第六話:後任勇者への引継ぎ
食卓に家族三人、父親の帰宅と共に夕食の時間がやってきた。
母親は最近ふさぎ込みがちな私を心配したのか、わざわざカルボラーナを作ってくれていた。
父と母が他愛のない会話を楽しそうにしている。父はともかく母は横目で私の様子を窺っているようだが、私は「いただきます」と小さな声で呟いたあと、しばらくフォークに手が伸びなかった。
父に酒が入り、陽気な声を上げる。母もワインを少し口にして、機嫌が良さそうだ。
サラダに箸を伸ばし、トマトを摘んで口に入れる。別に食欲がないわけじゃない。けど、安穏と食事を取っている場合ではないのでないか、そんな気持ちが心を覆っていた。しかも、カルボラーナは重い。結局おかわりすることもなく少し残して食事を終えた。父も母も不思議そうな目で私を見ていたが「お風呂いつ入る?」ということ以外は特に何を言うこともなく「気が向いたら入る」とだけ答え私は自室へと戻った。
部屋に戻った私は真っ暗な部屋に入り、そして動けずにいた。
頭が、動かない。心も、その機能が停止しているかのようだ。
こんな按配だから、近藤との話し合いは中断され、後日持ち越しとなった。
「……なんで、死ぬことがあるんだ」
いや、そうじゃない。あれだけ言ったのにあいつは最終決戦へと向かった。納得がいかないという面もある。あの間宮が負けたという事実を受け入れ難いという面もある。しかしそれは、やはり私ではクリア出来ないということが証明されたということでもあった。
間宮と私はほぼ同格だ。遠距離、超長距離戦を得意とする私と近接戦を好む間宮とは、かなり異なるスタイルだ。私は敵に何もさせない戦い方であり、間宮は敵の攻撃をしのいでプレイヤー性能を見せ付ける戦い方だ。これは、ジョブの特性から来るものではあるが、やはり実力的には同格と言っていい。もちろん、互いに自分の方が上だと、そう思ってはいるだろうが。
私は間宮が死んだことを今の今まで知らなかった。それもショックだった。私がトカレストから離れている間にも、トカレストの時計は確実に刻まれている。
「もっとちゃんと、説明するべきだったのか?」
違う、そう否定して私はベッドへと腰掛け、ゴロンと音を立て横になった。
今日は、本当はもっとちゃんと近藤の説明を聞くつもりだったんだ。攻略法はある。あいつはそう断言した。それを知りたかった、ほんとに知りたかった。いや、細かに説明したかったのはむしろ近藤の方かもしれない。
心ここにあらずとなった私に、それでも近藤は語りかけ続けた。励ますような、慰めるような言葉もあったと思う。あまり覚えてはいないけれど。
「間宮君がいてくれれば、戦力になった。それを思うと、俺も口惜しいよ」
「実は、最近お前が調子を崩しているのは知ってた。そっちの生徒と練習する機会があってな、一年の奴にお前の様子を聞いたんだ。目立つ存在だと言ってたよ。でも夏休み明けからおかしい、んなこと言ってた」
「今具体論話しても頭に入らないだろうから、まとめて書いて送るよ。そっちのタイミングで読んでくれればいい。ただ一つだけ、時間との戦いだってことは、言わざるを得ない。それは加奈にも、自覚のあることだろうし」
「そんなに、ショックを受けるとは思わなかった。仲悪いのかと思ってたよ。とにかく、今日はこれでお開きにしようか……」
仰向けになり、携帯のプロジェクターからフリーハンドのモニターを目の前に広げる。さっきの話は録画したあったので、近藤が何を言っていたのかは今見て理解出来た。どうやら近藤はほんとに攻略に必要なところだけにしか目を通してなくて、私と間宮についてはあまり知らないらしい。
――確かに、私は間宮が嫌いだ。間宮だって私が嫌いだろう。ライバル視されるようになって、ライバル視するようになって、認めてはいたが認めたくない、そんな気持ちでずっといた。それでも旅団の解散式を経て、それから光の勇者の引継ぎを終えてからは、私の気持ちに変化が起きていた――。
