第30話 サイカイ
次の朝、形名は碧と斐と共に加尓を発ち、昼頃には各務野へ向かう谷を下って居た。
「ねぇ、非文。未だ着かないの」
碧は、集落を出て直ぐから、ずっとこの調子であった。
「碧姫様。形名殿も御疲れでしょうから、こちらに乗って下され」
「嫌だ」
加尓を発つ時、斐は碧を自らの馬の背に乗せる積もりで居たのだが、碧が拒み、形名が受け入れたので、碧は形名の馬に乗っていた。しかも、形名の懐に抱き付いた状態で。碧は形名の事を、大層、気に入って居た。
「なぁ、形名、其方は童がここに居るのが嫌か」
「碧姫様。嫌じゃありませんよ。でも、落ちない様に、確りと掴まってて下さいね」
「ほら、非文。形名は良いと言って居る」
「形名殿。疲れたら、正直に言って下され。道は長いんじゃ」
結局、碧は、谷を下り吉蘇川の河畔に辿り着くまで、形名の懐に包まれ、満足気で有った。
「川が見えますよ。碧姫様」
「何処だ、形名」
碧は首を後ろに向けた。
「なぁ、非文。また、泳いで渡るのか」
「えっ、ここを泳いで渡ったのですか」
「人質の碧姫様が逃げ出したんじゃ。あの時は、各務野を抜ける全ての道が封鎖され、関所には多くの衛兵が詰めて居った。夜中に隙を見て、碧姫様を背負い、川を泳いで渡ったんじゃ」
「また、夜中に泳いで渡るのですか」
「馬鹿を言え。海を渡るのじゃ。船を使う」
形名は安堵した。
吉蘇川は古代より水運が盛んで、吉蘇山中の木々を船を使って各地へと送り出して居た。
「港に行けば船が在る。それに乗って海を越えるつもりじゃ」
形名達は、関所を横目に、川に沿って木津の港へと馬を進めた。
木津の港は、材木を運ぶ船で溢れ、褌一丁の荒くれ者達が大きな丸太を縄を使って筏に組み上げ、次々と船に繋いで居た。海上には、長々と連なる筏を引く船が、無数に浮かんで居た。
斐が、船を杭に繋ぐ海の男達に威勢良く指示を出す、真っ黒に日焼けした筋骨隆々の船主に目を付け、
「なぁ、旦那。青野まで船を出して欲しいのだが」
と声を掛けた。
「今日はもう仕事は仕舞いや。これから船を出したって、日が出て居る内に青野には辿りつけん。明日も材木を運ばなあかんで、あんた等を乗せたる事は出来んよ」
「金は払う」
と斐は船主に幾つかの金粒を手渡し、
「手付けだ。明日はこの倍を払う」
と船の準備を頼んだ。
「そんなら話は変わるて。運ぶんは馬二頭と御三方で良いんかね」
「荷が少ないか。払い過ぎかのう。旦那」
「いや、いや。そちらが言い出した話だで。しっかり払って貰わんと、船は出せんよ」
「分かった。分かった。明日は頼むぞ。旦那」
「日の出と共に船を出すんで、それ迄にちゃんとここで待っとってや」
「承知した」
・・・・・・・・・・・・・・・
一方、各務野を出た羅我の一団は、青野へ向けて海沿いを歩いていた。
すると、各務野の方面から奇声を上げる一群が掛けて来た。
「何だ」
一団の後ろを守る兎と亀が振り返った。
「おい、兄ぃ。賊だ」
「そうみてぇだな」
「これは困りましたな」
前を守っていた羅我が兎と亀に近付いた。
「兄ぃ。見た事の有る顔だべな」
「何で、彼奴が」
亀と形名は賊の先頭を駆ける男を睨み付けた。
「お知り合いで」
羅我が問うと、
「あぁ、今一番ぶっ殺してぇ野郎だ」
亀が答えた。
「ぶっ殺したいだなんて、物騒じゃのう」
羅我が笑った。
賊の常套陣形か、彼等は前回同様、鶴翼状に配した。人数も同じく五。中央奥の男が聞き覚えの有る声で話し掛けた。
「何だ。おめぇらか。関所番から、童女を連れた一団が居るって聞いたもんで、攫いに来てみりゃ、運命の再会やないか。何かの縁やで、大人しく、童女等を置いてって呉れんかね」
「何だ、おめぇ、ぶっ殺されてぇんか」
「えっ、記憶無いんかいな。無様に斬られたんは、おめぇやったがな」
賊頭は笑った。
「五月蝿せぇ」
「亀、賊頭は俺が殺る。羅我殿は童女達を連れ、先へ逃げて下され」
兎は駆け出した。
「そう言わずと、私も混ぜて下され」
羅我は背筋をぐっと伸ばすと、道中、地を突いて身体を支えて来た杖を横一文字に構え、中から剣を抜いた。
「それ、仕込み杖なんか」
亀は驚き混じりで笑った。
「では」
と、羅我は賊に向かって駆け出した。
「早っ」
亀は呆気に取られた。
羅我は兎に追い付くと、兎と共に剣を振るった。羅我の身の熟しは、翁のそれとは異なり、まるで軽業師の様であった。
「置いてくなよ」
亀はのそり、のそりと、二人に歩み寄った。
「足引っ張んなよ」
と兎が煽ると、
「兄ぃ、見とけよ」
と亀は賊に向かって剣を振るった。亀の斬撃は、剣速こそ未だ完調では無かったが、その力強さに鈍り無し。敵を圧倒した。
三人は、賊五人を相手に善く戦った。が、賊の戦闘技術は科野坂の時よりも高く、良く統率されて居り、数を減らす事が無かった。
「前の奴等より随分増しじゃねぇか」
と亀が言うと、
「あん時はあの辺の破落戸の寄せ集めや。こいつ等は賊が本職やでよ」
と言うなり、賊頭が斬り付けて来た。
兎が賊頭の剣を去なすと、賊頭が身を翻して蹴りを放つのに合わせて、羅我が賊頭の腹目掛けて剣を薙いだ。
賊頭の懐が割けた。
「ちっ、胴を仕込んで居るのか」
羅我が洩らすと、
「これは正規の凌ぎなのでな」
偶然に襲ったのでは無く、依頼を受け、計画的に襲って居る事を賊頭は告げた。
仕込みは、賊の五人全てに施されて居た。装備の違いは、三人を徐々に追い詰めた。時間と共に三人は後退りし、いつしか三人は童女達と一塊と成った。
三人は繰り返される賊の剣撃を何とか捌いていたが、何れも肩で息をして居た。




