第103話 ゴネン
次の朝、形名は館の庭に出て、堀を眺めて居た。
――熊送り。僕に熊を倒せるのかな。
形名は、大王に賜った剣を抜くと、東から出ずる日に刃を翳し、眩い光に眼を細めた。
すると後ろから、
「こんな朝っぱらから、何を遣って居るんじゃ。倭の大王に貰った剣がそんなにも愛おしいか」
と、ピリカが声を掛けた。
「否。僕はこれを大王から賜って、正式に毛野の国造に任ぜられたんだ。それなのに、熊送りをしないと、一族の中では惣領と認めないって、何なんだろ。血脈とか、オオナムチの能力とか、そんなの僕に有るのかな」
「吾には分かんねぇ。形名にどんな能力が有んのかも。でも、一族の長ってのは、やっぱ、特別な何か、一族の者が畏れる何かが無きゃ、認められんじゃろ。一族の者達は、長に従い、時には命も預けるんだから」
「そんな事、言われても」
「だったら、石成のおっさんが言う様に、惣領の座を返して、ここを出れば良いじゃろ」
「でも、それは」
「もう良いよ、形名。それより今日、乙鋤のおっ父の所へ行く積りなんじゃが、其方も行くよな。大野でホロケウと遣り合うた時に剣が痛んでな。乙鋤のおっ父に直して貰うんじゃ」
「行くよ。絶対に行く。帰国の挨拶もしなくちゃだし、岩壺のお礼も」
「じゃあ、支度が整ったら、とっとと行こう」
それから、半刻程して、二人は馬に跨った。
「何だ、形名。御前ぇ、やっぱり、その剣が愛おしいんじゃねぇか」
「違うよ。国造は公の前では大王から賜った剣を佩びて居なくちゃ成らないんだよ」
「へぇ、そんな掟が有んのか。でも、それも嬉しいんじゃろ」
「もう、良いよ。それより、そのお腹」
「あ、これか」
ピリカは、懐にヌプリを入れて居た。
「どうしても付いて来たいみたいで、離れんのじゃ」
形名とピリカは、五年前とは異なり、館裏の塀の間からではなく、正門から館を発った。
二人は、五年前に駆けた雷の峰の裾を伝う坂道を、馬で馳せ上った。
坂は次第に急と成る。
ピリカが馬の尻を打って速度を軽く上げ、鐙に立って爽快に風を切ると、突如、ヌプリがピリカの懐から抜け出し、地面へと飛び降りた。
「おい、何処へ行くんじゃ」
ヌプリは道を逸れ、左へ、左へと走って行く。
「待って、待つんじゃ、ヌプリ」
二人がヌプリを追うと、ヌプリは崖の手前で足を止め、下を覗き込んだ。
「ヌプリ、そこは行き止まりじゃ」
ピリカが馬を飛び降り、ヌプリへと駆け寄って、両手で抱え上げた刹那、
(懐かしいのう)
と頭の中に、ホロケウカムイの声が響いた。
ピリカの頭には、五年前にこの場で闘った狼の群れとの記憶が、走馬灯の様に有り有りと浮かび上がった。
「形名。御前ぇ、ここでホロケウの群れに襲われた時、よく助かったな。吾が崖下に落ちた後も、ホロケウは襲って来たじゃろ」
「うん。あの時の事は能く覚えて無くて。あっ、そうか。ピリカがここから下へ落ちた後、猿が直ぐに来て呉れて、吾を狼の群れから救い出して呉れたんだ」
形名は記憶を適当に取り繕った。
ピリカは馬に跨り、ヌプリを懐に仕舞うと、
「行こう」
と形名を促した。
二人は、五年前に猿の操る馬の背に乗り闇夜を飛ばした坂道を馳せ、乙鋤の鍛冶場に辿り着いた。
「なぁ、ヌプリ。お前は馬と共にここで待ってろ」
ピリカは、懐からヌプリを取り出し地面に置くと、鍛冶場の馬留に手綱を縛り付けた。
形名が、丁寧に首を擦って馬を落ち着かせている間に、ピリカは乙鋤の館へと駆けた。
「おっ父、おっ母」
ピリカが戸の前で声を上げると、
「あら、ピリカちゃん。如何したの」
と、中から美杢が緩りと歩み出て来た。
美杢は、ピリカの後ろに鈍りと佇む大きな男を眼にすると、何も言わずに踵を返して、館の中へと駆け込んだ。
「貴方。ねぇ、貴方」
「如何した。騒がしい。そんな大声を出して」
「ねぇ、貴方。帰って来たの」
「誰が」
奥から出て来た乙鋤は、大男を眼にし、
「坊ちゃま。坊ちゃまでは御座らぬか。大きう成ったのう」
と微笑んだ。
「さあ、さあ、二人とも中に入って」
美杢の眼は潤んで居た。
館に入ると、早速、ピリカが、
「なぁ、これ、研いで呉れぬか」
と、剣を乙鋤に差し出した。
乙鋤は、ピリカの剣を抜くと、幾度か光に翳して、その具合を見極め、
「使い方が荒いのう。洲羽の剣と雖も、其方の馬鹿力で闇雲に振るえば、折れるやも知れぬぞ」
と、毀れた刃をピリカに示した。
「で、直るのか」
ピリカに反省の色は無い。
「其方の剣技に合わせて、毀れ難い様に鍛え直そう」
乙鋤は、ピリカの剣を横に置くと、形名に向かって、
「大層、立派な剣ですのう」
と話を振った。
「倭の大王様から賜りました」
「見せて頂けますかな」
「はい」
と形名は、剣を乙鋤に手渡した。
乙鋤は、形名の剣を抜き、剣身を光で確認すると、軽く頷き、剣の平を拳で弾いた。
「そうだ、坊ちゃま。其方が父上殿より受け継いだ剣が直って居る。持って参ろう」
「直せたのですね」
形名は笑んだ。内心、諦めて居たのだ。
乙鋤は、奥から、布に包まれた剣を持って来た。
「坊ちゃま、ちょっと、こちらに立って頂けますか」
「あ、はい」
「こう、確り両足を踏ん張って」
「はい」
「この、倭の大王より頂いた剣を、立てて、構えて頂いて」
「こうですか」
「そうそう、それで良い」
と言うと、乙鋤は、持って来た剣の布を解き、素早く、形名の握る剣に向かって薙いだ。
激しい金属音と共に、剣先が空を飛び、館の壁に突き刺さった。
「貴方、何をして居るの」
呆気に取られる形名とピリカの後ろで、美杢が、悲鳴に近い、声を上げた。




