第46話 ヨロイヒモ
「やはり雷は賊であったな。なぁ、武人が消えるか。戦の最中に隙を作って消え失せる何て、思いも付かんかったわ」
蒼が大声を上げて笑った。
「貪狼は殺った後、消えるよな」
巨門が嫌味っぽく言った。
貪狼の役割は主に暗殺。闇に紛れて敵の中へと潜り込み、敵将の首を刈ると、即座に姿を晦ますのが、何時もの遣り方であった。
「消えては居るが、逃げちゃあ居ねぇよ。巨腹」
貪狼が巨門を睨んだ。
「止めろ、貪狼、巨門」
蒼が二人を制した。
広庭には、未だ、雨が強く降り続き、何発かの稲妻が近辺の地に落ちた。
「雷。噂通りじゃ。雷の来襲に雷鳴轟く」
羅我が稲光の走る夜空を見上げて呟いた。
「兄ぃ。俺等が坂で襲われた時にも雷が鳴って居たよなぁ」
「あぁ、あん時も酷でぇ雨だった」
亀の問いに兎が返した。
「大雷丸の言って居った村国一族は、雷神を祖に持つのかも知れんのう。雷神は、黄泉の国でイザナミより生まれし古代神。古豪族の王の血筋としても頷けるじゃろ」
羅我が兎と亀に話し掛けた。
すると、そこへ舟来彦が館の中から駆け出て来て、
「身毛殿。館の火は消し終えました。この豪雨の御蔭で周囲には燃え広がらず、大事に至っては居りません」
と蒼に伝えた。
「さて、皆の者。ここで提案だ。此度は、舟来彦およびその兵達の活躍により、我等は館の奪還を成し遂げた。ここは舟来彦に勝ち鬨の雄叫びを上げて頂きたいと思って居るのだが、異論の有る者は居るか」
と蒼は周囲に伺った。
「いや、滅相も御座いません。勝ち鬨は身毛殿が」
と舟来彦は断ったが、周囲の誰もが首を横に振った。
蒼が作り出そうとしている身毛の地は、支配者、被支配者の別無く、皆が各々の役割を果たして富を生み出していく、原始国家的なものであった。
舟来彦が雄叫びを上げると、雨は止み、空が次第に白み始めた。
・・・・・・・・・・・・・・・
「形名殿。準備は整いましたか」
翠が声を掛けた。
本巣の館前では、葺が形名の鎧紐を締め直して居た。
「坊ちゃま、否、本巣殿の初陣を思い出しますな。坊ちゃ、否、本巣殿も、鎧の紐の締め付けが弱く、行軍途中、馬上でズルズルと鎧も兜もずれてきて、馬の歩みに合わせて兜が上下に動き、御顔が見え隠れするものだから、随分、滑稽でした。御父上の真若様がそれに御気付きに成り、自ら、御坊ちゃまの鎧紐を締め直して居たのが、今でも本当に懐かしいです」
「五月蠅い、葺。形名殿の身支度を確りと頼んだぞ」
形名は、二人の遣り取りを聴いて、何だか羨ましくなった。
「形名殿、出陣の御経験は」
葺が尋ねた。
「いえ、まだ一度も」
「武具を身に着けた事は」
「有ります。部屋の中で。しかも、全て、女官の者達が」
葺は形名の身支度を終えると、少し離れて一見し、
「雄々しい鎧姿ですぞ、形名殿の御父上様にも、是非、ご覧頂きたい」
「私の父上は、既に」
形名は俯いた。若くしてこの世を去った父、池邉が、形名の鎧姿を観た事は無く、一緒に行軍する事など、形名の夢の中でも経験は無かった。
「御無礼仕った。大変済まぬ事を申しました」
葺は何度も頭を下げた。
「如何為さった」
二人の様子に気が付いた蒼が尋ねると、
「いえ、何も御座いません」
と、形名は翠に向かって姿勢を正した。
「見事な武人の出で立ち」
翠の瞳が形名の背筋を更に正しくさせた。
するとそこへ、百名程の歩兵が隊を成して現れ、三人の前に一斉に跪いた。
「本巣殿。お申し付けの有りました、額田一族の歩兵集団です」
と葺は馬を降り、翠に向かって両手を広げた。
「一晩でこれ程の兵を集めるとは、額田一族も侮れぬな」
翠は葺に向かって白い歯を見せた。
「さてと。それでは皆の者。これより青野へ向かい、碧姫を父上の元より取り戻す」
蒼は馬上で剣を抜いて、天に翳した。




