第11話 モタザルモノ
二人の兵を伴った形名は、碓氷の坂を越え、科野に入った。
二人の兵は和気の子で、名は菟道と甕依と言った。兄の菟道は気早な男で「兎」、弟の甕依は悠長な男で「亀」と呼ばれて居た。彼等は、和気より、洲羽の主の許へ親書を届ける命を受けて居た。
幾つもの峠を越え、一行が洲羽に届辿り着いたのは、毛野を発って五日の後であった。洲羽の主の名は乙名子。乙鋤の異母兄であった。
一行は乙名子の館に着くと、門前で馬を下りた。
「毛野の主、形名の一行に御座います。洲羽の主、乙名子様に御目通りを願いたい」
兎が名乗った。
兎が門へ歩み寄ると、左右の門柱を守る二人の兵が、手にした矛の先を十字に重ね、兎の侵入を防ぐ構えを取った。
右側の門兵が、
「ここにてお待ち下さりませ」
と一行を門前に留めると、館の中へ急ぎ入った。
暫く待つと、門兵は館より戻り、
「形名様のみ御入り下さい」
と告げた。
「我等は入れぬのか」
兎が問うた。
「成りませぬ。主様の命にて」
「我等は、後見の和気殿より毛野国の新書を預かっておる。何とか成らぬのか」
「今暫くお待ち願いたい」
と応えると、門兵は館に判断を求めに入った。
館より戻った門兵は、
「我が主様への御目通りが叶うのは、毛野の主様御一人のみ。お二人の同伴は成りませぬ」
と館の判断を伝えた。
「親書は」
と、兎は食い下がったが、
「形名様に御預け下され」
と、門兵は再び館の判断を告げた。
形名は門兵の案内で、館の奥へと入って行った。
門外で待たされる事と成った亀は、
「なぁ、兄ぃ。上家と下家ってそうも違うもんかい。本家と分家って言っても、元は同じ一族じゃねぇか。しっかもよぉ、今、毛野の家を取り仕切っているのは、俺らの父上殿だぞ。唯のお飾りの主じゃねぇか、形名は」
と愚痴った。
「そうだな亀。俺も気に入らねぇ。でもよぉ、家ってもんは、そうやって受け継がれてんだべぇ。おめぇは、俺が下家を受け継いだら、奪いてぇか」
「いや、奪うなんて考えた事もねぇな。兄ぃはいっつも俺の事を助けてくれる」
「じゃあよぉ。もし、おめぇに息子が生まれて、そいつが俺の息子から家を奪うって言い出したら、どうすんだ」
「止めんな。させねぇ」
「だべ」
「だな」
「家ってのは、そう言う、親の親のそのまた親から続く約束みてぇなもんで守られてんだべ」
「にしても、俺は気に入んねぇな」
亀には受け入れられなかった。
二人の話に聞き耳を立てていた左側の門兵が、堪えかねて、思わず呟いた。
「あんた等は、まだいい。馬に乗っとるだに。俺らの様な下民から取り上げた米で家畜を食わせとるんだらぁ」
「なんだおめぇは」
亀が突っかかった。
門兵は改まり、
「申し訳御座いませぬ。身分不相応な振舞いを致しました。お許し願いたい」
と、頭を垂れて謝罪した。
稲作を始めてから、人々には貧富の差が広がった。
其れ故、稲を作らぬ蝦夷の世界では、族長を中心とした能力による役割分担こそ有ったが、富は皆で分かち合い、部族内の暮らしに差は少なかった。
一方、稲を作る世界では、貯蔵可能な籾が財と成った。稲を成す能力の高い者は、より多くの籾を得て、より多くの種籾を撒き、より多くの籾を収穫し、より多くの籾を蓄えた。
当然、能力の低い者は、少ない籾しか得られなかった。少ない籾しか持たぬ者は、その籾の全てを食べ尽くし、種籾を他者から借りる事と成った。
天候が良ければ、借りた種籾を返すだけの収穫が得られたが、天候不良が続けば、借りる種籾の量が嵩み、この悪循環からは抜け出せなくなった。悪循環は、世代を超えて受け継がれ、数世代を経た後には、広大な土地を有する支配者と、土地を持たぬ被支配者の区別が出来上がった。
門兵の家は、支配者である洲羽の家から種籾、農具を借りて、先祖から受け継いだ小さな田を耕し、収穫した籾の半分を洲羽の家に納め、門兵の役を果たした。残る財は何も無かった。
そんな門兵からしたら、兎も亀も支配者の一族。持つ者の贅沢な悩みと羨ましく思った。
(次に生まれんなら、もうちっとましな家がええなぁ)
館の中から右側の門兵が戻ってくると、二人は、再び、直立不動で門前を守った。




