第8話 秘密の賭場
どうやらこの人物は、ラングレット侯爵の関係者らしい。なぜなら、賭博は法律で禁止されているので、その開催情報は当然秘匿されているのだから。この男性は、少なくともその秘密に触れられる人物ということだ。
「今夜は持ち合わせがありませんわ」
「グスタフが貸してくれますよ。もちろん低金利で」
これも大収穫だ。どうやら、ラングレット侯爵と大商人グスタフ・フォン=マルテンは、賭博でもつながっているらしい。
(この情報だけでも手掛かりにはなるけど……)
もう一歩、踏み込んだ情報がほしいところだ。
「では、少しだけなら」
「ええ、もちろん。少しだけ、楽しみましょう」
ニタリと下卑た笑みを浮かべる男に手を引かれて、レイリアは大広間を出た。
その際、壁際にいた一人の人物に目配せを送る。
ヴィンスだ。
彼はレイリアの護衛のために、密かに潜り込んでいたのだ。
レイリアの視線に気づいて、ヴィンスが小さく頷いた。この後、彼もどうにか賭場まで潜り込んでくれるはずだ。
問題は王子だが、周囲を軽く見回してもその姿は見えなかった。レイリアが大広間からいなくなったことを知れば慌てるかもしれないが、彼に連絡をする手段がない。
(彼がレイリアのことをそれほど心配するとは思えないし……)
少し調べて戻ってくれば問題ないだろう。
「さあ、行きましょう」
急かす男性に促されて、レイリアは館の中を奥へ奥へと移動したのだった。
数分後、連れてこられたのは薄暗い廊下だった。
その奥の部屋から笑い声が響いてくる。部屋の前では屈強な男二人が番をしていて、近づいてきた男性とレイリアをじろりと睨みつけた。男性はそれに怯むことなく、懐からカードのようなものを取り出して男たちに見せる。どうやら、この賭場は完全招待制のようだ。
「どうぞ」
男たちが恭しく頭を下げているところを見ると、この男性もなかなかの身分なのだろう。
(この男も、いずれしょっぴく)
賭博は犯罪だ。そこに年若い婦女子を誘い込むなど言語道断。今夜の相手はレイリアだから被害者はいないと言ってもいいが、今後のためにも二度とこんなことができないようにしなければ。レイリアは心の中で硬く誓った。
「では、まいりましょう」
部屋の中には葉巻の煙が充満していた。嗅ぎ慣れない匂いなので、もしかしたら違法薬物の類が混ざっているかもしれない。
レイリアは深く息を吸わないように注意深く浅い呼吸を繰り返しながら、男性に導かれるまま部屋の奥へと向かった。
そこにいたのは、仮面をつけていない二人の男性だった。
フリードリヒ・ラングレット侯爵と、グスタフ・フォン=マルテンだ。
(まさか本人がいるだなんて……!)
しかも、仮面も着けずに堂々と。
それだけ、ここに集まっている人々を信頼しているということなのだろう。
「ごきげんよう、侯爵」
「やあ、オットー。楽しんでいるか?」
「ああ」
レイリアを連れてきた男性の名はオットーというらしい。それほど珍しい名前ではない。
(ファーストネームだけじゃ、個人の特定は難しいわね)
後で貴族台帳を片っ端からあたるしかない。そんなことを考えていると、ラングレット侯爵の視線がレイリアに向けられた。
「そちらのお嬢さんは?」
黒い瞳で、じとっと探るようにレイリアを凝視する。
「名前はまだ聞けていないんだ」
「またか、オットー。貴様のその悪癖のせいで、また無駄な後始末をしなければならない」
後始末、その不穏な言葉に思わず肩が震えた。
「彼女が死んだのは、その口の軽さが原因だろう? 私のせいじゃない」
そう言ってから、オットーもレイリアの方を見た。仮面を外して、ニヤリと笑う。
「秘密を守れば、何も怖いことはないさ」
これは、とんでもない場所に連れてこられてしまった。
もはや、調査どころではない。彼女は今まさに命の危険にさらされている。
ラングレット侯爵と大商人グスタフが裏でつながっていて、少なくとも賭場の経営という悪事を働いている。ついでに、オットーという名の貴族がその一味の一人。火薬の件とは無関係のようだが、これだけ分かれば今日の収穫としては十分だ。賭博の件を理由に、ラングレット侯爵を捜査することができるのだから。
(ここから先は、とにかく無事に帰れることだけを考えなきゃ)
仮面に隠れて周囲を見回して逃走経路を確認する。それほど広くない部屋の中に人が密集しているので、紛れ込むことができるだろう。
そんな算段をしていると、ラングレット侯爵が椅子に座ったまま尊大に言った。
「仮面を外せ」
「……まあ、どうして?」
レイリアは務めて冷静に、ゆったりと見えるように首を傾げてみせた。
「ここでは信頼が命だ。顔を隠したままでは、信頼関係を築くことは難しい」
「でも、皆さん仮面をつけたままだわ」
相変わらずゆったりと話すレイリアに、ラングレット侯爵の隣に座っていたグスタフも下卑た笑みを向けた。
「ここの客は身分が確かな方ばかりなので。仮面をつけてはいても、侯爵様だけは誰が誰なのか全てを把握していらっしゃるのだよ」
主催者にだけ身分を明かし、参加者同士は仮面舞踏会と同じように名前すら知らない相手同士で遊びを楽しむ。そういう趣向の賭場のようだ。
「さあ、仮面を外して。お名前を教えていただけますかな?」
ねっとりとした口調で言われて、レイリアの背を汗が伝った。
仮面を取るわけにはいかない。ラングレット侯爵とは普通の舞踏会でレイリアとして何度か顔を合わせている。顔を見られたら誤魔化しようがない。当然、王子の婚約者であるレイリアがこんな場所に来たとなれば、ただで返してもらえるはずがない。
今夜、レイリアは彼らにとって知られてはならない秘密を知ってしまったのだから。
「さあ」
オットーの手がレイリアの仮面に触れた、その瞬間だった。
──ガシャーン!
けたたましい音に続いて、部屋の中から悲鳴がわき起こった。同時に、あちこちで明りが消えて、一気に混乱が広がる。
「なんだ!」
「シャンデリアが!」
どうやら天井からシャンデリアが落ちたらしい。
(ヴィンスね!)
さすがである。
レイリアは、ラングレット侯爵たちの視線が外れたすきに、彼らの視界から消えるように身を翻していた。
その間にも、あちこちでグラスが割れ、人が転倒する音が聞こえてくる。
「おい! あの女はどこに行った!?」
オットーが気づいた時には、レイリアは既に混乱する人々の間に紛れ込んでいた。
人と人の間を縫うように進み、扉を目指す。
「誰も外に出すな!」
オットーの怒鳴り声が響いて、扉の前に警備の男たちが集まって来た。
(まずい)
混乱に紛れることができても部屋の外に出られなければいずれ捕まってしまう。
その時だった。
「火事だ! 逃げろ!」
誰かの叫び声が響いた。途端、さらなる混乱に陥った人々が扉に殺到する。
それと同時に、誰かに腕を掴まれた。
捕まった、一瞬そう思ったが、その誰かは思いのほか優しい手つきでレイリアの身体を引き寄せた。
「怪我は」
エドアルド王子だった。




