12-8(黄) 伸ばされたのは黒い腕
海面から伸ばされた腕は真っ黒だった。
漆を塗りたくったような黒さで、地肌のような質感が皆無。蝋人形の腕のようで、無理やり人間に似せている所為で不気味さが目立つ。
ホラー的な要素が強く、怪しいというよりも不気味だ。
天から伸びてくる定番と言えば、腕ではなく蜘蛛の糸であるべきだろう。掴めと言われたぐらいで黒い腕を掴む者はいない。UFOキャッチャーの景品とて、近頃はおいそれとキャッチはされない。
そもそも、素直な性格でいられるほど、彼女の人生はお気楽ではなかった。
「いや、掴めってば!」
声の主と腕の持ち主は同一だと思われる。先程から彼女に語りかけ続けている。
若い男性の声だ。彼女にとって気に食わない声質だったので、当然のように従わない。
「……重いから沈むのか」
失敬な声の主に反論するため、彼女はやや浮上する。だからといって腕を掴みはしないが。
彼女に対して、海上から腕が伸ばされる理由が分からない。
海上には彼女を助けてくれる人物は一人もいなかった。だから彼女は死んでしまったのだ。仮に黒い腕が善意で彼女に伸ばされているのだとしても、死んだ後になって伸ばしてくるなど遅いにも程がある。
「いや、俺は生前にも助けようとしただろ。お前の望んだものとは違うかもしれないが、助けようとはしたぞ? そのたびに雷でビリビリ攻撃してきた癖して、生前の記憶を偽るな」
致命傷を負わせる事が助ける事と呼べるだろうか。銃刀法違反者にとやかく言われる筋合いは彼女にはない。
彼女の納得できる説明で、彼女を口説いていれば、彼女は死を選ばずに済んだのだ。
「いい加減にしてくれ。辛かったからその分優しくしてください、なんて言われても、表面的な同情しかできない。お前はそれで満足だったのかもしれないが、俺は不満だ」
黒い腕は肩口まで海中に浸っているが、それ以上は伸ばせないらしい。海面が波立つぐらいに必死に侵入しようとしているが、片腕が限界に見える。
「俺にできるのは魔法使いを助ける事だけだ。辛くて泣きたかったのなら、俺に助けられた後に泣いてくれ」
救助と同情は違う。
救助は、状況にもよるが誰にでもできる事ではない。山での遭難であれば山岳救助隊が必要となるし、重傷者の命を救うには医師が必要だ。魔法使いであれば、黒いマスクをかぶったアサシンが必要となる。
対して同情は、たぶん誰でも可能だ。悲惨な状況さえ知ってもらえれば多くの人間から得られるだろう。物理的には何も救われないが。
彼女が最初に欲しかったのは同情の方だった。単純に得られるから、簡単に手に入るだろうと楽観し、結局得られなかったものである。
だから他の魔法使いを恨んで、同じ境遇に落ちてもらいたいと彼女は思ったのだ。
「駄々をこねて、何かを得られると思うなよ」
同情を後回して、現実的に彼女を救おうとするばかりで心を蔑ろにするアサシンは死ねと彼女は思った。
腕の主にして声の主も、正確に彼女の望みを読み取っているにも関わらず、救助を優先しようとしている。彼女に慰めの言葉を一つもよこさない。
彼女は沈む。嫌な世界から逃れたくて沈んでいく。
「――このッ、酒のつまみ如きが、手間をかけさせるよな。まったくッ!」
黒い腕が沈む彼女を掴めるはずがない。
この海は生身という荷物を持ったまま潜れる海ではない。体が圧倒的な浮力を発生させるため、生きている限り決して潜れない。片腕だけでも侵入できた事が例外なのだ。
だから、黒い腕がより深く沈みこみ、漆黒のマネキンみたいな全身が海に入ってきたのは異常事態だ。
黒い全身の人物は、沈む彼女を追って急速に潜行している。
「……まったく、ここは深海のように静かで嫌だから、入りたくはないというのにさ」
Z軸上に彼女と黒い人物は並んでいる。より深い位置にいる彼女からでは、海面の光が逆光となっているため、黒い人物の顔は確認できない。
「これは友人の話、優太郎って奴が言っていた話だが。深海に住むアンコウのオスは合コンができないから、一期一会なメスとの邂逅を絶対に逃さないらしい。メスに噛みついて、体を同化させてしまうのだと」
あるいは、黒い人物には顔がないのかもしれない。鼻の上から額の下までの領域に、底の見えない大穴が開いている。だから顔が分からない。
彼女は頭を振り、迫る黒い人物の顔が見えないのは気のせいだと思い込む。
顔の大穴の印象が、背後に広がる海の底と完全に一致しているのも、絶対に気のせいであると念じる。
黒い人物の戯言はまるで大学生のように無意味過ぎて、得体の知れなさではスキュラを超える化物とは思えない。どう考えても、この今際の瞬間で不細工な深海魚の話が出てくる理由が分からない。
「俺もアンコウのオスと同じで、魔法少女は絶対に逃がさない。逃がさないように、お前を抱きしめてやる」
黒い両腕に彼女の無いはずの体は掴み取られ、彼女は強制的に海上へと引き上げられていく。
結局、黒い人物は彼女を言葉で慰めてくれなかった。
「その抱きしめている最中で隠れて泣くぐらいは許してやるからさ、死ぬなよ」
しかし、彼女を理解してくれそうな人物は海上にも海中にも黒い人物しか存在しない。
メスアンコウだって、勝手に噛み付いて寄生してくるオスを選べる立場にはいないのだ。優しくない事以外は妥協できる相手なら、噛み付かれるメスとしては及第点だろう。
彼女は無かったはずの手で黒い人物の腕を強く握って、胸に顔を近づけて泣く。十八年の短い生涯を終えるのは、やはり彼女の本心ではなかったからだ。
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“ステータスは更新されました
スキル更新詳細
●実績達成ボーナススキル『不運なる宿命(強)』(一部無効化)”
“実績達成ボーナススキル『不運なる宿命』、最終的な悲劇の約束。
実績というよりも呪いに近い。レベルアップによる運上昇が見込めなくなる”
“助かる道を自ら断った実績により(強)に悪化。『運』のマイナス10補正が追加される”
“ある人物の救援を渋々妥協して受け入れた実績により、現在は無効化されているが、あまり積極的ではなかったため『運』のマイナス補正は残存している。
中途半端な無効化により、非表示属性は解除された”
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