第20話 イシヅカ
「あれあれ、わっちは、ついとる。消えた金が崖から落ちて来なさった」
賊頭は声を上げて笑った。
「てめぇ」
亀は柄に手を遣ったが、右腕に力が入らなかった。
「下がって居れ」
兎が腕を横に上げ、掌で亀を制した所、
突然、
「うわぁ」
と形名が奇声を上げて、賊頭に向かって駆け出した。
「形名殿」
「形名」
形名は、乙鋤の剣を我武者羅に振るった。
形名の剣撃を受ける賊頭は、じりじりと後退した。
「糞坊かと思っとったが、そこそこできるやん」
賊頭は笑みを浮かべ、剣撃、蹴り、膝を巧みに織り交ぜた、素早い攻撃で仕掛けたが、形名の鉄壁の防御に隙無し。賊頭の攻撃が形名に至る事は無かった。
「上手く避けるやん」
と賊頭が言い終わる前に、形名の剣が賊頭の頭に向けて薙ぎ払われた。
形名の剣が賊頭の頭を捕らえた鈍い音が響くと、
「痛ってぇ」
と賊頭は右に吹っ飛び、剣を受けた左腕を振ると、破れた袖から、鉄で作られた篭手が覗いた。
「おい、糞坊。お前、先から、全然、斬って来んやん。殺る気あんのか」
形名は、俯いて構えたまま、無言であった。
「形名殿」
兎が、駆け、賊頭に剣を振るった。
賊頭は後へくるりと転がって、兎の剣を躱すと、
「終わりにしよまい」
と立ち上がって後退り、兎から十分な距離を取った。
「結局、ついとらんかったわ」
賊頭は言葉を残して背を向けると、木々の中へと去って行った。
「形名殿」
兎は形名の前に立つと、
「二度と、この様な無茶は御止め下され」
と厳しく諌めた。
形名は我に帰ったかの様な呆けた顔をして、
「はい」
と答えた。
「形名。おめえ、強えなぁ」
と右腕を垂らした亀が形名に寄って来た。
「でもよぉ、もう無理すんな。剣を振るのは俺等衛兵の役目だから」
「でも、僕が弱い所為で、亀は」
「五月蝿え。斬られたんは、俺が、唯、弱えからだ」
「でも」
「もういいよ。形名。有難う」
(有難う何て、俺、何言ってんのかな)
亀は、少し馬鹿らしくなって、苦笑いした。
「それよりも。ここは何処だ」
兎は周りを見渡した。
「あっ、ここ、道が川から離れて、坂が急に成る所だよ」
「あ、本当だ、形名。見覚え有るぞ。お前が下る何て言うから、振り出しに戻っちまったじゃねぇかよ」
「僕の所為なの」
「おい、亀。腕を斬られた奴の言う事じゃねぇだろ。其れよりも、歩けるか」
「腕に力は入らねぇが、歩く分には問題ねぇ」
「ここから歩いて坂を越えるのか」
兎が仕方なさげに山を見上げると、雲の切れ間から光が覗いた。
「馬。呼んでみっぺ。駄目元で」
亀は山に向かって馬の鳴き声の木霊を響かせた。が、山からは何の応答も無かった。
「駄目だっぺな」
亀は笑った。
「歩きますか」
「歩きましょう」
一行は頂に向かって、急峻な山道を歩き始めた。雨は止んだ。先程の雷雨が、まるで嘘で有ったかの様に、空には、雲一つ無い、綺麗な青が広がった。
「暑っちぃなぁ」
亀は遅れがちと成りながら、だらだらと汗を流して、山道を進んだ。
先程は馬に跨って通った山道を、何度も何度も曲がって歩む事、数刻、
「あれぇ、あれ馬だよ」
形名が声を上げた。
「どこだよ」
皆に遅れて、先を確認できない亀が叫んだ。
「ほらあそこ」
「本当ですな」
「どこだよ。本当か」
「全部帰って来たよ。亀の鳴き真似の御蔭だ」
「あそこ、俺が転げ落ちた所だよな。そう言や、亭主はそのままだったわ」
一行が近付くと、宿の亭主が乗って居た馬が、骸と成った御主人様をしきりに舐めていた。
「寂しいよね。お馬さん」
形名は、亭主の馬を優しく撫ぜた。
「兄ぃ、どうするよ」
「この儘にして置けば、獣に荒らされちまう」
「だなぁ。何処か、弔える場所を探して埋めるしかねぇな」
「そうしよう」
一行は、亭主の骸を馬に乗せると、落ちない様に確りと括り付け、坂を登って、弔える場所を探す事とした。
七匹の馬と共に、一行が頂に到着したのは、日が西に傾き掛けた頃であった。
「頂は開けて居るなあ。この辺で弔うか」
兎が皆に聞いた。
科野坂の頂には、荒ぶる神を鎮める為に、石を積み上げた大きな塚が築かれていた。坂を安全に越える為の祈りが行われていたのである。
三人は、埋葬する為の穴を掘り、亭主を丁寧に埋めると、獣に荒らされ無い様に石を積み上げ墓とした。
周囲には、幾つもの小さな石積みの墓が築かれていた。不幸にも、この坂を越えられずに亡くなった者達の積石塚は、この坂越えの厳しさを表していた。
一行が、亭主の墓に手を合わせ別れを告げると、突如、山の奥から、一頭の白い狼が現れ、祭祀を行う大きな塚に駆け上がり、天に向かって遠く吠えた。
狼は、暫くの間、塚の上から一行を眺めると、三野へ向かう下りの道へと消えて行った。
「急ぎましょう。日が暮れる前に坂を降りないと、また賊に襲われかねません」
兎が促した。
宿の亭主が用意した馬に跨った三人は、四頭の馬を引き連れ、三野へと向かった。
兎の乗る馬の尻には、突き刺さった矢が揺れていた。




