第108話 カクゴ
群狼との死闘から一月余。卯月の半ばと成った。
ピリカは深手を負って十日程は身体を満足に動かす事が出来ず、床に臥して寝て居る時が多かったが、その後はすっかり元気を取り戻し、度々(たびたび)、ヌプリと共に雷の峰へと出掛けて居た。
ヌプリと共に、狼達の縄張りを奪うのだと言う。
「ピリカ。危ないよ」
ピリカが館に帰って来るなり、形名は言った。
「五月蠅いのう。唯、様子を観に行って居るだけじゃ。未だ、手出しはせぬ」
「未だって、遣る気なんじゃないか」
「それはそうじゃ。ここ迄されて、遣り返さぬ訳には行かぬ」
「仕返し何てしなくて良いんだよ」
「仕返すも何も、ここは彼奴等の縄張りの中なんじゃぞ。今日、否、今、この時、襲って来るやも知れぬ。もう、戦は始まって居るんじゃ」
「じゃあ、ここに入って来ない様に、護れば良いじゃないか」
「何じゃ。其方はこの館の中に籠る積りなのか。そんな事は出来んじゃろ。乙鋤のおっ父の所へも行かぬ気なのか。乙鋤のおっ父の所へ行くには、彼奴等の縄張りの中を進まねば成らん。その時、彼奴等は必ず襲って来ようぞ」
形名にもそんな事は分かって居た。唯、怪我が未だ十分に癒えては居らぬピリカの事が心配なのだ。もし、今、あの頭と遣り合う事と成れば、ピリカは必ず後れを取る。
「そうだ。乙鋤殿と言えば、ピリカが出掛けて居る間に、使者が来て、これを持って参った」
形名は話を変え、部屋の隅から箱を持って来た。
「おお、やっと直ったか」
ピリカは、形名が箱から取り出した剣を受け取ると、鞘から抜いた。
「厚い。毀れた刃を研ぎ直したと言うよりは、打ち直した様じゃのう」
ピリカはあらゆる角度から光を翳し、剣を具に視認した。
「剣と言うよりは、鉈じゃな。大木に打ち付けても刃は毀れんじゃろ」
と、嬉し気に笑んで、剣を鞘に納めた。
「形名のも観せて呉れよ」
金と銀の金具で装飾された煌びやかな頭槌の剣。形名は柄を握ると、鞘から剣を引き抜いた。黒みを帯びる鋼の剣身は、大王から賜った片刃の剣では無く、毛野の家に代々受け継がれし両刃の剣に挿げ替えられて居た。
「こっちの方が良いよ。形名がこの国の主で有る証の剣が、倭の物ってのは、何か、気に喰わん。乙鋤のおっ父が打った剣で有る方が断然良い」
「でも、本当に、大丈夫かな。剣を入れ替えた事が倭に知れれば、何らの咎を受ける事と成りはしないだろうか」
「大丈夫じゃ。普段は剣を鞘に納めて佩びて居るんじゃろ。誰も気付きはせぬ」
「うん」
「それより、形名、カムイホプニレへの備えは如何なって居るんじゃ。あのオオナムチって野郎の能力は使えんのか」
「分かんないよ。あれから、あの声は聴こえないし」
(何だ、大穴牟遅神は、あれから其方に話し掛けては来ぬのか)
ヌプリが部屋の中へと入って来た。
(儂等、神獣とは異なり、神は、普段、現世では無く、常世の国に御座すからのう。其方の命が危うく成らぬ限り、出て来ぬのやも知れぬの)
「なあ、ヌプリ。吾は狼達に襲われ、意識を失うて居ったが故、形名の出した能力の凄さが分からんのじゃが、オオナムチの能力で、本当に、キムンカムイを殺れんのか」
(それが分からんのだ。儂はあの能力を受ける時に、気を張って受け流す事が出来た。それ故、もし熊に、キムンカムイとして、神獣の能力が目覚めて居れば、儂と同じ様に、あの能力は通じぬ。否、群れの頭は、唯の野獣で有るのにも関わらず、大穴牟遅神の能力を受けて、意識を保って居った。あの能力にどれ程の威力が有るのか、儂には全く見当が付かぬ)
「大丈夫なのか、形名」
(否、それ以上に、熊送りをすると言う事は、形名が熊の命を絶ち、その皮を剥ぎ、その肉を喰らうと言う事だ。狼一匹も殺せぬ形名に、それが成せるのか)
「そうじゃ、形名、殺らねば成らんのじゃぞ」
「えっ。殺るなんて」
「もし殺らねば、其方は惣領の地位を失うんじゃぞ。それでも良いんか」
「否、それは」
「良く考えろ。そして、覚悟を決めろ。其方の中にオオナムチの力は有るんじゃ。後は、形名、己の覚悟じゃろ」
「うん」
形名は、煮え切らぬ返事をした。
それから半月。卯月の末日と成った。
阿佐久良一族の長、石成が、形名の待つ惣領館に遣って来た。
「さあ、御支度は宜しいですか。明日は熊送りです。布加無曽では、既に明日の準備を整え、形名様の到着を待って居られる。御出立致しましょう」
「吾は行ってはいかんのか」
「ピリカ様。熊送りは神事に御座います。古来より女人が関わる事は禁じられて居ります。また、そもそも、布加無曽へ入るのは、形名様御一人とも決められて居ります。仕来たりに従って、館にて、形名様の御帰還を御待ち願いたい。吾とて、儀礼に従い、侍者を伴っては居りませぬ」
「確かに。何時もは、ぞろぞろと大仰に連れ回して居るむさ苦しい男達は居らん様じゃのう。分かった。吾はここで待って居る。形名、絶対に殺って、帰って来るんじゃぞ」
形名と石成は、二人、馬を並べて布加無曽の里へと向かった。




