第13話 ケノノマコト
「過去に毛野と倭の間に小競り合いはあったと聞くが、毛野が倭に侵略された歴史はない。何故だか分かるか」
「いえ」
「では先ず、木乃の話からしよう。木乃を初めて治めたのは、スサノオ一族のイソタケルと言う王であった。イソタケルはスサノオと共に、彼の地からこの地へ至り、木乃の地に根付いて森を育てておった。以降、代々、イソタケルの一族は、森から木を切り出して材木を成し、材木から家や船を造り出す事で、栄えて居った。ある時、スサノオ一族の治める出雲で、支配権を巡る内紛が発生した。この争いに敗れたオオナムチの一族は、滅亡寸前の所で、木乃へ落ち延びて来た。オオナムチの一族は、イソタケルの一族と同じく、スサノオの末裔。イソタケルの一族は、オオナムチの一族を受け入れた。これが、オオナムチの一族が木乃に住まう切っ掛と成った」
「はい」
「オオナムチの一族は、暫くの間、木乃で稲を育て、平和に暮らしていた。しかし、ある時、出雲からの討伐軍が木乃に至り、武力を背後に、オオナムチ一族の引渡しを求めて来た。イソタケルの一族は、オオナムチの一族が植えた稲を刈り取り、耕した田を更地とした」
「えっ」
「オオナムチ一族の痕跡を消したのだ。オオナムチの一族は森に紛れ、イソタケルの一族として生き、一族の再興を願った。数代を重ねると、イソタケルの一族は子を残せず、オオナムチの一族が木乃を受け継ぐ事と成った。オオナムチの一族が率いた木乃も、木々の恵みで大いに栄えた。そんな折、出雲が荒れているとの報が木乃に届いた。木乃で富を蓄えたオオナムチの一族は、出雲に兵を派遣し、出雲の安定を取り戻した」
「イソタケルの一族に守られなければ、オオナムチの一族はこの地から消える所だったのですね」
「そうだ。これを契機に、木乃に潜んだオオナムチ一族の多くは、スサノオ一族本貫の地である出雲へ帰って行った。その後、出雲へ戻ったオオナムチの一族は、北陸道、そして、畿内を平らげ、稲の文化を広めていった。一方、木乃に残ったオオナムチの一族は、少しの後に、未開の地を求めて東へ向かった。この時、木乃の地を託したのが、ミチネという森の頭であった。ミチネは孤児で、山へと続く道の、木の根元に捨てられていた。オオナムチ一族に命を繋がれたミチネは、森を愛し、森を言葉を聴き、森を守る、頼り甲斐の有る森の頭へと成長した。今、木乃を治めて居るのはミチネの一族だ」
「では、オオナムチの一族は木乃には残って居ないのですか」
「そうだ。全てをミチネの一族に譲り渡した。そして、ここからが重要だ。アマテラスの一族が、オオナムチの一族が治める倭へ攻め入る時、浪速方面の守りは堅く、倭へ入ることが叶わなかった。そこでアマテラスの一族は木乃を廻って熊野を通り、倭へ入る事とした。アマテラスの一族に、木乃の道を明け渡したのが、ミチネ一の族。ミチネの一族は、世話に成ったオオナムチの一族を裏切ったのだ。ミチネの一族は、熊野を治めるタカクラジの一族に、タケミカヅチの剣を用意させ、アマテラスの一族に献上した。その後の話は、先の通りだ。」
「何故、ミチネの一族は、オオナムチの一族を裏切ったのですが」
「分からぬ。分からぬが、この時、ミチネの一族とアマテラスの一族の間に、何かの約定が交わされたのであろう。アマテラスの一族により、ミチネの一族は木乃を治める国造に任ぜられ、木乃より東へ向かったオオナムチの一族である毛野へは、アマテラスの一族による攻撃は行われて居らぬ。これが真の歴史だ」
「はい」
「まあ、今は平和の世。倭王権と揉め事を起こす時代ではない。唯、闇雲に倭を信じては成らぬ。形名はこれから倭で学ぶのであろう。この支配の歴史を確りと心に留めておくのだ。繰り返しになるが、倭は信用成らぬ」
「はい」
形名は明瞭な返事をしたが、頭の中は混乱していた。毛野の国は、倭王権の指示に従い、蝦夷と接する前線の地として、多分の犠牲を払ってきた。日々、忙しく役務を熟す和気は、倭王権との関係維持の為に、その時間の大半を使っていた。何が真実なのか。何を信じて良いのか。形名には分からなかった。
「最後に、今聞いた話は、主のみが知る話。決して、他言無き様に」
「十分に承知して居ります。乙名子様」
形名は深く頭を下げた。




