第27話 カニ
形名の一行は斐の寺を発ち、加尓へと馬を走らせた。兎を先頭に、形名、亀が続いた。馬に跨る形名の懐には、眼を瞑った碧が確りと抱き付いて居た。
「なあ、形名。如何してこいつの家来になんて成ったんだ」
「碧姫様は孤独なんだよ。王の家に生まれると、ずっと孤独なのさ。姫は家の都合で他国へ送られ、そこで人質暮らし。ピリカもそう。周りの者は、皆、恭しく接するけど、それが本心じゃないのも知ってる。如何いう経緯だか知らないけど、蒼姫様は命を奪われそうに成った所を逃げ出して、家の都合から放たれ、やっと自由に成れたのに、また、青野に帰るんだ。しかも、全く素性の分からない僕等に連れて行かれる何て信じられないよ。売り飛ばされたり、殺される事だって有るかも知れない。斐殿の事を信じて僕等を受け入れたって、何の主従関係も無ければ、立場も無い。立場が無いのだって、生まれて始めての事なのさ。王の家の者は、上の立場に居られない事が怖くてたまらないんだよ。誰も信じて居ないから。だから僕は蒼姫様の家来に成ったんだ」
「形名。御前ぇの言う事はさっぱり分かんねぇ」
「亀。いいんだよ。分からなくて。僕は、お飾りだってのが分かってから、上の立場に居るのが馬鹿らしく成ったんだ。だから、今はすっごく楽しいよ」
「ほんと、さっぱり分かんねぇ」
「おい、亀とやら。先から五月蝿いぞ。童の家来に軽々しく話しかけるな」
「何だ、御前」
「なあ、亀とやらも、家来にしてやっても良いのだぞ」
「五月蝿せえ、御免蒙るよ」
「亀、餓鬼の相手は止めろ」
一行は加尓へと続く道を駆けた。
「形名殿、あそこに見えるのが加尓の里でしょうな」
「そうですね。立派な里ですね」
碧は、余程、形名の懐が気に入ったのか、眼を瞑った儘、ずっと形名にしがみ付いて居た。
一行が加尓の里の入り口を示す柱の間を抜けると、
「形名殿の御一行か」
と一人の翁が話し掛けて来た。
「如何にも」
兎が答えた。
「私は、漢人の羅我と申します」
「羅我ぁ」
突如、碧が声を上げた。
「碧姫様。稚児の頃の様に兄様にしがみ付いて居られるのですか」
羅我は蒼を見て揶揄った。
「兄様ではない。童の家来だ。のう、形名」
碧は懐にしがみ付いた儘、形名を見上げた。
「はい。碧姫様」
形名は満面の笑みで返した。
「羅我殿、私は形名と申します」
「私は、菟道」
「私は、甕依」
一行は続けて名乗った。
「皆様を御待ち申し上げて居った。斐殿より、話は覗って居る。各務野の衛兵は、この加尓でも蒼姫様を探して居る。大王の庇護下の我らの集落には、各務野の衛兵もそう易々とは踏み込んでは来ぬが、それも時間の問題。各務野が青野との戦を続ければ、それは倭に牙を向けたのも同然。各務野は我らの集落を接収し、自らの庇護下とするでしょう」
「それは何時頃の事なのでしょうか」
「それが、能く分からぬのじゃ。今回の戦は、直接、青野と各務野との戦では無いとも聞く。それによると、各務野への侵略を開始したのは、青野の三野本家ではなく、分家の本巣家の御子息が父上殿を青野へ追放して家を奪い、その混乱に乗じて国境が乱れたのだとか。それ故、今は各務野も対応に倦ねて居るが、各務野にとっては本家も分家も同じ。三野の一族が攻めて居るのだ。三野家に関わる者達は悉く捕縛され、各務野の牢に幽閉されて居る。それ以上に、各務野を逃げ出した人質の碧姫様を捕らえねば、各務野の沽券に関わる」
「童は各務野の者共には決して捕まらぬぞ」
碧は羅我に厳しい瞳を向けた。
「碧姫様。我等に任せて下さい」
と、形名は懐の碧の頭を撫ぜた。
「頼むぞ、形名」
と言うと、碧は形名をぎゅっと掴んで顔を埋めた。
「で、策はどうなっておる」
兎が尋ねた。
「我等の集落からは、毎年、倭の大王の元に、我等と同じ渡来人の秦人を通じて、巫女と成る十数名の童女を遣わして居る。この大王の巫女にはどの国の王も手出しは出来ぬ。関所も素通りじゃ。そこで、これから倭へ送る童女達に碧姫様を紛れ込ませ、各務野を抜け、青野に送ろうと思って居る」
「妙案ですな」
兎は拳で手を打った。
「で、我等は何をすれば」
亀が尋ねた。
「そこでじゃ。私が童女を運ぶ先導と成るので、皆様にはそれを守る警護士と成って頂きたい」
「容易い事。我等は毛野の正規衛兵。そこいらの賊には遅れを取りませぬ。おっと、そう言えば形名は衛兵では無かったな」
亀は笑いながら左胸を叩いた。
「おい。つい先日、賊に斬られた奴の言う事か」
兎は亀の言葉に呆れた。
「そうだよ、亀。僕が衛兵じゃないからって馬鹿にして。死ぬ思いまでしたのに、大した自信だよ」
「五月蝿せぇ。雨じゃなけりゃあ、勝ってたよ」
「えっ。雨って、亀が斬られた後に降ったんじゃなかったっぺか」
「兄ぃ。覚えてねぇよ、そんな事。それと、死にそうに成ったんは、科野の坂の神に祟られたからで、斬られた所為じゃねぇべよ」
実際には斬られた所為なのだが、飛鳥の頃には、破傷風が傷口に感染した細菌によって引き起こされる病気だとは分かって居なかった。当時、倭の考え方では祟りが、漢方の考え方では外邪が、破傷風の原因と考えられて居た。
「亀。もういいよ。亀が強いのは知ってる。だから、青野に碧姫様を届けるまで、確り皆を守ってよ」
「任せてくれぃ」
亀は白い歯を見せた。
「のう、話が長いぞ。何時までここで喋って居る。童はもう疲れた。休みたい」
碧が馬上で脚をばたつかせた。
「申し訳御座いませぬ、碧姫様。直ぐに集落へ御案内致します」
一行は羅我の案内で漢人の集落へ向かった。




