3.佐々木加奈の失敗
着地の瞬間、私はまるで羽毛に包まれたかのようだった。木の上で無理やり止められたはずなのに、どうしてこんなにフェザーキャッチが出来るのだろう。私は情けない姿勢のまま担がれ、木々の間を降下し地面へと降り立った。
「よし、成功だ。初めてだったから失敗する可能性もあっただけにまあまあの出来だろう」
息一つ切らさない色白の華奢男が物騒なことを言う。その格好はまるで黒ずくめ、黒のジーンズに黒のジャケット、シャツは白だけど黒の印象が強過ぎてなんとも不安を煽る出で立ちだ。しかし、失敗の可能性もあったのか、勘弁しておくれよ。私は一度ふらっとしたが、すぐに平衡感覚を取り戻した。近藤のスタミナとスピードも大したものだが、こちらの回復力とて馬鹿にしたものではない。それを見て近藤がほぅと零した。私は無理に笑って口を開く。
「近藤、ありがとう。マジで死ぬとこだったよ」
「俺はそのつもりだったんだけどな」
蔑むような目で近藤はそう言った。ああ、これ近藤怒ってる。間違いなく怒ってる。ほんとに申し訳ない、急に呼び出したりして。挙句の混乱状態だ、SOSだったしそう思うよね。当たり前だ。ほんとさーせんでしたと頭を下げる。だが近藤はそれを無視した。
「見てみろ、これはなんだ」
近藤の視線の先には映像が映っていてた。空間モニター? いや縁取りがおかしい。ふわふわと浮いているのは空間のモニターのそれだが縁がぐにゃりとしたり伸び縮みして形を変えている。こんなモニター見たことがない。
「近藤、これ何?」
「それを聞いている」
「じゃなくてモニター。新型?」
近藤は軽く首を振った。
「これは鏡印というカメラの類だ。術の一つだな。くないなんぞ投げつけやがって、ヒビ入ってんじゃねーか」
確かに、言われて見れば映りが悪い。くないが見事に命中したのだ。あの面子に元忍者か何が紛れ込んでいたのだろう。そしてそのモニターに映るのは、先ほどまで我々がいた窪地周辺の様子だった。つまり猛者達とゴーストナイト、そして聖剣士ガルバルディさんである。
「で、これはなんだ」
「はい、乱戦と言いますか、公開処刑と言いますか」
「何が起きてると聞いてる」
近藤が語気を強めたことで私は気圧された。正直怖い、なんでだろうこんなに近藤が怖いなんて。私の方が明らかにやりこんでいるのに。
「私を追ってきた猛者達とゴーストナイトさんと、チートの塊ガルバルディさんでございます」
思わず馬鹿丁寧に返答していた。
「それは見れば分かる。なんでこうなったのかを聞いてるんだ」
「いやあの、正直分かんないことが多すぎて、推測しか出来ないと言いますか……」
「加奈、嘘はよくない。お前は状況を正確に把握した上で俺を呼んだ。廃業勇者のお前が明確な危機感を持ったってことだ。はっきりと言え。返答次第ではただではおかん」
すげえ怒ってる挙句に、何もかもお見通しか。今の近藤に嘘は通用しないだろう。いや、今までも嘘はついたことがない。今だって嘘はついていないのだ。だが今の近藤は隠し立ても嘘の一種だと言っている。当然か、命懸けのつもりで来てくれたのだから。
「そもそも俺でなくてもよかったはずだ。他に知り合いならいくらでもいるだろ。やり込みプレイヤーに助けを呼んでもよかった。なんで俺なんだ?」
近藤のその言葉に、思わずへこみそうになった。助けてくれそうなのが近藤しかいなかったんだ……他の面子はみんな平和主義だしやり込んでる仲間は正直、いないに等しい。みんな疎遠になってしまった。私はズタッと膝をつき、祈るようなポーズから頭を下げた。
「すいません! ほんとにすいません! 正直私にも何が起こってるのか正確にはわかんないんです!」
「分かる範囲で説明しろ。こないだ、勇者廃業したことも誤魔化しただろ。何隠してんだ。お前、何やった」
分かる範囲で説明か……しかし、それは結局全部話すのとほとんど変わらない。一つ話せば二つ、二つ話せば三つ。どんどんと膨らんで、結局は全ての行状を吐かなければ、近藤は納得しないだろう。けど、もう隠し立ては……。
