第三話:神の在処、この世界の深淵
聖剣士ガルバルディ、それは圧倒的な強さを誇り、南方にある王国の要人中の要人である。そしてその王国の跡継ぎであった姫と敵対し、深い憎悪を一身に受ける人物でもあった。そのガルさんが今私の目の前にいる。驚きと共に私は興奮していた。
「ガルさんに会えるなんて……嬉しいです、嬉しすぎるので、一緒に、踊りませんか?」
「いや、君の仲間が起きるだろう。またにしておくよ」
真顔でやんわりと断られた。残念だ。けど確かにメンバー達は休んでいる。解散前の一休み、ゲージとスタミナを回復させ打ち合わせをして解散する。そういう段取りになっていた。
「でも本当に嬉しいです。どうしよう……あ、でも外にはトラップが仕掛けられていたんじゃ。大丈夫でしたか?」
魔術師達が警戒からいくつもトラップを仕掛けているはずだ。けどガルさんの侵入に誰も気付いていない。そんな疑問にガルさんは首を振る。呆れているようだ。
「あれはよくない。ここにいますと宣伝しているようなものだ。見張りを立て、伏兵を配置、そう誘導するのなら分からなくはない。だが気配をたつのが一番だ。灯りが漏れているのも迂闊過ぎる。誰かを罠にはめたいというのなら、話は別だが」
ありがたくも厳しいダメだしだが、気配って、どうやってたつのだろう。私は頭の後ろをかきながら、苦笑いするしかなかった。
「けどガルさん、どうしてこんな所に?」
「魔の痕跡を追っていたらこの神殿にたどり着いた。いつもこうだ、君がいるとは思わなかったよ。今や立派なヴァルキリーだな」
ガルさんに褒められて、嬉しくも照れくさい。少しはガルさんに近づけただろうか。それでも私は気を引き締め直した。そうしてステータスボートを開き、一度パーティーから外れておいた。皆を起こしたくないし、何より彼らが姫と聖剣士についてどこまで知っているのか疑問なのもある。魔の痕跡に気付かない彼らに説明するとなれば面倒だ。一番は二人きりで話したいからという理由だけれど。
階段を指差してガルさんと地下へと降りる。
埃だらけの地下だったがガルさんは文句一つ言わずについてきてくれて、そうしてライティングの魔法で明るく部屋を照らす。入り口にはシャドウの遮蔽呪文を貼り付け、灯りが外に漏れないようにしている。なるほど、こうすればいいのかと感心するだけだ。
照らされた部屋は書庫だった。本棚は倒れ本もボロボロに朽ちている。恐らく触れれば崩れてしまうだろう。ガルさんはまだ使えそう椅子を二脚引っ張り出してくれて、私に腰掛ける勧めてくれた。レディファーストなのかもしれないが、格から言えば自分の役割だ。恐縮しきってその勧めに応じる。
「ありがとうございます、親切にしていただいて」
「いやそれより、魔の痕跡、君は感じたか」
深く頷く。魔の痕跡だけではない、姫が実験したであろう巨獣の存在も見ている。そして魔の気配は未だに感じている。朽ちたとはいえ神殿であるにも関わらずだ。その違和感を正確かつ明確に伝える。
「やはりな。しかし、あれは腐霊術まで使ったのか。しかも竜にベヒーモスなどこの世のものではない。恐竜なんてのは聞いたこともない。ありえないものを召喚し組み合わせようとするとは、道を踏み外しているではすまんよ」
ガルさんは厳しい表情を浮かべた。当然だろう、立場は違えど私だって驚いたし、何よりあの巨獣、少しだけ気の毒だった。知的生命体ではないのかもしれないけれど、若干ながら三つの意思を感じ取り、あの存在はその綱引きをしていた。だから勝てた。単体なら旅団が死力を尽くし戦う羽目になっていただろう。
「あの、どうして神殿の中なのに魔の気配を感じるんでしょう」
「恐らくはあの娘の仕業だろう。だが、そもそもそういう場所なのかもしれない。今はまだはっきりとは言えないな」
ガルさんはそうして周囲の書物に目を落とした。散乱した書物のに中にはきっと貴重なものも含まれているはずだ。それに、石版のようなものもある。この神殿、相当古いんだ。
「そういう場所ってどういう意味ですか? あと、いつもこうだっていうのは、まだ姫を追っているということですよね」
「当然だ。だが任務との兼ね合いもある。形式的な肩書きも含めて、本来私は王国内から出ていい立場にない。中途半端なんだろうな、だからいつも追いきれない。弱ったものだ、どちらも放ってはおけないという事実は」
「王様、あの陛下様にはご報告を?」
ガルさんが躊躇う素振りを見せた。言いにくい、ではなく私達、いやもう近藤はいないから私は部外者だ。そしてあの時ガルさんは内々に事を片付けると言っていた。そして私は奇跡を起こしてくれと願った。魔に従属しリッチと化した姫を救えるのは、ガルさんだと信じて心からそうお願いした。そんなことを思い出していた私を、ガルさんが試すような目で見た。
「巨獣を始末してくれたのは君か」
「はい、みんなで弱らせてトドメを刺したのは私です」
「ありがとう。本来はそれを阻止するのが私の役割だ。最低でも仕留めなくてはならない。感謝している」
少し頭を下げられたことで、やめて下さいと慌てて膝をつく。
「いいんです、急なことです。お仕事お忙しいでしょうし、私だってかなり戦えるようになりました!」
「そうだな、私の目に狂いはなかった。君は強い」
立ち上がり深く頭を下げる。ガルさんにはいつも褒められているような気がする。心の通った、AIか……不思議な気持ちだけど、仮想世界では一人の人間、そう考えている。いやそうとしか思えないのだ。そんな思考は、次の言葉で遮られた。
