第14話 オニイタ
「乙名子様。毛野の新書を」
形名は思い出したかの様に親書を取り出し、座したまま頭を下げ、両腕で親書を頭上に掲げた。
「こちらへ持って参られよ」
と乙名子が告げると、
「はい」
と形名は立ち上がって、乙名子の元へ歩み寄り、跪いて親書を手渡した。
形名が元に戻って座すと、乙名子は書面に眼を通した。
「短剣千本」
乙名子は思わず言葉を漏らすと、
「形名殿。其方の国は戦でも始めるつもりなのか」
と、訪ねた。
和気からの親書には、
「短剣を千本作製して頂きたくお願い申し上げます。鬼板は短剣二千本分をこちらで用意させて頂きます。残った鬼板は貴殿の所で御納め頂きたく存じます」
と記してあった。
鉄の材料、鬼板は貴重で、大変高価な資源であった。毛野は、葦原を拓く時、湿地に眠る多量の鬼板を手にした。鉄は田畑を切り拓く上で必要不可欠な道具を作り出し、他国を攻める強力な武器をも生み出した。毛野はこの豊富な資源の御蔭で、東国最大最強の国として繁栄する事が出来た。
毛野で用いる日常の鉄器は、乙鋤率いる鍛冶集団により作製されて居たのだが、多量の武器類の注文は洲羽に出された。洲羽は鉄製品の産生で国を富ませて居り、多くの鍛冶を抱え、各国の注文にも応じていた。
更に、洲羽が作り出す武器の為の鋼は、タケミカヅチに敗北後、改良に改良が重ねられ、他の国には真似の出来ない程の優れた代物と成って居た。
それにしても、大量な発注であった。倭連合王権によって齎された平和な世において、これ程多くの武器を、何の為に備えているのか、乙名子は戦と言う言葉を発したが、和気の真意を掴めずに居た。
「いえ。その様な話は聞いて居りませぬ」
形名には思い当たる節が無かった。
「まあ良い。求めに応じて道具を納めるのが我等の生業。賜ったとの返事はこちらから、直接、和気殿に使者を送って置く」
乙名子は注文を受けたが、注意せねばと、心に刻んだ。
「有難う御座います」
と形名が謝意を述べると、
乙名子は、
「これで話は仕舞いだ。館を出て、御供の兵と共に、宿館にて寛いで下され」
と締め括った。
「誰かある」
乙名子が声を張ると、
「はっ」
と、一人の衛兵が部屋の中へ入って来た。
「お帰りだ。宿館に案内して差し上げろ」
乙名子が命じると、
「はっ」
と衛兵は頭を下げ、
「形名様、御案内差し上げます」
と、形名と共に館を出た。
館の外に兎と亀の姿は無かった。
「二人は」
と形名が訪ねると、
「既に、宿館にて寛いで頂いて居ります」
と衛兵は答えた。
「馬は」
再び形名が問うと、
「馬は三頭とも厩にて預かっております。御安心して我等に御任せ下され」
と返した。
形名は、衛兵と歩いて宿館へ向かった。
「洲羽の山は近いのですね。大きな塊が迫って来る感じがします。何か恐ろしいですね」
と形名は山を見上げた。
「そうですか。我等は見慣れて居りますが故、何も感じませぬ」
「毛野の山は、遠くに、優雅に横たわっている感じがするのです」
「そうですか。私はこの国を出た事が有りませぬ。国によって山の見え方が異なるなど、考えたことも御座いません」
「私は、この度、初めて国を出ました。眼に映る景色が変化し、少し不安を感じて居ります」
「形名様。私の様な身分の者には、羨ましい限りです。私が飛鳥の都へ行く事など、決して有りません。館で主様を御守りする事が私の一生。しかし、私は満足して居ります。洲羽は豊かですから」
そう言うと、衛兵は見事な太鼓腹を大きく打った。
「ははは」
形名は声を上げて笑った。そして、何だか少し不安が和らいだ感じがした。
「さて、こちらが宿館と成ります」
衛兵は形名に案内をすると、
「形名様が御着きに成られました」
と扉越しに中へ伝えた。
「形名様。お入り下され」
中から兎の声が聞こえた。
「有難う」
形名は衛兵に礼を言うと、扉を開いて宿館へ入った。




