第7話 仮面舞踏会
会場は郊外に建つ、ハンデルス館と呼ばれる邸宅の大広間だった。
かつては由緒正しい大貴族が暮らしていたのだが、その貴族は商売に失敗して没落、邸宅も人の手に渡ったという。現在では、西部地域を中心に勢力を広げている大商人グスタフ・フォン=マルテンの持ち物だ。
貸し出し料を払えば誰にでも広間や部屋を貸してくれるので、正体を隠したまま行事を開催したいときや、人に知られてはならない密会をするときなどに使われているという。
もちろん、こんないかがわしい場所にはレイリアも王子も近づいたことすらない。
馬車から下りたレイリアは、その華やかながらもどこか影のある佇まいの館に息をのんだ。
「……行こう」
そんな彼女の手を、王子がそっと握った。
そのまま、流れるような仕草で彼の左腕に導かれる。その洗練された仕草に、レイリアはまた頬に熱が集まるのに気づいて、ツンと顔を逸らした。
といっても、二人とも顔の全面を隠す形の仮面をつけているので、お互いに表情は全く見えないのだが。
「さっさと調べてさっさと帰りましょう」
「ああ」
王子にエスコートされて中に入ると、まず招待状を確認された。これは、ルークが間者を使って手に入れてあったので問題ない。もちろん、あて先は王子やレイリアではなく偽名を使っている。
怪しまれることなく通され、大広間に入る。
そこには、普段出席するのとはまた違った華やかな空間が広がっていた。
飾られている花々は真っ赤な薔薇ばかり。女性たちのドレスも赤や黒、濃い青、紫など、蠱惑的な色が多く見られる。一番特徴的なのは、誰もが胸元が大きく開いたドレスを着ていることだ。女性たちは艶やかに見えるよう化粧を施したデコルテと豊満な谷間を見せつけ、男性たちは仮面越しにそれを見て品定めをしている。
「……最悪ですわ」
レイリアが吐き捨てるように言うと、王子も同意して頷いた。
「まったくだ」
現状、仮面舞踏会は取り締まりの対象にはなっていない。健全とは言い難いが、貴族たちのガス抜きの場として、その存在が黙認されているのだ。また、例え禁止したとしても、どうせ似たような場所が別の形で生まれるだろう。
そんな人間の汚いところを見せられて、レイリアの気分は最悪だった。
「大丈夫か?」
「問題ありませんわ」
本当ならすぐにでも回れ右をして帰りたいところだが、ここまで来たのに手ぶらで帰るわけにもいかない。ルークにとっては、せっかく見つけた手がかりでもある。
「行きましょう」
今度はレイリアが王子の手を引いて、二人はダンスホールの中央に向かった。まずは二人で一曲踊りながら周囲の会話に耳を傾け、怪しい人物に目星をつけていく手はずになっている。
ちょうど曲が切り替わる。王子はエスコートしていた腕をほどき、レイリアの右手をとった。そして、反対の手を彼女の背に添える。
二人で社交界に出ることはそれほど珍しいことではない。だが、こうして踊るために身体を寄せ合う瞬間には、いつもレイリアの心臓が跳ね上がる。
それを王子に気取らせないよう、できるだけ身体が触れないように踊るのもいつものことだ。そのせいでぎこちないステップになるのもいつものことで、ついでに王子の靴を踏んづけるのも毎度のこと。そんな様子を見た周囲の人々が二人の不仲を噂してくれるので、むしろ好都合だとレイリアは開き直っている。
今日も三度ほど王子の靴を踏んだが、なんとか一曲を踊り終えて、レイリアはほっと息を吐いた。
「では」
「はい」
この後は別行動だ。
それぞれ、踊りながら目星をつけた集団に紛れ込んで会話に参加する。そうして、手がかりを得るのが今日の計画だ。
王子は早々にレイリアのもと離れ、男ばかりの集団に紛れていった。
それに倣って、レイリアも反対側の壁際に陣取っている貴婦人たちに近づいた。踊っている最中、彼女らの会話の中にグランツ伯爵の縁者の名前が出るのを聞いたからだ。
その集団には、独身らしい若い令嬢もいれば、明らかに既婚の夫人もいる。
「ごきげんよう」
レイリアが挨拶をすると、自然と輪の中に入ることができた。仮面舞踏会という性質上、知らない人から話しかけられることに慣れているのだろう。
「こんばんは」
「素敵なドレスね」
「仮面も素敵、どちらで誂えたのかしら?」
「ふふふ。詮索はやめてちょうだいな」
