第二十五話「強い違和感と強過ぎる違和感」
画面から眩い閃光が放たれたのを確認して、身体を起こす。ベッドを這ってカーテンを少しめくるが、外はまだ暗かった。まだ夜明けには程遠いようだ。
これはもう、どうせ眠れないだろう。そう思いのそのそとデスクへと向かい椅子へと腰掛ける。ライトを点け携帯のモニターを気持ち広げると、画面は進退窮まった三人からセイレーンへの戦いへと移行していた。戦いは三つのエリアで繰り広げられている。そしてここからが本番だ。この激戦をトカレスト初期におけるベストバウトに挙げる者も多い。
古い話だが、かつてセイレーン最強説、又はセイレーン万能説というものが存在した。それは甲斐田セイレーンのあまりの強さに感化され広まったものだ。
攻防一体のギンザーに精霊魔法、さらに召喚魔法と特殊言語魔法が使用出来る。確かにこれだけ見れば魔術系オールラウンダーに見えなくもない。だからといって、それがオールラウンドな戦いが出来ることを意味するわけではなかった。そもそもセイレーンは、本来支援系の魔術師なのだから――。
ハイイェー・ルベー、それは聖なる檻を意味するものかもしれない。聖霊魔法は死霊、悪魔系に効果的であり、この檻は対象の自由を奪うためのものに思えた。事実、怪物達の突進に歯止めがかかり、荒々しさも幾分抑制されたかに見える。群れは今縦長に伸びてしまい、隊列などというものは端からないにしても勢力の分散には成功していた。
しかし目前に鉤爪が迫っている事実は変わらない。
だから彼は、
「空の軍勢」
右腕を振り上げた。
空気が割れるような音と共に無数の風刃が現れ、瞬く間に聖なる檻を駆け巡る。風の刃は化け物共の肉を削ぎ、骨を絶ち、怪異なる存在の咆哮を引き起こす。
そして特殊言語魔法は鉤爪の本体にも襲い掛かり、二度の攻撃で大木のような前足を切り落とした。
だが、鉤爪は牢獄の枠を超え、切り離されて尚単独でセイレーン目掛けて振り下ろされる!
すぐさま物理特化へと変化させた黒色のギンザーが自動防御を試み、鉤爪へとたかるように集まり巨大な盾と化していく。
衝撃と炸裂音が途切れると、セイレーンの目前にはギンザーを貫いた爪の先端が鈍く光っていた。
半数のギンザーが崩れ去る中、しかしセイレーンには冷や汗をかくことも許されない。
檻を突破され、物理攻撃とスペシャルスキル対策のギンザーも完全に機能したとは言い難い。
魔法防御特化にしていたギンザーが攻略されるのは想定出来なくもなかった。だが敵が檻から抜け出し鉤爪のみで攻撃されたのは計算外だ。挙句鉤爪の残る前足だけでこの破壊力となれば、正面衝突した際の結果は目に見えている。
ハイイェー・ルベー、ギンザーの両輪が機能していないことは最早明白、だがそれは何故だ?
セイレーンは残ったギンザーの向こう、アエリアエ・ポテスタテスを投じた聖なる檻に目を向けた。
そこに見えたのは、肉を裂かれ、骨を絶たれ、手負いの存在となった怪異なる者達の集団だった。
言語魔法を投じた結果を見届けた彼は、違和感の正体をここに悟る。
「話にならない、こいつら死霊でも悪魔でもない。だが魔獣や魔物とも違う。信じられん……」
受け入れ難い事実を知ったところで、現実は変わらない。
ここにセイレーンは戦略の見直しを迫られた。
だが、戦略を立て直すだけの時間を奴らが許すはずもなし。
もうすぐそこに、前足を切り落とされた奇形グリフォンの本体が光りの壁を突き抜け、迫っている!
無論、主を護るため後方に陣取っていたウンディーネ、シルフがギンザーの穴を埋めるため接近を試みる! しかし、両者共に防御に強い精霊ではない!
さらにサラマンダー、イグニス・ファトゥスも前線を離れ後退を始める。
誰もが出来得ることをしようと試みる中、黒い影がセイレーンを覆う。そうして焼け爛れた、鷲の上半身にライオンの下半身を持つグリフォンの如き存在が、
「あー……いいって、お前ら来なくていい」
その巨大で鋭利なクチバシを反動をつけるよう高く掲げ、
「こりゃ無理か……いや、どうでもいい感じだな……」
怪鳥の奇声と共に振り下ろされた! 完全な詰み!
