第21話 ケイショウ
一行が坂を降りたのは、空が西日に赤く染まる頃であった。
「其れにしても科野の馬は丈夫だな。俺等の連れてきた馬は荷物を運んでただけなんにへばっちまって。こいつ等なんて、俺等を乗せてんのに、平気な顔してやがんなぁ」
「すごいよなぁ」
形名は、馬の首筋を摩った。
「もう、日が暮れる。早く宿を探さねば」
「兄ぃ、ここは里じゃねぇから、暫く行かねぇと宿はねぇぞ」
「ちょっと飛ばすか」
一行は馬速を上げた。
「家があんなぁ」
「どこだ」
「あっこ。光が見えんべ」
辺りは大分暗く成り、道から遠く離れた田の中に、小さな明かりが灯って居た。
「ちょっと見て参ります」
兎は、本道を外れ農道へ入り、明かりを目指した。
「亀、顔色悪いよ」
「そうか。傷口がちっと傷むのと、腕が上がんねぇくらいで、大した事はねぇよ」
「ほんと。宿に着いたら、傷口を診てみようよ」
「そうだな、傷口の手当は必要だな」
暫くすると、兎が駆け戻って来た。
「泊めて頂けるとの事です」
「有難う御座います。兎殿」
「滅相もない。形名殿」
「はい、はい。早く行くべ」
一行は、農家の離れ家を借りた。兎が、阿知の宿の亭主が乗っていた科野の馬一頭で、宿と食事、馬の餌、次の宿場までの水と食料を手配したのだ。
離れ家に入ると、兎は、
「亀、おまえ、顔が真っ青だぞ」
と、心配そうに亀の顔を診た。
「兎殿も、そう思われますか」
「心配し過ぎだべ。怪我の所為だっぺよ」
「ちょっと、傷口を診せてよ」
「あぁ、腕が上がんねぇから、ちっと脱がしてくれ」
形名が、亀の上着を肌蹴ると、亀の右の二の腕には、未だ血の滲む剣傷が有った。傷の周囲は赤く腫れ上がり、傷口は泥で汚れていた。
「腫れてるなぁ。傷口が汚れてんのも良くない」
と、兎は水筒の水を亀の傷口にたっぷり掛け、泥を拭った。
「これのが痛てぇよ」
亀は顔を顰めた。
「失礼します」
一行が扉に眼を遣ると、農家の夫人が猪鍋を持って部屋を訪れた。
「済まぬ。済まぬ。突然の訪問にも拘らず、この様に豪勢な食事を用意して頂けるとは」
「いえ、いえ、あの馬一頭では釣り合いません」
夫人は鍋を置くと、満面の笑みを浮かべて部屋を出て行った。
「あぁ、腹減った。これ食ったら顔色も元通りだ」
腹の満たされた一行は、盗賊の襲撃と悪天候の中の坂越えで疲れ果てて居たのであろう、皆、横になると直ぐに寝入ってしまった。
どれ程眠って居たのであろうか、
「お早う御座います」
の夫人の声で、形名と兎が眼を覚ました。
「おい、亀」
兎が声を掛けた。が、返事は無い。
「おい、亀」
再び、大声で、兎が呼びかけると、
「お早う、兄ぃ」
亀は目を覚ました。
「亀、お前、やっぱり顔色が悪いぞ」
「兄ぃ、ちっとだりぃんだ」
「亀、もう暫く、ここで休んでっか。結構血い流してっから、栄養付けねぇと、戻んねぇかもな。主人に頼んでみっか。形名殿、宜しいでしょうか」
「うん。亀、ゆっくり休みなよ。どうせ、僕はこれから何年も倭で過ごすんだ。急ぐ事はない」
兎は母屋へと赴くと、直ぐに帰って来た。
「亀、二晩でも、三晩でも、好きなだけ、この離れを使って良いってよ。あの馬はそんなに高けぇもんなんかね」
「兄ぃも、形名も。済まねぇなぁ」
この日も、夫人は食べ切れぬ程の多くの食事を、満面の笑みで運んで呉れた。
結局、亀は三日の休養を取った。
「亀、良かったね。大分顔色が良く成ったよ」
「そうだなぁ、ちったぁ身体は楽に成ったんだが、何か、話しづれぇし、飯が上手く食えねぇんだよな」
「大丈夫なの、亀」
「あぁ」
「亀、流石にこれ以上の長居はできねぇ。今日一日ゆっくり休んだら、明日の朝、ここを発つべ」
「そうだな」
亀は引き攣った様に笑った。
出発の朝、兎と形名は、出発の準備を早々に済ませ、亀を待っていた。
なかなか支度の進まぬ亀に、兎が、
「挨拶は俺らが済ませて来るんで、亀は早く準備を整えてくれ」
と告げ、形名と共に、母屋へ向かった。
農家の夫婦は、終始笑みを浮かべ、一行の出立を見送って呉れた。
兎と形名は、夫婦に軽く会釈をして、馬を出した。
亀は、柄にも無く、歯を出して笑顔を作った。
「亀、どうした。そんな作り笑顔をして」
「いや、兄ぃ、俺の顔、何か、おかしいんだ」
「大丈夫か」
「分かんねぇ。肩こりはひでぇけど、身体は動くから平気だべ」
一行は、本道に戻り、倭への旅路を進めた。