どうしてだろう……この世界も、私も完全にカオスな状態になってしまった。そしてあれから一ヶ月、もはや隠し立て出来る状態ではない。今隠したとしても、いずれ明らかになるのは明白だ。その時何も知らされていなかった近藤は私をどう思うだろう。
私が、勇者を辞めた理由。
色々な思いが駆け巡る。近藤がどんな反応をするかの想像もつかない。
何からどう説明すればいいのかも、分からない。
目の前の彼に視線を送る。本当に、今までにない厳しい表情だ。
強く目を瞑り、腹を括り、私は口を開いた。声を張り上げ……。
「申し訳ありません! わたくし佐々木、完全にゲームを詰ませてしまいました!」
どうして、どうしてこんなことになったのだろう。思わずガンガンと地面叩いていた。深い森の中で木の葉が舞い散る。まるで私の心の涙を表現するかのようだ。
「意味が分からん。1プレイヤーのゲームが詰んだところでなんなんだ」
「違う、違うんだ近藤、ゲームそのものを私が詰ませたんだ」
顔を上げ強く訴えかける。
「私のせいで、こうなったんだ。だから謝らないといけない……いや、謝りたくはないんだけど、相方の近藤にはもっと早く話すべきだったとも思うし……ほんとにごめんなさい……」
「おかしなことを言うな、一人のプレイヤーの行動でなんでゲームが詰むんだ」
近藤が怪訝な顔でそう言って、さらに相方ねえと呟いた。そしてスタンダップと促している。私は正直足にきていたが、なんとか立ち上がり近藤と向かい合った。
「ところが1プレイヤーの行動次第で詰むように出来てんだこのトカレストストーリーは! 私はそんなつもりなかったんだ! これは本当なんだよ!」
もはや魂の叫びだ。にも関わらず「よく分からない、簡潔に説明しろ」近藤はそう言って座り込んだ。私だけ立たせるつもりなのか……。でもまあそのぐらいの羞恥プレイは受け入れる。ちゃんと、きちんと説明しないといけないことなんだ。そうすれば近藤なら分かってくれる、信頼関係だって……ある程度はあるはずだ。そう信じて話すしかない。
「あの、ゲーム自体を詰ませたのは半分ぐらい事実なんだ。そもそもゲーム自体が詰んでいたような気もするけど、チャンスはあったのね。けどそれを私が潰してしまった……」
もっと簡潔に、近藤は冷たくそう告げた。
「簡潔にですか? 結構長い話なんですけど」
「四行ですませろ、とは言わないがポイントだけ挙げろ」
手厳しい……仕方なく頭の中でポイントを整理する。伝わらなければ意味がない。私は「えーっと……」と頭を捻りながら四つのポイントを整理して列挙した。
1、この世界における最上にして最後の称号、光の勇者。その光の勇者でなければこのゲームはクリア出来ない。だが、実質意味がない無理ゲーである。
2、このゲームには分岐要素というものがあり、同じ世界にいてもそれぞれ別のストーリーを追っている。だが分岐要素には優先順位があり、今現在トカレストストーリー上において私佐々木の分岐要素が最優先、何よりも優先される状態になっている。
2から派生しての3、結果トカレストストーリーの物語で共有されていた核の部分に変化が起こり、さらにトカレストの世界にも多大な変化と進化が起きている。これは悪い方向と断言していい。
4、重要アイテムの紛失。これにより無理ゲーに近いラスダン、ラスボス攻略が完全に詰みに近い状態へと追いやられた。
以上四点を以って、私佐々木がこのゲームを詰ませたと評するに妥当だと言えるわけです――。我ながらうまくまとめたなと思う説明を終えると、近藤が首を捻った。
「やっぱりおかしい。2と3はともかく、1と4は修正すればすむ話だろ。お前何も悪くないじゃないか」
さすが近藤だ、物事の本質を正しく理解している。その通りなんだ、実は私は悪くない。そりゃトカスレトプレイヤーとして多少の責任感を感じるとしてもそれはせいぜい2パーセントほどのもので、それだって本来筋違いだと思うんだ。でもなんだかそう認識されてないみたいで、だからさっきの連中も……。
「けどみんな私が悪いと思ってるのかもしれない。切なすぎて泣きそうだよ」
「ああ、終わったな。見てみろ、ズタボロだ。凄まじいな」
私の弱音を他所に、近藤が鏡印モニターを指差した。
