第10話 タビダチ
翌朝、空が漸く白む頃、乙鋤と猿は戸外で話をしていた。
「あら、貴方達、早いのね」
木戸を開け、美杢が顔を覗かせた。
「ピリカちゃんはもう起きてる。形名ちゃんはまだぐっすり」
と美杢は微笑んだ。
美杢は五年ぶりの形名との再会が嬉しかった。
が、もう行ってしまうのかと思うと少し寂しくて、
(ずっと寝ていれば良いのに)
と空に願った。
「そろそろ起こさねばな」
乙鋤は美杢に告げた。
「はい」
美杢は小さく返すと、館の奥へ入って行った。
乙鋤と猿はもう暫く話すと館へ入った。
中では、形名とピリカが食事を摂っていた。
「猿さんも食べて行かれます」
美杢が尋ねると、
「お気遣い頂き有り難く存じますが、朝は食べませぬ」
と身支度を始めた。
猿は外へ出て、馬に水と餌を与えると鞍を締め直し、馬の支度を整えた。
「お待たせしました」
と、美杢が形名とピリカを連れて外へ出てきた。
蔵へ何かを取りに行っていた乙鋤は戻ってくると、
「これを持って行け」
と、形名に剣を手渡した。
「少し重いが、重ねが厚く、守りに強い。坊ちゃんは切らぬ様だからな」
乙鋤は折れた剣の刃を観る事で形名の剣癖を見抜いていた。そして、昨日の形名の闘い様を猿から聞く事で確信し、形名の技にあった剣を蔵から探し出して来たのだ。
「猿殿にはこれを」
と、鏃を一杯に詰め込んだ袋を差し出した。
「これは有り難い。減る物ですので、幾ら有っても足りませぬ」
猿は頭を下げた。
「さあ、行きますぞ、和気様がお怒りだ。早く帰らねば、どうなりますやら」
猿は形名とピリカを急かした。
実の所、昨晩の内に、乙鋤は鍛冶場の若い衆を和気の所に遣わし、乙鋤の所で形名とピリカを一晩預かる事を和気には告げてあった。
猿は形名とピリカを馬に乗せると帰りを急いだ。
館へ戻り、形名とピリカが中へ入ると、奥には和気が座って待っていた。
「形名様。御自分が何を為さったのか、御承知して居りますのか」
和気は形名の顔をじっと見据えた。
「ごめんなさい」
形名は和気の顔を見る事が出来なかった。
「ピリカ殿も困りますぞ」
和気が言うと、
ピリカは不満そうに、
「形名が吾を連れ出したのだ」
と返した。
「ピリカ殿。その御歳でも、御自分がどの様な御立場なのかは分かって居られますよな」
と、和気は厳しく応じた。
(五月蝿せえ、爺々い)
と思っては居たが、ここで言い返しても如何にも成らない事を、ピリカは理解していた。
「以後致しませぬ」
ピリカは頭を下げた。
「もう良い」
この言葉を最後に、和気は部屋を後にした。
ピリカは元の小屋に連れ戻された。
その後、どの様な話し合いが成されたのか、形名は倭国で学ぶ事と成り、ピリカは猿の家で育てられる事と成った。
倭へ旅立つ日、形名は猿の館を訪ねた。
「猿殿。猿殿」
形名は館の外から叫んだ。
館からは女性の声で、
「何用です」
と返って来た。猿の嫁、ペケルの声であった。ペケルはオヌ族の女性で、猿と共に毛野へやって来た。
「形名です」
「形名様、何用ですか。主人は、今、出掛けております」
「いや、猿殿ではなく、ピリカに挨拶に来た」
館の外と内で言葉が交わされて居る最中、
「何だ、形名。何か用か」
と、ピリカが館外に顔を出した。
久しぶりにピリカを眼にした形名は、
「倭へ行く事になった」
と寂しそうに告げた。
「それで」
ピリカはそっけない。人質のピリカにとっては、毛野の主が何処へ行こうが、毛野を出られる事は無いのだ。ピリカは、何故、形名がここへ来たのか、解し難かった。
「それと、これ」
形名は、乙鋤に貰った岩壺の五つ入った木箱を振って、心地良い音を奏でながら、木箱をピリカに手渡した。
「これはお前の親父の」
と、ピリカが言い始めた所で、形名が、
「預かっておいて欲しい。父上の魂はここ毛野にある。だから、偶にこの箱を振って、父上の魂を鎮めて欲しいんだ」
「分かった」
父親の居ないピリカには、何だか形名の気持ちが分かるような気がした。
「行って来い。吾の奏でる音は心地良いぞ。其方の父上もきっと喜ぶはずだ」
ピリカは自慢げに木箱を振った。
心地良い音が広がった。
「有難う。僕はもう行かなくちゃ」
「分かった。能く分からぬが、頑張れ」
倭へ発つ前、形名がピリカを眼にするのはこれが最後であった。
館へ戻った形名は和気の待つ部屋に入って、
「和気殿。倭へ発ちます」
と、告げた。
「二人の兵に、倭への道を付き従うように命じてあります。道中くれぐれもお気を付け下さり、倭では毛野の主である事をお忘れに成らぬ様、呉呉も、お願い申し上げます」
和気は形名に釘を刺した。
形名は毛野を旅立った。




