第119話 クサカゲ
師走半ばの能く冷えた雪舞う日に、火雷丸が、
「おい、胤。魚を捕って来て呉れねぇか」
と頼むと、形名は小屋を出て、一刻も経たぬ内に、魚篭から溢れんばかりの魚を捕って帰って来た。
それから数日を経た、温かな日差しに寒さの少し緩んだ日に、火雷丸が、
「なあ、胤。兎を捕って来て呉れねぇか」
と頼むと、
形名は、
「吾では上手く捕れませぬ故、火殿が捕って来て下さいませんか」
と断った。
「上手く捕れねぇって。御前ぇ。無茶苦茶、弓は上手ぇじゃねぇかよ。ここに居させてやってんだから、飯ぐらい捕って来いよ」
「でも、未だ身体が」
「又それか。もう治って居る筈だぞ」
「でも、未だ」
「何時もこれの繰り返しだ。そんなに狩りが嫌いなんかい。もう良いよ。分かった。俺も行くんで、付いて来い」
「はい」
形名は、火雷丸に連れられ、渋々、狩りに出掛けた。
佐味の地は、利根川流域の湿地に在り、小屋の周りには未開の草原が広がって居た。
「おい、胤。あそこ、あそこに何か居るぞ。弓を構えて置け」
火雷丸は、草の僅かな揺らぎも見逃さない。
「居た。兎だ。狩るぞ、胤。未だ動くなよ。息を殺して、構えてろ」
火雷丸は、右手を上げた。
「放て」
火雷丸は、兎が草の間から顔を出した刹那、右手を振り下ろした。
形名が弦に駆けた指の力を静かに解くと、矢は兎へと向かって飛んだ。
「何遣ってんだ」
火雷丸の言葉通り、矢は、前肢を上げ背伸びして立つ兎の横に突き刺さり、それに驚いた兎は草叢の中へと消え去った。
「済みません」
「何故に態と外す」
「否、態とでは」
「ほう。まぁ良いわ」
形名と火雷丸は、再び草原の中を、得物を探して廻った。
「胤。あそこ」
火雷丸は、草叢の奥に潜む小さな陰に気が付いた。
「次は外すなよ」
火雷丸は、先程と同じ様に、右手を上げ、草が激しく揺れると直ぐに、
「放て」
と、手を下ろしたが、形名の右手には力が込められた儘で有った。
「早う」
草の間から、得物が顔を覗かせると、形名は弓を放った。
形名が射たのは雉で有った。雉は、その場で回転しながら激しく羽ばたきをし、断末魔の叫びを上げると、息絶えた。
「遣りゃあ、出来るじゃねぇか」
火雷丸は、雉を掴むと首を落として、血抜きを始めた。
形名は、地面に顔を向け、それを観ない様にして居た。
火雷丸は、それに気が付いて居たが、そこに触れる事無く、血抜きを終え、
「帰るぞ」
と、首を落とした雉を形名に手渡した。
形名は、顔を顰めて、雉の肢を掴んだ。
暫く歩むと、火雷丸は右の手を横に突き出し、
「居るなぁ」
と形名を留めると、顎で草が微かに揺れる場所を示した。
「次も外すなよ」
「でも、雉を持って居るので」
「そいつはその辺に放って。まぁ、良い。俺に渡せ」
と言うと、火雷丸は獲物の居る場所から目を離す事なく後退り、形名から雉を取り上げた。
「分かってるよな。先みたいに遣りゃあ良いんだ」
「何してる。早く矢を番えろ」
火雷丸は、乗り気で無い形名を急かした。
言う事を聞かねば、火雷丸は殴る。何時もの事だ。だから、形名は指図に従った。
「良いか。外したら、御前ぇん飯は抜きだぞ」
形名は飯が大好きだ。だから、狙った。草陰に蠢く、未だ見ぬ得物を。
そして、願った。
――兎では有りませぬ様に。
一瞬、草の騒めきが止み、次の瞬間、飛び出して来たのは、
「うぉ、猪じゃねぇか」
火雷丸は喜んだ。
猪は、矢を構え自らの命を狙う男、形名に狙いを定めた。
猪と眼の合った形名は逃げた。
が、獣には逃げる物を追う習性がある。猪突猛進。猪は背を向けた形名に驀地に駆けた。
猪が、火雷丸の横を通過し、形名の背にその牙を突き入れんと跳ねた刹那。
宙に、赤き飛沫が舞った。
火雷丸が逆手に握った剣が、猪の頸を裂いたのだ。火雷丸の肩から手の甲に掛けて走る火傷痕に沿って、猪の血が走り。それは恰も炎の様で有った。
「胤。これじゃあ、仕方無ぇな」
形名は飯を失わずに済んだ。
「こいつを運ぶのは手伝えよ」
形名は、火雷丸の指示に従い、猪を利根川へと運んだ。
「えっ、何を」
火雷丸は、形名の眼の前で、猪の肢に縄を結ぶと、川の中へと放り込んだ。
「御前ぇ、何も知らねぇんだな。まぁ、記憶が無ぇんだから、仕方無ぇか」
火雷丸は、石の上に腰掛けた。
「御前ぇも座れよ。こいつを捌く前に、確りと肉を冷やさなくちゃなんねいんだ。だからよ、それ迄の間、ちょっと待たなくちゃなんねぇんさ」
形名は、川底に沈む猪を、悲しそうに見詰めて居た。