「あら、そうでしたわね」
などと内容のない浮ついた会話を交わす。
「そういえば、噂をお聞きになって?」
「噂?」
「今夜、カーディナル家のルーク様がいらっしゃるって」
「まあ!」
「そんな!」
「まさか!」
レイリアが持ち出した『とっておきの噂話』に、貴婦人たちが声を上げた。あらかじめ考えておいた話のタネだ。
彼女らの表情が驚きに染まり、次いで、頬を染めてそわそわと身体を揺らし始める。
「……本当に?」
「噂ですけど。なんでも、ようやく結婚相手を探す気になったそうで」
「お歳は、たしか、十八?」
「遅いくらいだわ」
「それはほら、お姉様が」
「ああ、ねえ」
ルークは姉のレイリアのせいで相手が見つからない、というのが社交界での定説だ。ルーク自身が嫌われているわけではなく、そもそも社交界に出る機会がないうえに、姉に邪魔をされるから、という設定になっている。
「それで仮面舞踏会に?」
「ここなら、お姉様に邪魔されることはありませんからね」
「ええ。こんなところに公爵令嬢がいらっしゃるわけありませんし」
(来てるんだけどね)
レイリアは内心で苦笑いを浮かべながら、彼女たちのおしゃべりを盛り上げた。
「チャンスかもしれませんわ」
「ええ」
「そうね」
「今夜、もしルーク様に見初められたら……」
若い令嬢たちの頬がぽおっと色づく。
「探してみます?」
「でも、お顔が分かりませんわ」
「ほら、それらしい黒髪の男性を探せば……」
一人の言葉に促されて、貴婦人たちがホールに目を向けた。そこには大勢の男女がダンスを楽しんでいる。その数は二百人を超えるだろう。もちろん、黒髪の男性は一人や二人ではない。
この中からルーク一人を見つけ出すことは、ほぼ不可能だ。
「ふふふ」
それに気づいた一人の令嬢が噴き出した。
「あら、ふふふふ」
「もう、やあねえ」
つられて他の貴婦人たちも笑い出す。
「だいたい、公爵家のご嫡男だなんて、高望みが過ぎますわ」
「ほんとうに」
「もう少し、程よいお相手がいるはずよ」
「ええ。今夜だけ、一緒にいてくれる優しい殿方がね」
レイリアも彼女たちに合わせて優雅にほほ笑んだ。
(……外れね)
彼女がルークの話題を出したのは、その名前を聞いた時の彼女らの反応を探るためだった。もしも火薬や小麦の密輸に関わっている人物なら、ルークが仮面舞踏会にやって来たという話を聞けば心中穏やかではいられないはずだ。なぜなら、彼は王子の側近だから、何かを調べに来たに違いないと疑うだろう。
だが、この貴婦人たちにそういった反応は見られなかった。本当に、ただ単純に仮面舞踏会を楽しんでいるだけらしい。
「ごきげんよう、皆さま」
そこに、今度は若い男性数人が割って入って来た。
「女性ばかりではつまらないでしょう。一曲、いかがです?」
青年たちに誘われ、貴婦人たちが迷わずその手をとる。お互いに手慣れた様子に、レイリアは内心で感心した。
(なるほど)
こうして相手をとっかえひっかえしながら、今夜の相手を探すのだろう。
まったくいかがわしいことこの上ないが、今夜のレイリアにとっては渡りに船だ。こうして様々な人と踊ったり話したりしながら、怪しい人物を探すことができるから。
レイリアも一人の青年の手をとった。
王子以外の男性と踊るのは、あまり好きではないのだが。
(耐えるのよ)
これは手がかりを手に入れるための義務だと自分に言い聞かせ、なんとかレイリアは青年と一曲を踊り切った。
その後も同じようなやり取りを繰り返した。
彼女がようやくの思いで手がかりを見つけたのは、五人目の相手と踊り終えたときのことだった。
「よろしければ、このまま二人で抜け出しませんか?」
壮年の男性に、こう誘われたのだ。おそらく妻子持ちだろうに、恥ずかしげもなく誘う様子に吐き気を催したが、そんなことはおくびにも出さずにレイリアは優雅にほほ笑んだ。
「二人きりで?」
「もちろん」
「そうねえ……、でも、今夜はまだ遊んでいたい気分だわ」
彼女の思わせぶりな言い様に、男性の口角がニタリと歪む。
「では、賭博はどうですかな?」
「賭博?」
「ここだけの話だが……」
そっと、男性がレイリアの耳元に顔を寄せた。
「ラングレット侯爵が、今夜、ここの離れで賭場を開いているらしい」
「あら」
今度は、どうやら当たりだ。