そこには尋常ではなく斬り刻まれたゴーストナイトの骸が転がっていた。そして猛者プレイヤー達は全員聖剣士に捕縛され、身動きが取れない状態になっている。このまま騎士団のある王国まで連行され尋問か拷問を受けることになるのだろう。恐らく強制シャットアウトしか出来まい、ログアウトすることも許されないだろう。
「なんつー強さだあのおっさん。あのゴーストナイトは上級プレイヤーなんだろ。始まったかと思ったら一瞬で終わったぞ。お前と俺はあれとやるつもりだったのか。寒気がするわ」
近藤が呆れた声を上げた。とんでもない存在だというのは多分私が一番よく知っている。彼の怪物具合を一番目の当たりにしてきたのは間違いなく私、佐々木だ。
「まあ連中のことはいい。もう少し細かく説明しろ。ただしそれでも簡潔にだ。寄り道すんな」
もう惨劇には興味を失ったようで、近藤が私を見つめていた。私も頭を切り替えて一から順にもう一度整理する。簡潔簡潔って、まるで私が閃きだけで話す人間みたいに……拗ねたくもなかったがそんな場合でもない。
「2と3の選択肢を押し付けられて怒る奴がいるのは分かる。けど1と4はどう考えてもお前悪くないだろ。2と3だって歓迎する奴がいてもよさそうなもんだ」
うん、と頷いて私は簡潔丁寧な説明を再開する。
「あのね、このゲームをクリアするには光の勇者の称号を手に入れないといけないの。何故なら光の勇者じゃないとラストダンジョンに挑戦出来ないから。だからみんな光の勇者だけがラスボスを倒せるって言うのね。ちなみに光の勇者は現役で一人しかなれない。世界にただ一人しか存在しないの。これ凄く大事」
んなこた知ってると、近藤は木を背もたれにだらしない姿勢を取った。確かにここまでは近藤も知っているだろう。
「でもそれ意味ないの。今までたくさんの人が光の勇者になったんだけど、誰一人クリアしてない。つまり、光の勇者はあくまで最低条件なんだ」
へえ、と感心するような声が聞こえる。
「勿論最低であっても条件は満たしてるんだからこれでクリアすることは不可能ではないと思う。けど無理、少なくともどんな猛者、超上級プレイヤーでも未だに出来てない。発売からもう二年以上経つのにだよ? つまり意味がない。これが一つ目の要素」
で、と私の熱弁をさらに促してきた。
「近藤も分岐要素は知ってると思うけど、何気に凄い数のルート分岐がこのゲームにはあるんだ。でも基本は共有されずみんなそれぞれの道を行く。ただパーティーを組むとルート分岐が共有されるんだ。でその時の優先順位はより深くストーリーに関わった人の分岐なの」
ほうほう、それは面白いと近藤は頷いた。
「ところが例外があってね、1と関連するんだけど光の勇者だけがそれにあたるんだ。あくまで優先順位が高ければの話なんだけど、つまりストーリーを深める分岐だった場合限定ね。この場合光の勇者の分岐は全てのプレイヤー、そして世界に優先する。パーティーとか関係なし。だから光の勇者の選択、ルート分岐は否応なく全てのプレイヤーにも押し付けられる」
そら災難だ、と近藤は相槌を打った。
「で、このトカレストには世界自体を進化させるシステムが組み込まれてる。多分文明の発達、進化とかそういう要素も組み込みたかったんだと思うんだ。でもこれ裏ルートっていうか要素で、クリア後のお楽しみ要素だったと思うんだ。ところがルート分岐次第ではそれを先に発現させ、達成してしまうことが出来る」
お前がそれをやったと、近藤が私を指差した。私は頷いてさらに続ける。
「意図的ではなかったんだけどそうなんだ。で、最後の一つが重要アイテムの紛失なんだけど……これがあればさらに複雑なルート分岐が可能で、しかもラスボス戦にも使えたんだ。けど失くした……」
口惜しい……これさえ手元に残っていれば他のプレイヤーを黙らせることも出来た。襲撃なんて起きなかった。近藤に助けを求める必要も、勇者を廃業する必要もなかったのに!
苔生す森の深淵には、木々がざわめくように蠢いていた。たった二人のプレイヤーしか存在しない中、森は静かに音を立て続け、涼しさは冷たい世界を連想させるに充分なものであった。




