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毛国王(the prolog version)  作者: 大浜屋左近
第三章 ~華乃都の貴人~
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第52話  ホトケ

「ねぇ。吾も連れて行ってよ」


 形名が皆麿の宅に到着すると、与志古よしこが鎌子に迫っていた。与志古は車持本家の主、国子くにこの娘であった。皆麿から見ると父、国嶋くにしまの兄の娘で、四つ歳下の従妹に当たった。与志古は御茶目な女で、少し鬱陶しい位に人懐っこく、形名と鎌子が皆麿宅に集まって話をして居ると、必ず割って入った。


「此度は、遊びでは御座いません。与志古媛君よしこのひめぎみは御遠慮下され」


「何でよ。前回も御仕事でしたけど、連れて行って呉れたじゃない。ねぇ、意地悪してるの。それとも、何か吾を連れて行けない理由でも有るの」


 与志古と鎌子は歳が同いであったが故、与志古は鎌子に対してはづけづけと物を言った。


「ねぇ、皆麿兄みなまろのえ。今回は、何か特別な御仕事なのかしら。叔父上殿に御伺いして見ようかな」


与志古弟よしこのおと。今回は我慢して呉れぬか。男同士、色々と、将来の事、家の事、悩みも有る。それを、男だけで、緩りと話し合いたいのだ」


 この時代は男女の別無く、年上の兄姉は、年下の弟妹はおとと呼んだ。


「ねぇ、形名君。本当なの」

 落ち着いた口調で問う与志古は、その愛くるしい瞳から放たれる厳しい視線を、到着したばかりの形名の眼に向けた。


 形名は与志古の視線を避けた。これは今日に限った事では無かった。形名は、与志古の大きな瞳の奥に、何だか心を引きずり込まれて仕舞いそうで、いつも与志古と眼を合わせる事が出来なかった。与志古はそれに気が付いて居て、故意に、こうして形名に答えを求めた。


「皆麿君」

 と形名が言い始めた所で、


「形名君。君が毛野の家の事で悩みが有ると言って居たのが事の始まりでは無いか。それで態々、鎌子君が飛鳥の知り合いに頼んで席を設けて貰ったのに、何故、それをはっきり言わぬ」

 と、皆麿が少し怒った様に形名の言葉を覆った。


「与志古姫君。そう言う事なのです。ですから、今回は御遠慮下され」

 鎌子は、与志古の両の肩に優しく手を置き、与志古の瞳を確りと見詰めて、与志古の同意を取り付けた。


 何やら呪術にでも掛けられたのか。急に大人しく成った与志古は、

「皆、気を付けて行って来て下さいね」

 と言葉を残すと、頬を赤らめ、俯いた儘、宅の中へと小走りに駆けて行った。


 鎌子の、この呪術的な力は、与志古だけでなく、多くの女性、否、男性にも通じた。中臣家の始祖神と言われるアメノコヤネは、アマテラスが失政を問われて思い悩み、洞窟に篭って居た所を、占術と呪術を用いて表舞台に返り咲かせたと伝わる。この古より受け継がれた占術と呪術により、中臣の一族は神事、祭祀の家として、大王に仕え、この国で確固たる地位を築き上げて来た。鎌子にもアメノコヤネの血が脈々と受け継がれて居たので有ろう。


「皆麿君」

 形名が話しかけると、皆麿は口の前に人差し指を一本立て、その指を二度唇に触れると、片目を瞑って形名に微笑み掛けた。


「さて、皆様、準備は御揃いか。邪魔な姫君も去りましたが故、早速参りましょう」


 皆麿が声を掛けると、三人は馬に跨り、飛鳥に向けて歩み始めた。


 太子道とも呼ばれる筋違道は、斑鳩の里と飛鳥の都の七里程をほぼ直線で結んでいた。この道を進んで里を抜けると、景色は一変した。見渡す限りに、田が地を覆い、収穫前の稲穂は、辺り一面、金色の野を作り上げた。


「あぁ、ここから見える田園風景。その全てが蘇我の所領なんだよなぁ。羨ましい。吾もそんな名家に生まれて居ればなぁ」

 皆麿が口火を切ると、


「あぁ、あんな傲慢な家に生まれたいなどと言い出すとは、皆麿君も地に落ちましたな」

 と、鎌子が呆れた様子で返した。


「本当は鎌子君も羨ましいんだろ」


「そんな訳が御座いますか。馬鹿にしないで頂きたい。この辺りは、元来、葛城かつらぎの地。葛城家の没落後、大王がこの地を領し大切に守って来たのに、それを蝦夷えみしが騙す様に手に入れたのだ。天に居られる推古大王すいこのおおきみは、嘸かし御嘆きに成って居られる事だろうよ」


 蘇我家と中臣家の間には、鎌子の曽祖父の時代から、浅からぬ因縁があった。欽明大王きんめいのおおきみの治世時、百済より初めて仏教がもたらされた。大王はその取り扱いを決め倦ね、有力な豪族家に意見を求めた。物部尾輿もののべのおこしと先代の中臣鎌子は仏教の導入には反対であったが、蘇我稲目そがのいなめは崇仏を唱え、大王より仏像を預かって仏堂を築き、日々、これを拝んだ。その後、倭には疫病が流行した。尾輿と鎌子は、これを仏教を受け入れた事に対する、古より倭を守る天地百八十神の怒りと、稲目を糾弾し、仏像を奪って難波の堀江へと捨て去った。排仏派と崇仏派の争いは次代へと続いたが、蘇我馬子そがのうまこと厩戸王が手を結び、中臣勝海なかとみのかつみ物部守屋もののべのもりやを討つ事で、崇仏派の勝利に帰結した。


 蘇我馬子が亡くなり、蝦夷の時代と成った当世、中臣家の主の弥気は、勝海は中臣家の傍流であり、排仏思想は傍流独自の愚行で、本家は飽く迄も崇仏派であると蝦夷に申し開きをし、高祖父と同名の鎌子を厩戸王に縁の法輪寺で学ばせる事で、中臣家の崇仏主義を態度で示した。


「もう、言い争うのは止めにしましょう。折角これから、皆で飛鳥の都を楽しむのでしょ」

 形名が挟むと二人は話を止めた。皆麿は鎌子と争う気など更々無いし、鎌子は元来熱くなる気性では無かった。


 その後、三人は倭の豊かな稲の実りの中を飛鳥に向けて馬を進めた。秋晴れの清々しい陽気が三人を優しく包んだ。

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