子は涼しげに返した。
「手前から、蒲生、児島、土師に御座ります。そして、私が一座を取り仕切っております、左夫流で有ります」
女達は再び頭を下げた。
「吾は、人数に合わせて三人でと所望したのだが、左夫流がどうしても皆に挨拶したいと申すので、四人に成ってしまった。宜しいでしょうか、皆麿君」
「良い。良い」
皆麿は目を輝かせて、頸を二度、縦に振った。
「それでは、早速、舞いと歌と参りましょう」
鎌子が形名の横に座すと、左夫流が告げた。
遊行女婦は宴に於いて、歌舞音曲で席を賑わす女達であった。表向きには。酒が進めば、それにも付き合った。互いに酔いが回れば、戯れる事もあった。仕事ではなく。そして、それ以上の事は、殿方の力量に掛かって居た。