「なんで、辞める?」
開口一番、漆黒を纏う間宮はそう言った。近藤と同じ台詞だ。誰しもが、そう思うだろうから不思議ではないが、その視線は突き刺すように冷たいものだった。私は思わず俯いて、ただじっと地面を見ていた。
廃業の報告、あらかじめ決まっていた次の光の勇者である間宮への引継ぎ。気の重い話だ、近藤に話すのとはわけが違う。私達は最終地点、ラストダンジョンがある大陸の奥地で落ち合った。空は赤黒く、周囲には瘴気のようなものが漂い、全ての終わりはもうすぐそこにあることを感じさせる、そんな場所だった。
「勝てないと踏んだのか? なら、なんで称号取ったんだ。お陰で俺は待たされたんだぞ」
もっともな意見に、私は答えることが出来なかった。そもそも、こうして顔を突き合わせて話すことなんてしたくなかったし。
「おい……なんで何も言わない。引継ぎするって言ったのはそっちだろう」
だって、間宮が怖いから……そうは言えず、私はただ黙りこくるしかなかった。
「そもそも引き継ぎする必要あるのか? 別に連絡一つ寄越せば俺の転職証は機能するんだ。これ意味あんのかよ」
怪訝な顔を浮かべる間宮の顔を、上目遣いで覗き込む。そこには呆れたプレイヤーの顔が、ライバルの顔があった。面と向かって向き合うことなどほとんどなく、その横顔ばかり見てきた。だが今こうして間宮を見ると、浅黒く彫りの深いが精悍なものに見える。でも黒尽くめだから、やっぱり怖い。
「とりあえず、なんで引継ぎしようと思ったのか、それを答えろや」
溜め息一つついた間宮は、そうして岩に腰掛けた。続けて呟くように「別に怒ってんじゃねー。暗黒騎士の仕様は知ってんだろ。ただ理由が聞きたいだけだ」そっぽを向いてそう言った。
瘴気が二人の間に吹きすさぶ中、長い沈黙が降りてきた。
間宮はもう急かすようなまねはしないと決めたのか、ただ黙って遠くの山を眺めている。その先、その向こうには最終地点、このゲームのラストダンジョンがあることだろう。
――引継ぎの理由。わざわざ顔を突き合わせて直接伝えたかったこと、それがあったからわざわざこんな機会を作った。そして、その伝えたい事というのは――諦めろ、その一言だった。
我々は後発組だ。先発組、さらにその次、そしてさらにその後に私達がいる。しかし、後発組の成績は芳しくない。効率よく進めることは出来てはいるが、言ってみれば勝負弱い。六英雄という特別な存在が残したデータを元に攻略法を組み立て、効率よくキャラクターを育て強化し、失敗なくここまで来た。しかし、それでもダメだ、ダメだった。
長い沈黙に痺れを切らした様子を間宮を見て、私は慌てて口を開いた。
「仰るとおり、勝てないと判断しました……」
ようやく言葉にすると、間宮は見下ろすようにして眉間に皺を寄せた。
「根拠は」
「あたしは、六英雄に、届かない」
俯き加減でそう言った私に、暗黒騎士は目を丸くした。
「ちょっと待て。それはないだろ。俺らは後発組だぞ? 情報が溢れた状態で進めてきたんだ、あいつらに劣るなんてことはありえねえ」
「そう思いたい。けど、多分届かない」
「根拠は。どこが足りない、どう違う?」
また口を閉ざした私に、まくしたてるように間宮は言う。
「そりゃよ、あいつらは特別だ。達人の域にあるんだろうよ。けど、それだってもう情報の一つに過ぎない。何が必要で不要かは、俺らは嫌というほど知ってるだろ。だからこそこんな特殊ジョブについてんだろうが」
「そりゃ、そうだけど……少なくとも私には無理だ」
「それは……俺にも無理だと言いたいのか?」
答えはイエス。私の沈黙は、間宮に嫌というほど伝わった。私は間宮が烈火の如く怒り狂うと思った。罵声を浴びる覚悟もしていた。けど、間宮は眉間に指をやり、ただじっと目を閉じていた。そして、
「そうかも、しれねえな」
つまらなさそうに、そう呟いた。