それは鈍足の魔術師の宿痾とも言える致命的欠陥!
なのにどうしてだろう、異形の凶器が定める標的は、謎めいた冷笑を浮かべているではないか。
轟音、稲光のようなエフェクト、巻き上がる粉塵、奇異なるクチバシがセイレーンを捉えインパクトの瞬間に発せられたものに間違いはない。
その場にいた全ての存在は、光りと粉塵で状況を把握出来ずとも敗北、少なくとも深手を負ったであろうことを確信した。
ここからは、ヴァルタンと協力しいかに退却するかに絞られる。
いやそれすら叶うのか!?
そんな確たる絶望と粉塵が漂う中、戦場の空気を揺るがす音のようなものが、ささやかに聞こえてきた。
「しゃーない。こっからは、チ・カ・ラ・ワ・ザ、やな――」
――画面は再び三人の戦場へと移る。
セイレーンがハイイェー・ルベーを唱える直前、女性プレーヤーは覚悟の言葉を口にしている。
パラノイド・ラバー・インプリズン、偏執的愛の監獄。
直後、完全に場は凍りついた。敵を除いて。
異様な事に、仲間二人の動きが完全に封じられたのだ。
「ち、ちょっと待って下さい……」
「おま、何してんだ!」
そう詰問する二人にお構いなく、フィールドには謎にハート型の紋章が浮かび上がってきている。
「私だってこんなことしたくなかった。だけど、もう絶対後悔したくないんだ。私は、私は南国の絶望になんて負けない。友情という名の希望は前だけを見るの!」
悲痛な表情、心の叫び、しかしそれを遮るように最も機動力に優れた九尾の狐がついに三人へと牙を剥く!
そして一瞬のやり取り! 気がつくと九尾の狐は布のようなものに包まれ、もがき苦しんでいた。
呆気に取られる黒魔法師が、
「と、闘牛?」
とその意味をなんとか理解したが、僧侶は遮るように言い放った。
「んなことよりこの拘束解け……! 死んだら終わりだろ!」
だがそんな要求は完全に聞き流され、上着を脱いだ彼女は肌着一枚、その肌を露わにし、哀愁を漂わせながら二人へと訥々と語りかけた。
「もう一回言うけど、私はこんなことはしたくなかったんだ。ほんとだよ、これは本当なんだ」
「いやいやいやそれより逃げないとあなたもやばい!」
「仲間拘束するとかいかれてんのかってかなんだこの呪文は!」
叫び声を上げ抵抗する男二人――が、ダメ!
パラノイド・ラバー・インプリズンは"女性プレーヤー"が"男性"プレーヤー、敵、モブキャラなどを強制力をもって封じ込めることが可能な特殊スキルだ。覚えたところであまり役に立ちそうもないが、ここでは効果覿面と言ったところか。仲間に対して。
しかし状況は男二人が指摘する通り、逼迫している。
女の衣服を振り払い怒りの表情を見せる九尾の狐、万事休す――そう思われた瞬間、音もなくそれは起きた。
カメラは唐突にすっと下へと向きを変える。
映るのは地面、しかしそこに誰かがいる。
そして少しずつカメラは上へと向きを変え、対象を映し出していった。
そこには――白いハイソックス、紺のスカートは膝上3cm、ほんの少し覗く程度の素足、純白のトップス、そして白いラインが四本入った大きな三角形の襟、袖口には襟とデザインを同じくしたラインが入り、濃い目の赤いスカーフが一際目立つ。
カメラが顔を捉えると、大き目の黒目にくっきりとした目元、赤く染まる頬は程よい膨らみを持ち、少し低い鼻はしかし控えめと言うべきであり、薄い唇の前を長い黒髪がゆっくりと通り過ぎていく。
精緻かつ清楚な美少女がただ一人、あらゆる状況をガン無視し今にも泣きそうな顔を浮かべ二人の前に立っていた。
「?」「?」「?????」
全ての存在の頭の上にクエッションマークが浮かぶ中、
「お兄ちゃん、酷いよ(涙)」
セーラー服姿の女子学生は泣き声で拗ね、犯罪的可愛らしさをアピールしていた。
――ちなみに空飛ぶヴァルタンは、虫嫌いから戦意を根こそぎ持っていかれ、ハイイェー・ルベーの白い閃光が目に入った瞬間「甲斐田の奴気遣って、ヴァルサン焚いてくれたんだ。なんだ、余裕あんじゃん」と思っていたらしい。




