第51話 ミヤビ
形名は二十に成った。法輪寺での生活も五年を経て、形名は大きく成長した。身長は六尺を少し超え、体重は二十五貫に迫った。しかし、性格は、変わらずに穏やか、否、臆病の儘で有った。
「おーい、形名君」
皆麿が講堂に入るなり、形名に話し掛けた。
形名が振り返ると、
「飛鳥へ行こう」
と持ち掛けた。
「いつ」
「明日。親父殿から、飛鳥の漢人の館へ行き、荷車の注文を受けて呉れと頼まれてな」
車持の家は、毛野の西に聳える雷の峰の裾野一帯を支配した、毛野随一の古豪族であった。百年程前、雷の峰が、突如、天高く噴煙を上げるまでは。火口より流れ出づる溶岩が、車持の栄華を一瞬にして焼き尽くした。しかし、車持の農地を灰で満たした火砕流も、長年培った車持の技術を奪う事は出来なかった。車持の家は、農業の傍ら、雷の峰の豊富な森林資源を利用し、多種多様の木製品を生み出して来た。車持の家は、木製品の生産に一族の活路を見出し、その販路を求め、倭に拠点を移した。車持の生み出す車は評判が良かった。その技術力から、大王の乗輿を作製する家に推挙され、車持の姓を賜った。車持一族の多くは倭に住まうて居たが、木材の生産拠点として雷の峰を持ち続けた為、倭王権に於ける根拠地は毛野で、形名の毛野家を主家とした。
形名は明日、明後日の予定を思い浮かべた。斑鳩と飛鳥は厩戸王の築いた筋違道で結ばれ、馬で四、五時間の旅程で有った。飛鳥の都は華やかで、皆麿は仕事ついでに宿泊し、夜の都風情を堪能するのが常套で有った。形名も何度かこれに付き合って来た。
「おい、形名君。その阿呆面は止めて下され」
考える時の形名の癖は治って居なかった。
「それと、鎌子君も誘おう」
皆麿は、背格好は並で有ったが、頭の利く愉快な男で、商才があり、仕事で鎌子の人脈を利用するのも、常套で有った。
鎌子の中臣の家は、神事、祭祀を司る古豪族で、倭王権を支える群臣の一つであった。一族の本流は古より山背国の山階を領して居たが、鎌子の属する支流は東国の那珂国の香島を治め、代々、香島神社の祭官を継いで来た。鎌子は、伯父で本家の長、弥気の手引きで法輪寺で学んで居り、弥気の助力を得たい輩が、鎌子の元に群がった。
「御機嫌好う」
形名と皆麿が話していると、講堂に鎌子が入って来た。鎌子も身長が高く、六尺程有ったが、体形は形名と異なり、痩身で、都風の華やかな装束が良く似合って居た。
「なあ、鎌子君。明日、飛鳥に行こう」
「え、随分唐突ですね」
「何か、用事でも有るのか」
「特に有りませんが、何用で」
「また親父殿に仕事を頼まれてな。まあ、仕事は常連の発注なので、鎌子君の手を煩わせる積りは無いのだが、この前の女、又、あの女達を呼んでは呉れぬか」
商才に長けたこの男、無類の好色で有った。一月程前、鎌子と二人で飛鳥に出向き、鎌子を使って仕事を片付けた後、鎌子の伝で、初めて、都で評判の遊行女婦を呼んで都の夜を明かしたのだが、それが大層御気に召した様で有った。
「女達」
形名は、毛野の館に仕える兵達が酒売り娘を兵舎へ誘い込み、酒に酔って戯れる姿を何度も覗き観て居たので、その姿を皆麿に重ね合わせると、嫌悪感が浮かび上がったが、同時に、興味も湧き上がった。
「形名君。本当に気持ち悪いですぞ。その顔」
皆麿が指摘すると、鎌子は声を立てずに肩で笑った。
「分かりました。明日、形名君も共に、飛鳥に参りましょう。皆麿君の御気に召した女達も御用意致します。皆で、都の夜を楽しみましょう」
鎌子は微笑んだ。皆麿が発すれば生々しく聞こえる言の葉も、鎌子から出づれば清々しい。雅な風姿は有らゆる事象を浄化した。
「それでは、明日の巳の刻。吾が宅を出立と言う事で宜しいかな」
皆麿が伺うと、
「はい」
と形名は頷いた。
鎌子は無言で微笑み、頭を小さく傾けると、自らの席へと歩き出した。鎌子が学生の間をするりと擦り抜けると、男臭に満ちた講堂に伽羅の余香が漂った。