間宮がそれを認めるとは思っていなかった私にとって、それは驚くべき反応だった。そしてまた沈黙が出来て、ただ赤黒い空の下で、二人は佇むことになる。
暗黒騎士は仕様として過度のストレスを強いられる。闇が力の源泉であるこのジョブは、ただそれであるだけで、心理的負担が大きい。だが、今の間宮はとても落ち着いて見えた。本当は苛立って、腹立たしくて、むかついて声の一つも荒げたいだろうに。
まるで何かに耐えるような間宮に、私は何を言えばいいのか分からなくなった。そもそも、会話もほとんどしたことがない。嫌われてたし、嫌いだし。どうしようか迷う私に対し、先に口を開いたのは間宮だった。
「そうか。んで、なんで引き継ぎなんぞしようと思ったんだ」
「だからそれは……」
「テメエに無理だと言われて、それで引っ込む俺だと思ってんのか?」
酷く冷めた目で見つめられ、それから彼は哂った。
「お前の判断は分かった。今まで最後の称号手に入れて、何もせず辞めた奴だっていないわけじゃねえ。記念勇者って奴だな。それ自体が目的。それに、テメエみたいにこりゃ無理だと、光の勇者の補正を得ても話しになんねーって辞めた奴もいる。けどな、俺はそうは思わない」
間宮は手を組み、
「俺でもお前でもチャンスはある。これは譲れん」
そう言い切った。彼はまだ、微少を浮かべている。
感情の昂ぶりは、この一言によって引き起こされたのだろう。
その表情を見て、私は我慢出来なくなったのだろう。私は、
「あのね間宮、実は私、ほんとのこと話してなくて、あのね、ほんとはそんなかっこいいことじゃなくて、ほんとはね……!」
全てを白状した。何もかも、吐いていた。
勝てるところまで行った、アイテムも手に入れた、勝ちを確信した。だけどそれを、完全に失った――。
それを聞いた間宮は、ポカンと口を開けて呆れ、それから「どこまで間抜けなんだテメエは!」と罵り、最後には「さすがに腹が痛い……」と笑い出していた。私は涙目でそれを眺めるだけで、何も言い返せない。
「なるほどな、お前折れたのか。分かるわ。けどなんでお前ばっかいつも特別扱いなんだよ、ざけんなよ」
間宮の不満に私はやや拗ねたように、
「そんなこと言われても、あたしにだって分かんないもん……」
そう返すのが精一杯で、しばらく拗ね続けた。
最後に、私達はこんなことを話し合った。
「あのね、もうダメかもとは思うんだけど、でもなんとかなる方法を考えようと思うんだ。それまで、ラスボスに挑むの待ってくれないかな?」
「どうだろ、そりゃ所詮お前のルートの話であって俺にゃ関係ねー話だろ」
「アイテムが再生出来たりとかしたら、いい攻略法が見つかったら、教えるから!」
「お前の都合で俺に動けと?」
「そうじゃなくて、もっと強化して挑むべきだと思うんだよ!」
「んなこたねーよ。俺でも、テメエでもいける。言ったろ、これは譲れない」
「もう! なんでさ聞き分けのない!」
「ど間抜けに言われる筋合いはねーよ」
返す言葉はやはり見つからず、ただ両手を合わせて拝むことしか出来なかった。別れ際、間宮は言った。
「あれだな、俺らでもどうしようもないとなったら……もう聖剣士だったか、あいつに突撃してもらうしかねーな」
「いや、あのガルさん超怒ってて……」
「知るかよ、なんとかしろ」
こうして、光の勇者の引継ぎは終わった。
私は廃業勇者となり、間宮が新たな光の勇者となる。
暗闇に、間宮の背中が浮かんでいる。モニターを閉じ、プロジェクターを切った。部屋は闇に包まれ、いつの間にかまどろんでいた。
まどろむ中で私は、全てのメイン派プレーヤーの道標となった六英雄の物語を思い浮かべていた。彼らがいたから、私達がいる。私達は、彼らに追いつけたのだろうか。それは、本当は、挑んでみなければ分からないのかもしれない。
「間宮の馬鹿野郎……あんだけ止めたのに……」
少しの涙が、零れ落ちた。
次回、六英雄の物語。