「陛下から内々に勅命が出た。討伐せよと命じられている」
それは虚無を感じさせる響きを持っていた。それにより、不思議と柔らかくなっていた気分が吹き飛んだ。父親が、娘を殺せと命じた。それはあまりに強い衝撃だった。親子と婚約者で殺し合い、なんでそんな業の深い事態に、おかしい。
「つ、捕まえるじゃダメなんですか?」
「内心はどうあれ、討伐が基本だ。あれは罪深い」
「で、でも捕まえてから、いや姫を元に戻してからなら裁判とか受けさせてもらえるんですよね? 王族だし、不問ってことも……」
少し言い淀んでしまう。いくらなんでも姫に肩入れしすぎだろうか。だが、
「いつもこうだ、の意味を尋ねていたね。私があの娘を追うと必ずと言っていい程、神殿や遺跡にたどり着く。目的は分からないが何か意図があるのだと思う。だがどこもあまりに古く、朽ち果て忘れ去られたものばかりだ。その不自然さが気にかかって仕方ないんだよ」
ガルさんは誤魔化すようにそう答えた。その問いには答えない、態度でそう伝わってくる。しつこく聞けば話が終わってしまうかもしれない。深く追求することを諦めざるをえなかった。
「そういう場所とはどういう意味でしょうか。神殿は神様を祭る場所ですよね。遺跡は分からないけれど。そこで魔の痕跡を感じるのはおかしいと思うんです」
「神とは限らない。魔の可能性もある」
どういう意味だ。つまり悪魔信仰ということだろうか。その点を尋ねてみると意外な答えが返ってきた。
「君は信仰心があるのか。魔も神も、この世にはない。神聖なるもの、邪悪なるものなどというのは、そもそも存在しないのだよ」
「え、いやでも神殿があります。今ここに」
「朽ちているだろう。どちらも滅びたはずだ。恐らくはそこが鍵となるのだろうが、私には分からない」
神殿、信仰が滅びた? おかしい、宗教とかは分からないけど、別に神殿がなくとも信仰心はあってもいいんじゃないだろうか。そして邪悪なるものは確実に存在している。仮に滅んだとしても、なんらかの方法で甦ったと見ていい。
ガルさんが黙り込んだので、私はさらに考える。
そもそも論として、私は北欧神話の半神ヴァルキリーだ。しかもこの転職証はガルさんに貰った。この時点で矛盾が発生している気がする。けどもっと大事なのは、私は今始めて神殿というものを見た、という事実だ。旅の広場から王国内、さらに岩山を超えてここまで来たが、神殿というものは見たことがなかった。初めて見たこの神殿はあまりに古く、どこまでも朽ちている。
いつもこう……姫の存在……ふと近藤の言葉が蘇った。ガルさんとの別れの際に言っていた「王が神か、神が王か」多分これは国の形を意味しているのだろう。けど何か引っかかる……どこだ……王と神、この世の支配者……。そうして私は一つの思いつきを口にする。
「神は、死んだ?」
そんな些細な呟きに、ガルさんが強い反応を見せた。
「知っているのか。異国においても共通の認識だとは思わなかった」
「あ、いえ、有名な一説です。確か哲学的……」
そこまで言って、どこの誰が言ったことか思い出せない自分を自覚した。それに、意味も良く知らない。
「やはり世界はそういう成り立ちなのか……」
だがガルさんは何を思ったのか、そう零すと饒舌に語り始めた。
「そもそも神と魔を別とするのかは議論がある。伝承では、遥か古代竜が支配した時代があったとある。その支配を終わらせたのが魔と神だ。だがもうどちらもいない。だがこの二つが存在したのは確かだと思われる。人類の歴史は、魔と神を消し去ったことから始まる、これが定説だ」
か、神殺し? この世界では神は死んだ、以上に神を殺してしまっているのか?
「そ、それはおかしくないですか。人が魔や神を消し去る程強い存在だとは思えません」
ガルさんを除いて。
「いや、元は魔と神の覇権争いからだ。それは魔と神を別としての考えだが、あくまで二大勢力が存在していたという事実が重要だ。人間はどちらにも加担した。いや、使役されていたのかもしれない。結果として消耗した魔と神を打ち破り人は人としての歩みを手に入れた」
そんな、そんな話一言も出ていない。このゲームは一体どういう設定で出来ているんだ。隔離版、攻略情報では「ストーリーはないに等しい」と言い切っている者までいた。でも違う、今確かに壮大な物語の存在を私は実感している。
「魔の復活は確かだ。一方で神殿はどこも朽ちている。全てを目にしたわけではないが君のいう、神は死んだ、それは正しい表現と言えるだろう」
「信仰は、ガルさんには信仰心はないんですか?」
西欧を舞台にした中世物RPGなら教会は普通にある。創造した神、或いはヴァルキリーのように神話を基に設定していることだって多い。ガルさんにはそういうものはないのだろうか。
「神を意識することはない。しいて言うなら海賊上がりだからね、海の恩恵を受けたいという勝手な考えはある。海と天候だけは思い通りにいかないものだ」
ガルさんはそう言って、遥か古い記憶を思い起こすような顔を見せた。海賊だったあの頃、世界を荒らし回り、姫の相手をしていた若かりし時代の記憶。
けれど、私の心には大きな疑問が浮上している。何故、死んだ神を祭る神殿を、姫は訪れているのだ。かつての覇王は何故、魔王になりえたのだ。世界の謎が頭の深い所で渦巻いていた。




